行雲流水 花に嵐
第二章
「上月様。お久しぶりです」

 宗十郎が弥勒屋に入ると、あるじが腰を低くして奥から出て来た。
 弥勒屋は色町の表通りと裏通りを繋ぐ路地にある、小さな飲み屋だ。
 宗十郎の行きつけの店である。

 表見世よりは格段に落ちるが、裏見世ほど酷くはない。
 それに路地にある店は、皆表向き飲み屋や安宿だ。

 表や裏のように、大っぴらに色を売るわけではない。
 この色町に来る者は、路地の店にはあまり興味を持たないのが普通だ。

「酒と、沢庵を貰うかな」

「かしこまりました。……どうぞ、奥へ」

 ちら、とあるじが周りを見、宗十郎を奥にある小さな階段へと促す。

 『沢庵』というのは女子の隠語だ。
 『春を売る』の『春』から『菜の花』→『黄色』→『沢庵』となったらしい。

 あるじも女郎屋のように女子を抱えているわけでもない。
 ここで女子を抱ける、と知れ渡るのは好ましくないのだ。

 幸い今はまだ時刻も早いこともあり、店の中には客の姿はない。
 宗十郎は階段を上がって、二階の奥の座敷に入った。

「なかなか来てくださらないもので、おすずもやきもきしておりますよ」

 あるじはそう言って、下に戻って行った。
 座敷は中程に立て屏風があり、その向こう側には床が延べてある。
 二階はそういう客用の部屋なのだ。
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