溺愛御曹司は仮りそめ婚約者
契約、成立


もうほとんど人気のない社内に、私の打つキーボードのカタカタという音がやけに響く。

打っては消し、打っては消しを、今日何度繰り返しただろう。一向に文字の増えないディスプレイを見て、大きなため息をついて頭を抱えた。

私、浅田沙奈(あさだ さな)は大学を卒業後、大手食品メーカーである桐島フーズホールディングスに入社して七年目の二十八歳。

桐島フーズは創業百年を超える歴史ある食品会社で、調味料や加工食品、冷凍食品、飲料、健康食品の開発、販売を主に行っている。

私はその中の冷凍食品事業部、商品企画部に所属している。冷凍食品事業だけでも国内に二十ヶ所、海外五ヶ国に三十ヶ所の支社と営業所を持ち、社員数は千人。

現在、数ある食品会社の中でも売上高日本一を誇る大企業だ。

念願であった企画部に配属されて早、四年。

こんなに仕事が思うように進まないのは、配属されたばかりの頃を除けば初めてだ。

考えてもどうにもならないことなのに、そのことがどうしても頭から離れない。

仕事をしている間は、そのことを考えなくても済むかと思っていたのに、全然そんなことはなかった。ふとした瞬間にそれがよぎってしまって、油断すると涙が出そうになってしまう。

私の育ての親である、父方の祖父……じいちゃんに肝臓癌が見つかったのはほんの数日前のこと。

なんだか最近体調が悪いと言いながら、病院に行くのは嫌だと駄々をこねるじいちゃんのことを、無理やり病院に連れて行ったのが一週間と少し前。

そのときの検査結果を聞きに行った私たちに医師が告げた言葉は、「余命半年」という残酷なものだった。

「浅田さんは、C型肝炎をお持ちで、肝臓癌の約八割はこの肝炎ウィルスが原因です。浅田さんの年齢を考えると……昔は使い捨ての注射器がなく、使い回しが普通でしたから。知らぬうちに感染していたのでしょう」

C型肝炎? 肝炎ウィルス? それに、余命半年?



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