マッタリ=1ダース【1p集】

第3話、回転するおにぎり

 その時の私は、無性にお腹が空いていた。

 朝食をトースト半切れと珈琲一杯で済ませて出勤した私は、午前中の会議がずれ込み、昼食は回転すしを数皿しか食べる余裕が無かった。
 空腹感に苛まれながらも私は残業をこなし、帰り支度をして駅のコンビニエンスストアへ駆け込む。
 店に入るなり、私は真っ直ぐおにぎりコーナーへ向かった。
 勿論、頭の中はツナマヨでいっぱいだ。

 私にはおにぎり一個を腹の中で満たせば、この空腹感を収める自信があった。
 家に帰れば夕食が用意されているだろう。しかしここで沢山食べてしまえば、買い食いしていると妻に悟られてしまう。
 健康管理を妻に丸投げしていた私には、例えそれが正当な理由であったとしても、誤解を招く行為は極力避けるべきなのだ。

 私は急いでおにぎりを一つ買うと、店の外に設置されていた剥き出しのゴミ箱の上で、忙しなくラッピングを引き裂いた。

 その時である。

 それはまさに、スローモーションの出来事であった。

 ラッピングから勢いよく飛び出したおにぎりが宙を舞うと、そのまま回転しながらゴミ箱へ吸い込まれていく。

 ゆっくりと落下するおにぎり。
 それはまるで、三角形のモノリスのようだ。

 おにぎりを目指して空を掻き毟る私の指先が、とてつもなく虚しかった。

「ああぁーーっ」

 ゴミ箱への着地を確認し、私の悲鳴ともとれる声は、明らかに目の前の出来事から遅れて発せられた。

 私はポカンと口を開けたまま、その場から動けなかった。
 真っ白い三角形が、ゴミの中で、鮮やかに映る。

 再びお店に戻り、おにぎりを買い直す気力は、もはや何処にも無かった。

 私は灰になった。

 左手には湿らないようにおにぎりと隔離された海苔が、パリパリのまま残されていた。
 ラップに包まれた海苔が、寂しそうにヒラヒラと風に揺れた。


 私が家に帰ると、機嫌よく妻が夕食を作っていた。玄関からは芳しい香りと、鼻唄が漏れ聞こえる。

「ただいま」
 私は例えようのない安心感と幸福感に包まれた。

「おかえりなさい…。あらヤダ。貴方、買い食いして来たの?」

 私はしくじった。

 何を隠そう、私の唇には、残された海苔が見事に付着していたのである。

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