マッタリ=1ダース【1p集】

第9話、野犬にキック

 君たちは野犬にキックしたことがあるだろうか?

 それは、日本の外に出た時の話である。
 私は何種類もの予防接種を受け、体に免疫を作り、仕事でその国へ赴いた。
 その国へは短期の出張で、既に何回かは足を踏み入れたことはあった。
 しかし、今回は長期出張を命じられ、また、同じ国ではあるが、今まで赴いた地域とは全く違う方向へ、出張することになった。

 私はその国のことを、よく知っている。言葉も話せるし、内情にも詳しく、人々の気質も把握している……、つもりだったのだ。

 ……が、しかし、である。


 その時私は、いつでもキックが出来るように神経を張りつめ、軸足になる左足に重心を掛け、右足を軽く浮かした。

 数十メートル先にいるのは、大きな大きな野犬である。その野犬が三匹、路上に捨てられたゴミ箱を、乱暴にアサっていた。

 いつコイツらが襲ってくるかも知れない。
 私が一番コイツらを恐れる理由は、噛まれたら、間違いなく狂犬病になるからだ。そして、ワクチンなど、この国で期待できない。高熱にうなされて、そのままおっ死んでしまうだろう。
 しかしまさか、こんなヤツらがいるとは。渡航前に予防接種を受けておけば良かった。

 後悔ばかりしてはいられない。私はこの国にいるのだ。そして、この国で逞しく生きている国民がいるのだ。


 野犬に気付かれないように、私は静かにその場から離れて行く。

 子供たちが屈託のない笑顔で、野犬の近くで遊んでいた。
 その国では現に多くの子供たちが、野犬に襲われ命を落としている。つまり、決してのどかな風景などではなく、それは危うさの象徴なのだ。


 噛まれたらおしまいだ。
 そう、私は念じてやまない。

 噛まれたらオシマイなのだ。


 ふいに一匹が猛烈な勢いで襲い掛ってきた。

 いや、違う。
 野犬は体の小さい子供たちに向かって、牙を剥いた。


 逃げ遅れた子供たちが、壁ぎわに追い詰められた。

 そして、悲鳴。


 今にも襲い掛ろうとしたその瞬間……。

 1トンにも耐えられる安全靴で、私は野犬の顎を、思いっきり蹴り上げていた。

 一撃だった。

 どこからそんな勇気が湧いたのか、私は未だに理解していない。

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