ありのまま、愛すること。

母の死と私の生

小学4年生の春、母が入院しました。

私は学校が終わると、1日も欠かさず見舞いに向かい、母から「もうお帰りなさい」と何度も言われるまで、帰らなかった。

病室の母のベッドで本を読み、宿題をし、その日にあった出来事を報告したり。
私は低学年のころから、少年野球を始めています。小学5年のときには400チームほどあるなかから横浜代表に選ばれた20人に入っているほど、うまかったのです。

20人中、5年生はたった二人で、その一人が私。後の甲子園メンバーもなかに多くいましたし、直接対決はなかったのですが、1歳年上の原辰徳さんとも同じグラウンドに立っていました。

話が逸れましたが、そんな実力のあった私が、

「練習を切り上げて見舞いに行きたい」

と言うと、監督は、

「お前がいないと練習にならない」

と、練習を終えてから、車で病院まで送ってくれていました。

監督もいっしょに病室を訪れたときのことは、強く印象に残っています。
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