ここでキスして。
◆第1章 あの頃のように笑って

(1)封印した恋心


ため息ばかりつくような毎日はいらない。
心機一転、新しい仕事をがんばりたい。幸せになれる恋がしたい。

吉井花梨は高い位置で止めたポニーテールを揺らして、姿見の前で誓いを立てた。

小さなボストンバッグを肩にかけ、片手には東京二十三区と書かれた地図を持って、スマートフォンで新幹線の時刻を確認する。玄関には最後に送る段ボールがひとつ残っていた。あとから母が送ってくれることになっている。

今年の夏、花梨は二年四ヶ月勤めた地元仙台の食品メーカーを退職した。その後、東京の会社に転職を決め、九月を迎えた今日、実家を出るところだった。

生まれ育った東北の町に、これからさよならする。忘れられない恋にすがって、ルーティンワークをこなすような生活じゃなくて、もっとお洒落をして、やりがいのある仕事をして、新しく素敵な恋をして、華の二十代を謳歌したい。そう花梨は奮い立ったのだ。

「本当に、花梨まで東京に行くなんてね……」

娘の上京を許したとはいえ寂しいらしく、いつまでも華絵はそう繰り返す。

この前買ったばかりのキャメル色のジャケットに袖を通し、濃いブラウンのブーツに足を入れる。荷物に手を伸ばそうとしたところで母の寂しそうな目と目が合い、花梨はいたたまれなくなってしまった。









< 2 / 7 >

この作品をシェア

pagetop