気ままに生きる

自分たちの好きな曲じゃないとやらない

 1969年、日本で初のブルースロック・アルバムといわれる「ブルース・メッセージ」をゴールデン・カップスでリリースした。当時としては画期的だったみたいだけど、その前に結構売れる曲を出していたから、そろそろ違うの出してもいいよって話があった。自分たちの好きなのやっていいよって。

 というかZEN(横浜スカイビル内にあったライブハウス)での演奏を収録した「スーパー・ライブ・セッション」のあたりからあれやってくれ、これやってくれって言われても「嫌だ。自分たちの好きなのをやりたい。もうそうじゃないとやりたくない」っていうところまで行っちゃってたんだよ。

 もうその頃くらいからグループ・サウンズは右肩下がりになっていたしね。フォーク・ミュージックみたいのがその頃から出てきていたし、ロックも急に変わり始めてきて、もうみんな言うことをきかなかったよ。

 そんな新しいロックがどんどん生まれている時代だったのにもかかわらず、俺はそんなことを感じている余裕も無かったんだ。後になってみれば、そうだったのかなあとも思うけど、ただ忙しさに身をまかせているだけて、早く辞めたいと思い始めていたよ。
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