ボレロ - 第一楽章 -

8. dolcemente  ドルチェメンテ (甘く 優しく)



これ以上会議をしても時間の無駄だと言い放ち、資料を机に叩きつけ

会議室を出て行ったならさぞ気分が晴れるだろう。

けれど、そうすることの出来ない立場を理性という盾が支えていた。


堂々巡りで行われる討論、そのたびにくどいように繰り返される説明には

うんざりしていた。

話しを詰め物事を推し進めていくのはわかるが、どうしてこうも無駄な

議論が多いのか。

もちろん話し合いも必要だが、自分の意見を通すためにそれなりの勝算が

ある内容の提出があってしかるべきではないか。



「……私としましては、現状維持の方向で進めたいとは思っておりますが、

一部不安定要素もあり、そちらの確認をとりましてから……」



「不安なものは徹底的に取り除いてください。

それでなければGOサインはだせません。まだわからないんですか。 

ここで議論する前に完全な形にしてくださいと、

常日頃お願いしていたはずですが」



不安げな担当者の顔がさらに苦しげに歪んだとわかっていながら、

私は嫌味な言葉を重ね、そのせいで円座の雰囲気は一気に重くなった。


棘のある言い方だとわかってはいたが、あまりにも不甲斐ない報告に苛立ち、 

みなが息を詰めて下を向いているのも腹立たしかった。  



「副社長、日を改めてということでいかがでしょう。

その間に彼も完全なものを仕上げてくるかと」



不機嫌な私を見かねて進行役の取締役が助け舟をだすと、担当者は

聞こえるか聞こえないほどのため息をつき、大げさに頷いた。





部屋に戻りソファに乱暴に腰掛けると、香り高いコーヒーが運ばれてきた。

おそらく、私付きの秘書の一人である平岡が指示したのだろう。 

平岡は私の業務一切に関わるが、彼の場合はビジネスだけでなく、

メンタルな面も補ってくれる優秀な部下だった。

軽食が添えられているところなど、空腹ゆえ腹もたつのだと言われている

ようで、優秀すぎる部下のあえて言葉にはしない行き届いた配慮にまで

癇に障った。

余計なことをするなと睨み上げたが、涼しい顔は午後からのスケジュールの

変更を告げ始めた。

サンドイッチを乱暴に口に放り込んでいたところ、夕方の会合がキャンセルに

なったと聞き食事の手を止めた。



「トラブルか?」


「いえ、副社長が出席されることもないと判断いたしまして、

代理を立てました」


「大事な相手だぞ。そんなことをして……」


「体を休めることも必要です。

相手側には納得のいくよう説明をしておきましたので……

それから、心の休養も大事かと思われます」



まるで業務連絡のように淡々とした口調ではあったが、微かに心配そうな目に

見下ろされると嫌とは言えなかった。




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