彼はマネージャー
上司と恋人の狭間

彼はSランクマネージャー


 タイミングは何度も計った。

 丸一日使って。

「…………あのさあ、……あの……」

 ほの暗い中、ベッドの側にあるサイドテーブルに置いたセルフレームの黒縁のメガネを取るその背中に、今が今日最後のチャンスだと思い切って声を出す。

「……来週の火曜なんだけど。私、シフト変更で急に仕事になっちゃって」

 昨日、直属の上司である二塚(につか)マネージャーから指示されたことを、二塚の先輩にあたる勝己 良成(かつき よしなり)に伝えただけなのに、辺りは重い緊張感に包まれた。
 
「…………」

 メガネをかけた良成(よしなり)は、急に無表情になると口をへの字にして押し黙り、シーツから出るとベッドの端に背を丸めて座り込み、距離をとった。

 来週の火曜は良成がわざわざ合わせてくれた休みであり、ランチに行こうと約束までしていた。しかも、こちらの方から「行きたいお店がある」とリクエストもしたのに。

 この様だ。

 柚木 香織(ゆずき かおり)はそれに気づかないふりをして、同じようにシーツから出ると、脱ぎ散らかされた下着を手に取り、身体に付けながら、

「だって、予定があるって言えなかったし。しかも私マネージャー補佐になったの今月からだから、余計に言いづらくて……使えない奴とか思われそうだし」。

 良成は怒りを隠そうともせずに、低い声で聞いた。

「なんでそんな急にシフトの変更が必要なわけ?」

 Aランクマネージャーの二塚よりも1ランクレベルが高いSランクマネージャーの良成が言うと、二塚を叱責しているように聞こえる。

「……いや……知らないけど……」

「…………、まあ、仕方ない。上がそう言うんなら」

 良成はぐっと堪え切れない怒りを、重い息を吐きだすことでなんとか流したようだが。板挟みにされている柚木としては、それすらも心苦しかった。

 そんな風に態度に出ることが分かっていたから、言うのが嫌だった。だけど当日まで黙っておくわけにはいかないし。

「ご、ごめんね。せっかく休み合わせてくれたのに」

 都心にある売り場面積1万坪を超える超大型家電総合店をその手で統括している良成は、自らの休みをある程度自由に設定できるようで、ほぼこちらの休みに合わせてくれている。

「……夜は会えるだろ?」

 言うかもしれないと一応予測はしていた。

 幾度かそんなこともあったが、良成の休みの日、こちらの仕事が終わって11時からの逢瀬で夕食を食べさせてくれた記憶はない。

『俺だって香織に飢えてた』

 そう言われると、返す言葉も見つからず結局朝方まで身体を揺さぶられて、寝不足のまま翌日出社するハメになり仕事にならないのでそういう逢瀬はできるだけ避けたいが。

「……まあ……」

 今回は仕方ないか、と譲歩する。

 良成はそれで満足したのか、

「来週の月曜の夜に少し会えるだけか……」

 と立ち上がりながら小声で呟いた。

「まあ日曜の夜は女子会があるしぃ」

 話題を変えようと、思いついた予定を並べたが、

「…………」

 反応しない。

 ここで、「本当に女だけだろうな」としつこく聞いて、喧嘩になることは覚えたようだ。

 実際は、会社の飲み会だから男性社員もいるのだが。良成の馴染みの顔がいない中で、飲み会に行くとなるとまた厳しく言われそうで女子会で通していた。

「ま、火曜は俺も会議だしな」

 こちらを見ず、後ろを向いたままでティシャツに腕を通す姿は、付き合って1年にもなるというのにいまだに時めく。

 広い肩幅、締まったウエスト、長い腕に細い手首、その先にある太く大きな掌。

 色白の肌に整った顔立ちはシャープで清潔感がある。身長185センチ、趣味はテニスのためのランニング。なので、セルフレームの黒縁のメガネをかけていなければ、といつも思うのだが、本人は好きでかけているのだから仕方ない。

 唯一、本気でテニスをしたい時だけコンタクトをつけるそうだが、柚木が今までにその姿を見たことはない。

「会議って何だっけ……」

 着替え終わった柚木は、ベッドに腰かけて聞いた。

「目玉は新店のマネージャー発表だな」

「新店に異動するかも?」

 柚木は何も考えずに聞いたが、良成はいつもの真剣な表情で

「そこまでまだ評価してもらえてないだろうな」

と漏らした。

 柚木が入社した当時、良成は全店統括マネージャーだった。それが今、ストアマネージャーに降りてきたのは何か理由があるのだろうが、詳しく聞いたことはない。

 ただはっきりしていることは、マネージャー補佐という秘書的な役にようやくなれた柚木のことを見下しもせずに、プライベートな時間でもきちんと指導してくれるほど仕事に真面目だということだ。

 そのせいか、そのためか、良成との距離はいつまでも遠い。

 本人が名前で呼ばれることを好むので、指示通り「良成」と呼んではいるが、呼び方を変えたところで柚木の中では勝己Sランクマネージャーもしくは、勝己(前)統括マネージャーのままである。

「会いたい時はいつでも言えよ」

 こちらを見ないで、良成は後ろを向いたままで言った。別れ際、必ずといっていいほどその言葉をかけてくれるが、

「え、あぁ……」

 ここで甘えたように返事をしてしまったら、連絡しないといけなくなるじゃないかという妙な圧力を感じるので

「良成は送別会ないの? 同期の人の人事流れてたよね?」

と、返事をしたようなしなかったような、いつもの流れにもっていっていた。

「……連絡がくれば行く」

「あそう」

 もし、それが火曜の夜でも行くの?と聞けば

「あぁ」

としっかり目を見てはっきり答え、なんでもないのに手首を掴んで離さずに、ついには抱きしめてくるのが目にみえている。

 その末に裸にされて、足腰立たないほど容赦なく攻められたことが、翌日の出社に必ず響くので、柚木はあえて黙っていた。

「香織」

「……」

 呼ばれて、背後から抱きしめられると固まってしまうのはいつものことだが、こうやって、前から堂々と膝を折って目を見詰められたまま両腕を広げて迫られるのも苦手で。

「えっと……トイレ行ってこようっと」

 何にも気付かないふりをしてすり抜け、部屋から出ようとした。

「…!?」

 後ろから手首を掴まれ、心臓ごと掴み握られた気持ちだった。

「…………」

 強引に、太く堅い腕で包み込まれて、嫌な予感がする。

「やっぱ帰せそうにない」

 そう言いながら股間をすりつけられると、それはもういいから! と拒否してしまい気持ちでいっぱいになるのだが。

「……でも、良成んちから私の店まで遠いし」

「送る」

「でも……一時間もかかるのに。もう今だって11時だよ? 寝る暇ないじゃん……」

「心配いらない」

 いや、私の身体の心配なんだけどな……。

「でも、あの今着替えたとこだし」

 身体を前向きにさせられ、正面に向かい合って唐突に胸を触ってきた。

「イイ所だけするから。手短にイかせるよ」

 もう、なんなのそのセリフ!?

「あのっ、ちょっ……っと」

 そんな有言実行いらないから!!

 こちらの拒否の言葉も出ないほど速攻、身体を撫でまわしてくる。

 そして抵抗する間もなく、あっという間に、

「……立つの辛そうだし、休んでいきなよ。俺のベッドで」

という風にいいようにされるのだ。

「……あ……」

 やだ。明日はちょっと早めに仕事に行きたいのに……。

 良成は、そんな私の仕事への忠誠心を見事に捻じ曲げてくれる。

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