倦怠期です!

私がドタバタとでき入籍した挙句、アタフタとタハラを退職したこともあって、コバちゃんこと、カンナギ冷熱の小早川さんとは、結局会うことがなかった。
だからコバちゃんの彼の中原さんと仁さんも入れて、ダブルデートすることもなかった。
コバちゃんと中原さんは、それから2年後に結婚して、コバちゃんはカンナギ冷熱を退職したそうだ。
年賀状のやりとりはしていたけど、コバちゃんたちが引っ越ししたこと、プラスして、私たちも遼太郎が生まれる前に引っ越ししたことで、疎遠になってしまった。

新米の営業として入社した仁さんは、入社してからずっと産業部にいて、今から9年前、仁さんが35歳のときに、横浜支店から藤沢支店に転勤したことがある。
藤沢支店の施設3課の課長として5年勤務後、40歳のときに横浜支店の産業部部長に昇進と同時に、また横浜支店に戻った。

東京本社で部長職に就いてる因幡さんもだけど、若干40歳で部長は、自他ともに認める、かなり異例のスピード出世だ。
どうやら施設の営業時代に、かなり大手の会社数社と新規の契約を結んだ業績が認められたらしい。

とにかく、仁さんが出世してくれたおかげでお給料もアップしたのは、現実的にすごく嬉しいし、助かる。
私も家計の足しになればと、遼太郎が10歳になってから、近所のスーパーで週3日、パートの仕事に就いていたけど、3歳の頃からピアノを習っている日香里が音大に進学が決まったことで、2度目の引っ越しをした。

最初に引っ越した頃は、お姉ちゃんも佐々木さんと結婚して家を出ていたし、ひとりになったお母さんは、3LDKの市営住宅に住んでいた。
引っ越したマンションも、お母さんちから割と近くだったので、パートが休みの日は、ちょくちょく会いに行っていた。

そうそう。
遼太郎を妊娠中、日香里の時とは逆に、食べないと船酔い的な気分の悪さとフラフラが続くので、とにかくよく食べていた私は、14キロくらい太った。
産後にあれこれと深刻に思い悩むこともあまりなかったけど、やっぱりお母さんには、何かと助けてもらった。

今度のマンションは、日香里が通う音大と、仁さんの職場への交通の便がいいこと。
そして遼太郎が通っている中学はなるべく転校させたくないこと、という場所的条件を絞って探したところ、あるマンションを紹介された。

そこは、遼太郎が通う中学校と、お母さんちには、少しばかり遠くなるけど、場所的条件も満たしているし、3LDKという部屋数もいい。
何よりそのマンションは、防音効果がある壁を使っているというのが決め手だった。

その分なのか、それとも今住んでいるマンションより広くなるからなのか。
家賃は余計払わないといけなくなるけど、仁さんのお給料もアップしたし、私もパートでいいから仕事をするし。

新居に引っ越してから、私はずっと勤めていたスーパーを辞めた。
通うには遠すぎるし、交通費が出ないから。
そして近くのスーパーで週3日、パートで勤め始めた。



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