マネー・ドール
便利屋、はじめました

(1)

 午前六時。
 朝のジョギングも、ちょっと寒くなってきた。そろそろ、冬物のウエアを出さないとな。
シャワーを浴びて、ヒゲを剃って、髪を整えて。この時間にやらないと、洗面台が使えなくなる。
部屋に戻ると、隣の妻の部屋から目覚ましのアラームが聞こえた。妻は朝が弱い。何度かスヌーズを繰り返し、微かに音楽が聞こえる。
起きないなら、かけるなよ。
三十分ほど、アラームと音楽が交互に鳴り、ガタガタと音がする。やっと起きたんだろう。
ああ、しまった……今日のパーティ、伝えてなかったな……
 リビングに行くと、エアコンが効いていて、妻はいなくて、どうやら洗面台にいるようだ。ドイツ製のシステムキッチンで、ティファールに水を汲む。妻も使ったらしい。中の湯がまだ熱かった。
 インスタントコーヒーを作っていると、妻が戻ってきた。でっかいコスメボックスを持っている。寒がりだからな。エアコンの下で顔制作ですか。
「何時に仕事終わる?」
「どうして?」
「吉村先生のパーティがあるんだよ」
「何時から?」
「七時半」
「どこで?」
「ニューオータニ」
「わかった」
ビジネスパートナーは、ビジネス以外の話はしない。だから、おはよう、とか、今朝は寒いね、とか、俺達には不必要。俺達は、夫婦という名の、ビジネスパートナーだから。
俺はコーヒーを持って、部屋へ戻った。
 さて、何を着ようか。やっぱりグレーだな。俺はグレーが似合う。ネクタイは紺。ダイヤのタイピンとブルガリのカフスをつけて。ああ、しまった。洗面台に、指輪を忘れてきた。お飾りの、マリッジリング。
洗面台に向かう途中、首から上が完璧の妻とすれ違った。ふうん、今日もいい女だな。俺のアクセサリーとして最高だよ。
さあ、今日も働くか。
いってきます? そんな単語、もう忘れたよ……なあ、真純。お前も、いってらっしゃい、なんて単語、忘れただろ?
 なあ、真純。俺達はこれで、幸せなんだよな?

 俺達はずっと、これからも、こうして行くんだよな?



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