10回目のキスの仕方

梅雨の雨に降られて

* * *

 6月になった。梅雨の時期が到来し、大学の講義室も非常に湿っぽくなっている。そしてここに、さらに湿っぽい女がいた。

「えー風邪ぇ?」
「松下さん?」

 明季は机に肘をついたまま頷いた。明季の電話の相手である美海の声は咳と鼻声のせいであまりよく聞こえない。

『ごほっ…けほっ…ご、ごめんね、明季ちゃん。』
「いいけど。」
『えっと…なので今日の講義…やす…みます。』
「熱何度?」
『朝測ったっきりだけど…38度…。』
「高熱すぎる!講義終わったら行きたいところなんだけど、今日バイトなんだよね…。」
『そんな…いいよ、大丈夫だよ…。けほっ…。』

 美海の『大丈夫』はアテにならないことを明季は知っている。とその時、明季の視界にこんな時にうってつけの人材が現れた。

「浅井サーン!」
「…?」

 明季の手招きによくわからないと言いたげな表情を浮かべたまま、圭介はゆっくりと明季の方へと近づいてきた。

「おー浅井!」
「なに?」
「浅井サン、いいところにきた!」
『へっ?』

 電話越しに聞こえる圭介の声に焦ったのは美海だ。

『明季ちゃん?明季ちゃん?』
「待ってなさいよ、美海。」
『えぇ?ごほっ…げほっ…。』
「松下さんは?」
「そうそれ!今まさにその話をしようとしてた!」
『明季ちゃん!』

 玲菜に『圭ちゃんを彼氏にする』宣言をされてからは講義で会うことはあっても、二人きりで会って話すということがないままだった。それは、自分の頭を撫でた手を忘れられない美海にとってはどちらかといえば好都合だった。それに、玲菜にいらぬ誤解を生む場面を作らないという意味でも、好都合だったと言える。

「電話の相手、松下さんじゃないの?」
「そうだけど、美海がちゃんと話せないから、あたしが代わりに話します。」
『明季ちゃん!ごほっ…ごほごほ…。』
「なに、風邪?」
「大正解!だから、あたしの代わりに浅井サンに看病に行ってもらいたいなって。」
『明季ちゃん!だ、大丈夫だから!浅井さんにそんなこと、お願いできないよ!』
「どうして?」
『え?』
「ちょっと電話、借りてもいい?」
「もちろんどうぞ?」

 明季はにっこりと笑顔を作って自分のスマートフォンを圭介に渡した。 
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