僕と、君と、鉄屑と。
追憶の恋

(1)

 部屋から出てきた麗子は、随分、やつれた感じに見えた。
「お体の具合でも?」
「ううん」
あれ以来、直輝はこの部屋には来ていない。他の誰かと、一緒にいることもない。直輝は、完全に、僕だけの直輝だった。

 後部座席に乗る麗子は、もうタバコもいつの間にか止めたようだ。僕はタバコが苦手だ。あの煙は、とても俗的で、醜い臭いと色が、僕を侵食していくような気がする。

「言ってくれたんだね」
「何をですか」
「私のこと……」
「報告は、私の義務ですから」
「ご飯、もう作んなくていいって」
麗子は車の窓から流れる景色を、ぼんやり見ている。その目には、生きている人間とは思えないほど、光がない。
「大切な人が、いるんだって。その人のことは、絶対裏切れないんだって」
麗子の目に、光の代わりに、涙が溜まり始めた。
「写真、見たんでしょ?」
「ええ」
「元カレなの」
「そうですか」
「直輝さんから、聞いた?」
「いいえ」
「そう。別に、話題にする価値もない話だもんね」
麗子はグズグズと鼻を啜りながら、淡々と話していく。
「この話、していい?」
「どうぞ」
「彼ね、パイロットだったの。子供の頃からパイロットに憧れて、頑張って夢を叶えて……彼は飛行機に乗るためだけに生きてるような人だった。私は新米のCAで……彼と出会って、すぐに好きなったわ。真面目で、誠実で、イケメンで。私、彼と少しでも一緒にいたくて、認めてほしくて、一生懸命勉強して……やっと想いが通じて、私達は恋人同志になったの。フライトが一緒の時は、いろんな国の、いろんな所に二人で行ったわ。一緒に暮らし始めて、幸せだった。本当に、幸せだった」
麗子は一気にそこまで話すと、黙り込んだ。
「どうして、別れたんですか?」
「事故にあったの」
「事故?」
「乱気流に巻き込まれてね、取り乱した乗客を落ち着かせようとして……機体が揺れた拍子に、シートの肘掛に……目をね……」
「ケガを、されたんですか」
「失明は免れたけど、もう、飛行機には乗れなくなった。しばらくはね、パイロットの教官をしてたんだけど……彼は、飛べない自分が許せなくて……」
「許せなくて?」
「寒い日だったわ。二人でよく、飛行機を見に行ってた場所にね、彼は眠ってた。足元には睡眠薬が散らばってて……彼がドアを出る前に、彼ね、今日のフライトは何便かって聞いたの。そんなこと、聞いたことなかったのに……きっと、その飛行機を、あの場所に見に行ったのよ。見に行って、薬を飲んだ……あの時、私がもっと、ちゃんと彼を見ていれば……彼の言葉を、ちゃんと聞いていれば……」
「亡くなったんですか」
「凍死だった」
麗子はそう言うと、俯いて、肩を震わせた。
「私が殺したの……」
「違いますよ」
慰めとか、同情とか、そんなつもりはない。ただ、その彼が死んだのは、麗子のせいではない、と僕は言いたかった。
「似てるの」
「そのようですね」
「でも、彼は、彼じゃなかった。あの人は死んでいて、あの人は生きている」
麗子は哲学的な発言をして、バックミラー越しに、僕の目を見た。
「やっぱり、好きなの」
「……社長を、ですか」
「直輝さんは、私が好きなのは、その死んだ彼で、直輝さんには、その幻をうつしてるだけだって……」
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