この空を羽ばたく鳥のように。

* 田名部にて *





 音もなく、雪が舞っていた。



 (……ああ、また。雪が降り積もる)



 雪は嫌い。
 なんて()()ましいの。これ以上降ってほしくないのに、少しも止む気配がない。

 この地へ来るまでは、雪が嫌いだなんて思ったことは一度だってなかった。けれど今の私達にとって、雪は脅威でとても親しめるものではなかった。

 去年の明治五年暮れに降った大雪は、近所に住む斗南人の家をあっという間に押し潰した。家人は全員が圧死(あっし)して、悲惨極まりなかった。斗南人はどこの者も皆 粗末な家に住んでいて、明日は我が身と震えあがった。


 ああ、どうか。この雪で家が(つぶ)れませんように。
 家族が凍死せず、無事でありますように。


 二階の窓を少しだけ開けて、家族の無事を祈りながら雪を眺める私の背後で声がかかった。



 「ほら、いつまでも外など眺めていないで、こっちへ来て酌をしておくれ」

 「……はい」



 促されて静かに窓を閉める。深呼吸してから立ち上がると、声をかけた男のとなりに座り、膳から銚子(ちょうし)を取った。



 「申し訳ございません。お寒うございましたか」

 「いいや、構わないよ」



 手にする盃に燗酒(かんざけ)を注ぐと、男は勢いよく呑み干してから私の手を取った。
 手から腕へとさすりながら、男は優しく言う。



 「相変わらず細こい腕だ。私が用意させた折り詰めは食べてくれたのかい。幾度か寄こしただろう」

 「はい。家族ともども、ありがたくいただきました」

 「本当かい?にしちゃあ、顔色が良くない。お前さんは家族思いの娘だから、自分はあまり食べていないんだろう。これじゃあ、いつまで経っても肉付きが良くならない」

 「………」



 黙りこくっていると、私の手を離し、気分を害するでもなく男は手酌で酒を(あお)った。



 「まあいい。今夜はようやく、私を受け入れる気になってくれたのだから」

 「………」

 「女将さんに着飾ってもらったんだね。やはりお前さんは武家の娘だ。立居振る舞いからして町娘と違うもの。そうしていると見違えるよ」



 今夜は店の女将さんに、上等な着物を着させられた。
 男の好みなのか髪飾りもつけ、顔色の悪さを隠すため、うっすら化粧も施されている。



 「……なにゆえ私をお目に留めたのですか。下働きをしていた私なんかより、美しい芸者はたくさんおりましょう」

 「うん。そうだな」



 私に酌を求めることもなく、機嫌良く手酌を繰り返す男を、不思議に思って見つめる。
 その手から銚子を受け取ると、盃に注ぎながら多少嫌味を込めて訊ねた。



 「落ちぶれた武家の女子(おなご)が憐れに思えたからですか。それとも、武家の女子の肌が珍しくて気になりましたか」



 ハハハッと男は愉快そうに笑う。まだ三十前の小綺麗な身形(みなり)の男だった。村の者とは(ちが)(なま)っておらず、きれいな言葉遣いをする。いかにも裕福な商家の息子という感じだ。
 その明るい性格は、親の庇護を受けながら何の苦労も知らずに生きてこられたからだろう。



 「お前さんはずばり聞くねえ。どちらもだよ」

 「………」

 「可哀想に思ったのも事実だし、抱きたいと思ったのも事実だ」

 「それでしたら、私では失望すると思います」

 「そりゃ、どうしてだい?」


 「私の身体には、戊辰の役で受けた醜い傷がございます。とても見せられたものではございません」

 「そうかい。……私はそれでも構わないよ」



 さほど気にすることもなく、余裕の笑みをたたえる男に、私のほうが眉をひそめてしまう。



 「お前さんの傷は、あの過酷な戦争を生き抜いてきた、天晴れな(あかし)じゃないか。なにも恥じることはないよ。むしろ、そんな傷を負っても、生きてきたことを誇らしく思えばいい」

 「………!」



 以前、おたかに言われた言葉と、同じことを言われた。てっきり醜い傷があることで、興味を失うと思ったのに。



 (変な人……)



 この男は、最初から不思議だった。この店の下働きとして雇ってもらい毎晩勤めていたところ、常連客だった男がふいに声をかけてきた。

 私をひと目で、会津からやって来た者だと分かったらしい。

 変な興味を持たれてしまったようで、以来、不自由はないかと何かにつけ声をかけてくるようになった。
 仕事帰りに豪華な折り詰めを土産に持たせてくれることも何度かあり、他にもいろいろと気にかけてくれ、それについては感謝している。

 施しを受けることを、恥じている場合じゃなかった。
 生きていくためには、形振(なりふ)(かま)っていられない。
 けれど男の目的は薄々気づいていたから、素知らぬふりを通していた。


 金がある田名部の商人は、会津女を妾にするという。武家の女子の肌がどんなものか、話の種にするためか興味本位で抱きたがっているのだ。

 斗南へ移住した婦女子の中でも、食うに困り、あるいは病人の薬代を稼ぐために、やむにやまれず隠れて身を売る者が出ていた。

 この店に働かせてほしいと頼んだとき、女将さんから「あんたはまだ若いから、身体を売ったほうが金になるよ」と勧められたが、身体に残った傷のため売り物にならず、下働きに落ち着いた。

 内心、ホッとしていたのに。なぜか今晩は違った。

 店に来るとすぐに女将さんに呼ばれ、金でも握らされたのか、男の要望に応えるようこんこんと諭された。
 私も食事の面倒をみてもらった恩があるため無下に断る訳にもいかず、そのうえ「会津の女は恩を仇で返すのかい」とまで言われて、了承せざるを得なかった。


 男は銚子をすっかり空にすると、膳を前に押し出し、私の手を取って立ち上がった。となりの部屋には布団が一組用意されている。

 一度だけ固く目を閉じると、静かに腰をあげ、男に従った。


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