『星砂の降る船で』 桜井ジン
第五話
クジラは、名前を知らない

 宝船の横腹に、何かがゴツンとぶつかった。甲板がドンと揺れ、星砂がヒラヒラと舞い上がる。びしゃんは、磨いていた槍を握りしめ、立ち上がった。鎧がガチャリと重たく鳴る。
「おい、どこのどいつだ。俺様の船に喧嘩を売るのは!」
 船べりから身を乗り出す。そこに、小さなクジラがぷかりと浮かんでいた。大きな瞳が、うるうる光っている。じっと、びしゃんを見上げていた。
「キュゥ……」
 槍を振り上げたまま、動きが止まる。星砂がヒラヒラと、鎧の肩に積もった。えびやんが、ふにゃりと笑って覗き込む。
「ねえ、この子、迷子みたいだよ。助けてあげる?」
 びしゃんは、ふいと顔を逸らす。
「知るか。俺様には関係ねえ。……関係ねえんだよ」
 けれど指先は、もうクジラの頭をポリポリと撫でていた。星砂の海に、小さな波紋がヒラヒラと広がる。クジラは、くしゃんと鼻水の泡を吹いた。ポコポコと浮かび、すぐに消える。
「キュゥ……キュゥ……」
 べにたんが、びわの糸で鼻先をつついた。
「泣き虫ね」
 だいちゃんは、眉をしかめる。
「船に乗せると、重さの計算が……」
 ほていは、甲板に寝転んだまま手を振った。
「いいんじゃないかなぁ。可愛いし」
 おじいは、湯のみを差し出す。もちろん、クジラは飲めない。湯のみの縁に、星砂がヒラヒラと積もる。ロクさんは、長い頭をポリポリとかいた。
「名がないと、不便じゃのう」
 びしゃんは、槍をドンと立てた。甲板がコツンと響く。
「おい」
 クジラは、びくっと震えた。
「名前は」
 クジラは、首をふるふる振る。
「キュゥ」
「名前もねえのか」
 鎧の肩が、ギシと鳴る。少しだけ、困った顔になる。星砂がヒラヒラと二人の間を落ちる。
「じゃあ……お前は、クジラだ」
 クジラは、尾びれをパタパタさせた。水飛沫がキラリと跳ね、星砂と混ざる。えびやんが、甲板に地図を広げる。けれど、地図はまっ白だった。
「帰り道、書いてないね」
 ロクさんは、霧の向こうを見る。
「道は、後からできるものじゃ」
 べにたんが、糸をジャーンと鳴らす。音がヒラヒラと空へほどける。
「聞こえたら、返事してくれるかもね」
 霧は、何も答えない。クジラは、ぽちゃんと甲板に上がった。体から星砂の水がポタポタ落ちる。びしゃんは、布を投げた。
「拭け」
 クジラは、口にくわえてブンブン振る。甲板がびしょびしょになる。
「拭けって言っただろ!」
 声は大きい。でも、目はやわらかい。もう一枚、布を投げる。星砂がヒラヒラと二人の間を舞う。
 夜になった。星が、ぽつぽつと浮かぶ。クジラは、船べりで丸くなる。すうすうと息をする。びしゃんは、隣に座った。槍を抱えたまま、動かない。えびやんが、ふにゃりと笑う。
「関係ないって、言ってたよね」
 びしゃんは、空を見る。
「……うるせえ」
 クジラが、寝言で「キュゥ」と鳴く。びしゃんは、そっと尾びれに毛布をかけた。
 その夜。宝船は、ほんの少しだけ方向を変えた。誰も、舵を切っていない。けれど、クジラの呼吸に合わせて、船はヒラヒラと進む。甲板に落ちる星砂も、ヒラヒラと同じ調子で揺れる。びしゃんは、小さく呟く。
「知らねえやつでも……見ちまったら、関係あるんだよな」
 星が、ひとつだけ瞬いた。宝船の後ろに、小さな泡の道ができる。ポコポコと続く、白い道。それは、クジラが帰るための道だった。それとも、七人が新しく選んだ道だった。
 クジラは、まだ名前を知らない。けれど、もうひとりではなかった。星砂の海に、静かな波紋がヒラヒラと広がっていった。
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