『星砂の降る船で』 桜井ジン
第七話
何もしないの、最高!

 宝船の上から、すべての音が消えた。笛も、槍も、こづちも、びわも、甲板の上で、ただ静かに転がっている。
 ほていは、笛を隅に置いて、ゴロリと横になった。大きなお腹が、ポヨン、とひとつ揺れる。
「ねえ、もう、何もしなくていいのです」
 お腹の上に両手を置き、目を閉じる。鼻先を、風がヒラリとなでていった。星砂は、ヒラヒラと舞わない。
 だいちゃんは、すすけたこづちを枕にして、小さく丸まっていた。甲板の板目を、じっと見つめる。
「……こづちを振るのも、疲れた」
 えびやんは、ふにゃりと笑ったまま、白い湯をすすった。湯気は、まっすぐ上に伸びて、途中で止まった。
「ただ、お腹が空いていなくて、どこも痛くない。それだけで、いいんだね」
 船は、どこへも向かわない。ユラユラともせず、光の中に浮いている。帆は、力なくパタリと垂れ下がった。帆の端が、ほんの少しだけ、ほつれている。海は、ガラスみたいにピタリと止まっている。泡も、さざ波も、ない。空も、雲も、何もかもが、伸びきっていた。
 べにたんは、船べりに腰掛け、びわの糸をポロンと弾いた。音は、ヒラヒラと浮かび、途中でほどけるように消えた。
「ねえ、これ、楽しいの?」
 足をブラブラさせる。水面は、揺れない。おじいは、甲板にしゃがんで、小石をひとつ拾った。コトン、と置く。またひとつ拾って、コトン、と置く。三つ目の小石は、置いたはずなのに、少しだけ傾いていた。
 びしゃんは、鎧を半分脱いだまま、柱にもたれている。槍は、床にコロンと転がっている。
「……なんか、静かすぎるな」
 声は、薄く広がって、すぐに消えた。ほていは、ゴロリと寝返りを打った。お腹が、ポヨン、とまた揺れる。
「まあまあ。静かなのは、いいことなのです。争わなくていい。考えなくていい。お昼寝できるのです」
 えびやんは、湯のみを置いて、空を見上げた。白い空の隙間に、小さな光がヒラヒラと浮いた。
「でもさ、船、止まってるよ」
 だいちゃんは、こづちの角で甲板をトントンとたたいた。音は、コトン、と落ちて、それきり広がらない。ほていは、丸くなる。
「止まっていても、いいのです。どこにも行かなくていいのです」
 そのとき。舵が、ギィ……と小さく鳴った。誰も触っていないのに、舵は、ほんの少しだけ横を向いていた。霧でもなく、嵐でもない。ただ、白い空間に、船はぽつんと浮いている。おじいが、舵の方を見て、ひとこと。
「……このまま、ずっとかのう」
 言葉は、甲板の上でポトンと落ちた。誰も拾わない。昼なのか、夜なのか、わからない。時計の針が、トン、トン、と進む。ロクさんは、長い頭をポリポリかいた。
「波が、来ないねえ」
 波は、来ない。えびやんは、釣り竿を垂らした。糸は、ピンと張ったまま、少しも動かない。
「黄金の鯛も、寝ちゃったかな」
 水の下で、小さな魚が一匹、尾びれを動かしかけたまま、止まっていた。べにたんは、白紙の楽譜をヒラヒラと空に投げた。紙は、落ちずに、少しだけ傾いたまま止まった。
「ねえ、これ、世界もお昼寝してるのかしら」
 ほていは、ニコニコしたまま言う。
「それなら、それで、いいのです」
 びしゃんが、ゆっくり立ち上がった。鎧が、ガチャリ、と鳴る。
「港、どこだ」
 誰も答えない。だいちゃんは、こづちを持ち上げ、空に向けて振ろうとした。でも、手は途中で止まる。
「……順番が、ない」
 こづちは、ポトン、と床に落ちた。持ち手の根元に、小さなひびが入っていた。えびやんは、船首に立った。
「ねえ、みんな。このままだと、どこにも、着かないよ」
 声は、コロコロと転がって、船べりで止まる。ほていは、目を開けた。お腹をポンとたたく。
「着かなくても、いいじゃないですか。今、どこも痛くない。お腹も空いていない。それだけで、宝物なのです」
 おじいは、小石を並べるのをやめた。三つ目の石だけ、やっぱり少し傾いている。日が沈んだのか、まだなのか、わからない。星も、キラキラしない。白い空と、白い海と、白い船。
 べにたんが、びわの胴をポンとたたいた。音は、出ない。
「ねえ、これ、ちょっと、寂しくない?」
 えびやんは、笑ったまま、眉だけが少し下がった。
「……ふにゃり」
 びしゃんは、槍を拾って、甲板に立てた。ドン。音は、吸い込まれた。ロクさんが、小さく言う。
「ユラユラしないと、ユラユラが分からなくなるねえ」
 時計の針が、カチリ、と鳴った。その瞬間。船の下で、泡がひとつだけ、コポリ、と上がった。すぐ消えた。星砂が、ヒラヒラと、甲板の隅で舞う。誰も気づかない。
 舵が、もう一度、ギィ……と鳴る。今度は、ほんの少しだけ、強く。えびやんが、舵の前に立つ。
「ねえ、船も、どこかへ行きたいのかな」
 ほていは、目を閉じた。
「船も、休みたいのです」
 びしゃんが、舵をガシリとつかむ。でも、動かさない。
「……どっちだ」
 そのとき。遠くの白の奥で、黒い点が、ほんの少しだけ増えていた。誰も見ていない。帆のほつれが、ほんの少しだけ裂けた。ヒリ。風は、まだ吹かない。宝船は、静かな白い世界に、ぽつんと浮いている。
 おじいが、最後に言った。港の奥の石段を、頭に浮かべる。
「……幸せは、止まることかもしれぬ。でも、坂は、止まらぬのう」
 言葉は、甲板の隙間に沈んだ。遠くで、もう一度だけ、ギィ、と舵が鳴った。その音は、誰の手でもなく、船の奥から鳴った気がした。
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