『星砂の降る船で』 桜井ジン
第九話
音は、まだ合わない
嵐は去った。けれど、船の中には、まだ風が残っていた。星砂がヒラヒラと、宝船の上に降っている。粒は軽いのに、今日はなぜか重たそうだ。甲板の板目さえ、どちらへ鳴けばよいのか迷うみたいに、カサリ、と乾いた音を立てる。
えびやんが甲板を歩くたび、神さまたちの肩がすこしだけ上がった。誰も、その理由を言わない。えびやんの頬に、面の縁のあとが、薄く残っている。消えない。
えびやんは右を向き、だいちゃんは左を向く。そのほかの神さまも、プイッと背中を向け合う。視線は交わらない。白い息だけがスウと交わり、すぐほどける。
べにたんが、びわの弦をジャカジャカとかき鳴らす。音が空気をひっかく。
「ねえ、もうバラバラよ。理想だの順序だの、音がぜんぜん合わないわ」
びしゃんは、槍を甲板にガチャンと置く。板がビリリと震える。
「右に行きたいのと、左に行きたいの。これじゃ船が迷う」
そのとき。船がガタガタと震え始めた。底の方から、ブルブルといやな揺れが上がってくる。右からの風と、左からの風が、帆柱の真ん中でゴツンとぶつかった。帆がバン、と張り、次の瞬間、ビシン、と引き戻される。繋ぎ綱が、ギリギリ鳴く。星砂がクルクルと渦を巻く。細かな粒が顔の前を覆い、誰の表情も見えなくなる。
えびやんは、鬼の面をつけたまま、舵を右へ倒す。ギリ、と木が鳴る。
「進め」
だいちゃんは、こづちを胸に抱え、左へ一歩出る。トン、と板が鳴る。
「いったん止めろ」
「止まるな」
「急ぐな」
言葉が甲板でぶつかる。パチパチと、火花みたいに散る。ほていは真ん中でオロオロ立っている。濡れたお腹から、ポタリと水が落ちる。
「まあまあ……」
声は風にちぎれる。ロクさんの長い頭が、ユラユラ揺れる。
「ユラユラ同士が、ぶつかっておるのう」
船がギクン、とねじれる。板がピシリ、と鳴った。おじいだけが、渦の真ん中で、膝をトントンとたたいている。トン。トン。トン。風にも、叫びにも、奪われない、小さな間。
べにたんの指が、ふと止まる。弦がかすかに震える。
「……ちょっと待って」
だが風がゴウゴウ鳴り、声をさらう。びしゃんが右へ一歩。だいちゃんが左へ一歩。船はビキビキと軋む。
そのとき。おじいが、少しだけ強く膝をたたいた。トン! 小さな音。けれど、まっすぐな音。ちょうどその瞬間、右の風と左の風が、ほんの一瞬、噛み合わなかった。渦がぐらり、と形を崩す。星砂がパラパラと落ち始める。肩に、板に、静かに。
べにたんが、そっと弦を弾く。ポロン。今度の音は、尖っていない。空気にすっとなじむ。
トン。ポロン。トン。ポロン。膝の音と、びわの音が、並んで歩く。風が、わずかに緩む。帆の張りが、少しだけやわらぐ。えびやんの、舵を握る手が止まる。だいちゃんも、足を止める。
トン。ポロン。トン。ほていが、そっと座る。お腹をポン、とたたく。トン。三つの音が、並ぶ。びしゃんは、槍をゆっくり立てかける。柄が板に触れる音が、やわらかい。
「……今のは、どっちの音だ」
べにたんが、肩をすくめる。
「どっちでもないわ。真ん中よ」
星砂は、もう壁ではない。ヒラヒラと、ただ舞っている。えびやんは、鬼の面に手をかける。外さない。ただ、少しだけうつむく。頬の跡が、星砂を薄く受けた。
「進まなくても、壊れる」
だいちゃんが、低く言う。
「進みすぎても、壊れる」
船はまだギシギシ鳴っている。けれど、さっきより短い音だ。おじいは、膝をたたくのをやめ、甲板をそっと撫でる。細い割れ目の上を、指がなぞる。
「坂は、急ぎすぎても転ぶ」
誰も笑わない。けれど、誰も背中を向けていない。べにたんが、最後に小さく弾く。ポロン。音は、右にも左にもよらない。まっすぐ空へ、登る。
船は、ほんの少し前へ進む。指一本分ほど。水面が、かすかに開く。トン。ポロン。トン。音は、まだぴったりとは合っていない。でも、さっきよりは、ぶつかっていない。星砂の向こうで、その小さな真ん中の音だけが、静かに続いているのだった。
嵐は去った。けれど、船の中には、まだ風が残っていた。星砂がヒラヒラと、宝船の上に降っている。粒は軽いのに、今日はなぜか重たそうだ。甲板の板目さえ、どちらへ鳴けばよいのか迷うみたいに、カサリ、と乾いた音を立てる。
えびやんが甲板を歩くたび、神さまたちの肩がすこしだけ上がった。誰も、その理由を言わない。えびやんの頬に、面の縁のあとが、薄く残っている。消えない。
えびやんは右を向き、だいちゃんは左を向く。そのほかの神さまも、プイッと背中を向け合う。視線は交わらない。白い息だけがスウと交わり、すぐほどける。
べにたんが、びわの弦をジャカジャカとかき鳴らす。音が空気をひっかく。
「ねえ、もうバラバラよ。理想だの順序だの、音がぜんぜん合わないわ」
びしゃんは、槍を甲板にガチャンと置く。板がビリリと震える。
「右に行きたいのと、左に行きたいの。これじゃ船が迷う」
そのとき。船がガタガタと震え始めた。底の方から、ブルブルといやな揺れが上がってくる。右からの風と、左からの風が、帆柱の真ん中でゴツンとぶつかった。帆がバン、と張り、次の瞬間、ビシン、と引き戻される。繋ぎ綱が、ギリギリ鳴く。星砂がクルクルと渦を巻く。細かな粒が顔の前を覆い、誰の表情も見えなくなる。
えびやんは、鬼の面をつけたまま、舵を右へ倒す。ギリ、と木が鳴る。
「進め」
だいちゃんは、こづちを胸に抱え、左へ一歩出る。トン、と板が鳴る。
「いったん止めろ」
「止まるな」
「急ぐな」
言葉が甲板でぶつかる。パチパチと、火花みたいに散る。ほていは真ん中でオロオロ立っている。濡れたお腹から、ポタリと水が落ちる。
「まあまあ……」
声は風にちぎれる。ロクさんの長い頭が、ユラユラ揺れる。
「ユラユラ同士が、ぶつかっておるのう」
船がギクン、とねじれる。板がピシリ、と鳴った。おじいだけが、渦の真ん中で、膝をトントンとたたいている。トン。トン。トン。風にも、叫びにも、奪われない、小さな間。
べにたんの指が、ふと止まる。弦がかすかに震える。
「……ちょっと待って」
だが風がゴウゴウ鳴り、声をさらう。びしゃんが右へ一歩。だいちゃんが左へ一歩。船はビキビキと軋む。
そのとき。おじいが、少しだけ強く膝をたたいた。トン! 小さな音。けれど、まっすぐな音。ちょうどその瞬間、右の風と左の風が、ほんの一瞬、噛み合わなかった。渦がぐらり、と形を崩す。星砂がパラパラと落ち始める。肩に、板に、静かに。
べにたんが、そっと弦を弾く。ポロン。今度の音は、尖っていない。空気にすっとなじむ。
トン。ポロン。トン。ポロン。膝の音と、びわの音が、並んで歩く。風が、わずかに緩む。帆の張りが、少しだけやわらぐ。えびやんの、舵を握る手が止まる。だいちゃんも、足を止める。
トン。ポロン。トン。ほていが、そっと座る。お腹をポン、とたたく。トン。三つの音が、並ぶ。びしゃんは、槍をゆっくり立てかける。柄が板に触れる音が、やわらかい。
「……今のは、どっちの音だ」
べにたんが、肩をすくめる。
「どっちでもないわ。真ん中よ」
星砂は、もう壁ではない。ヒラヒラと、ただ舞っている。えびやんは、鬼の面に手をかける。外さない。ただ、少しだけうつむく。頬の跡が、星砂を薄く受けた。
「進まなくても、壊れる」
だいちゃんが、低く言う。
「進みすぎても、壊れる」
船はまだギシギシ鳴っている。けれど、さっきより短い音だ。おじいは、膝をたたくのをやめ、甲板をそっと撫でる。細い割れ目の上を、指がなぞる。
「坂は、急ぎすぎても転ぶ」
誰も笑わない。けれど、誰も背中を向けていない。べにたんが、最後に小さく弾く。ポロン。音は、右にも左にもよらない。まっすぐ空へ、登る。
船は、ほんの少し前へ進む。指一本分ほど。水面が、かすかに開く。トン。ポロン。トン。音は、まだぴったりとは合っていない。でも、さっきよりは、ぶつかっていない。星砂の向こうで、その小さな真ん中の音だけが、静かに続いているのだった。