似た者同士の契約婚 ~結婚しないと宣言した日に出会った相手は、不眠の心臓外科医でした~
プロローグ
 ティータイムをとうに過ぎた夕方、広いホテルのラウンジでは数組の客が、ゆったりと各々の時間を過ごしていた。

 桜井美空(さくらい みく)にとって、そこにいる彼らは皆、幸せそうに見えていた。
 自分達の周囲だけが重苦しい。

 美空はその雰囲気に耐えながら、目の前の元恋人――村上洋介(むらかみ ようすけ)を睨みつけた。

(大丈夫よ、深呼吸。ちゃんと伝えて帰るだけ)

 美空は深く呼吸をすると、落ち着いた声を出すように心がけた。

「私たち、もう別れたのよ。私たちはもう他人だし、浮気する人に用はないわ」
「だから、本気じゃなかったんだって。もう怒るなよー」

 悪びれなく微笑む洋介に苛立ち募る。



 数日前。
 洋介の浮気現場を目撃した美空は、その場で別れを告げた。

 それなのに、洋介が再度話し合いがしたいと言ってきたのだ。何度断っても折れない彼に、美空は根負けした。
 同じ職場である彼から逃れるのは、困難だったのだ。

 指定されたのは、デートでも来たことがなかった高級ホテルのラウンジ。

(今さら点数稼ぎ? もう別れた女にそんなことしたって遅いのに)

 せっかくなら家族や友達と来たかった。
 美空がため息をつくと、洋介は楽しそうに一枚の紙をテーブルに置いた。

「美空はこれを見たら許してくれるはずだよ。ほら」

 誇らしげな表情で差し出されたのは、婚姻届だった。
 しかも結婚情報紙の付録のようなキラキラのデザイン。

「……はあ?」

 美空は思わず顔を歪めた。
 洋介の考えがまるで分からない。
 
 それなのに、洋介は得意げに婚姻届をトントンと指し示した。

「俺たち付き合って四年経つだろ? 美空が結婚したがってるのは分かってたんだけど、仕事が落ち着くまではって思ってたんだ。でも、それですれ違ってちゃ意味ないよな」
「はぁ……」
「俺も反省したってこと。もう他の女は切ったし、満足だろ? これで解決だ!」

 自慢げに話す洋介に、美空の怒りがふつふつと再燃する。

(なんて……なんて馬鹿なの!? こんな人と四年も付き合っていたというの?)


 そして爆発した。

「結婚なんてしないっ……!」

 美空はソファを立ち上がってそう宣言した。
 そして立ち去ろうとしたが、そのまま固まった。

 なぜなら一つ向かいのテーブルに座っていた男性が立ち上がり、今まさに美空と『同じ言葉』を吐いたのだから――。

「結婚はしないと言っただろう?」

 その一瞬、男性と目が合う。
 映画から出てきたかのようにすらりと背の高い彼は、上品なダークグレーのジャケットを整えながら苛立ちの表情を浮かべていた。
 しかし美空と視線が絡んだ瞬間、綺麗で鋭い瞳がほんの少しだけ見開かれ、口の端がわずかに上がる。

(あ……、あの人も同じなんだ)

 つかの間、美空は彼に仲間意識が芽生えた。

 それが彼――宮倉優斗(みやくら ゆうと)との出会いだった。
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