追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路

第27話 それでも、ここにいろ【将軍視点】

 ――セレスティア・アルセイン。

 その名が、静かに部屋へ落ちた瞬間、俺の中で何かがようやく繋がった。
 報告通り、彼女自身がセレスティアだと言う事はわかっていた。
 王太子の元婚約者。
 反逆罪で追放。
 王都の【影】が動く理由も、屋敷の周囲に漂っていた気配も、すべて辻褄が合う。

 だが――驚きは、なかった。

 俺は最初から、あの女がただの流れ者ではないと知っていた。
 立ち居振る舞い、視線の置き方、そして沈黙の重さ。
 あれは、生まれも育ちも高い場所にいた者のそれだ。
 だが、知りたかったのはそこじゃない。
 俺が見ていたのは――水路の図面を前に、真剣に眉を寄せていた姿。子どもに笑いかける時の、あの柔らかな彼女の顔。
 夜遅くまで鍋を洗い、手を荒らしても愚痴ひとつこぼさなかった背中だ。
 床に落ちる涙の音が、静かに響く。
 セラ――いや、セレスティアは深く頭を下げたまま動かない。

(……出ていく、だと?)

 ――ふざけるな。

 俺はゆっくりと息を吐き、数歩、彼女に近づいた。

「セラ、顔を上げろ」

 低く言うと、わずかに肩が震えた。
 だが、ゆっくりと顔が上がる。
 泣き腫らした目で、それでもまっすぐに俺を見ている――逃げるつもりはない、という目だ。
 良い、いい目だ。

「……知ってた」

 短く告げると、彼女の瞳が大きく揺れた。

「全部じゃねぇ。だが、王都が動いてる事も、お前が平民じゃない女じゃねぇこともな」
「……っ」
「だがな」

 俺は続ける。

「俺が見てきたのは、お前の【過去】じゃねぇぞ?」

 視線を逸らさず、はっきりと言う。

「俺が見てきたのは、ここでどう生きてるかだ」

 辺境に来てからの彼女の姿。
 何も持たない状態から、必死に立とうとした姿。

「お前は逃げなかった。名を隠しても、誇りまで捨てなかった。働き、考え、誰かのために動いてきた」

 それが事実だ。

「王太子の婚約者だった事も侯爵令嬢だったことも――正直、どうでもいい」

 少しだけ、声が強くなる。

「俺が判断してるのは、今のお前(セレスティア)だ」

 変わらず沈黙している彼女の瞳から、また涙がこぼれる。

 ……くそ。

 俺は小さく舌打ちし、手を伸ばす。
 彼女の肩に、そっと触れた。

「今さら、お前を手放す気はねぇ」

 静かに告げたその言葉は、命令でも、情けでもない。
 ただ、胸の奥からそのまま出た本音だった。

 セラ――いや、セレスティアの瞳が大きく揺れる。

「……将軍様、私は……王都から追われた身です。王家に逆らったとされる女なんです」

「知るか」

 即答だった。

「王都がどう判断したかなんざ、俺には関係ねぇ」

 彼女が言葉を失う。

「セレスティアでも、セラでもいい。どっちの名でも構わねぇ」

 一歩、距離を詰める。
 彼女は逃げない。ただ、息を詰めて俺を見上げている。

「だがな、俺が見てきたのはお前の過去じゃない」

 さらに一歩。

「お前が寒い朝でも文句も言わず井戸水を運んでたこと。子どもに笑いかけてたこと。水路の崩落を前に、真っ先に地図を広げたこと」

 あれは演技じゃない。

「それが、俺の知ってる【お前(セラ)】だ。」

 彼女の唇が震える。

「でも……それは、将軍様が知らない私だから……」
「違う」

 低く、遮る。

「――それも全部、お前だろ」

 静まり返る室内。

「過去を隠してたのは守るためだ。騙して楽しんでたわけじゃねぇ」

 彼女の肩が小さく揺れる。

「それでも――ここにいろ」

 はっきりと言い切った。
 彼女の息が止まるのがわかる。

「お前が望むなら、この屋敷にいろ。この辺境で生きろ」

 一瞬、言葉が喉で止まる。
 だが、逃げない。

「……俺の、そばで」

 最後の言葉は、わずかに低く落ちた。
 同時に彼女の瞳が揺れ、頬が赤く染まり、息が浅くなる音が聞こえる。

「将軍様……私は……」
「過去がどうだろうと関係ねぇ」

 ゆっくりと告げる。

「お前はそもそも罪人じゃない。少なくとも俺の目にはな」

 王都の連中が何を言おうと関係ない。
 この目で見たものが、俺の真実だ。

「……本当に、いいんですか?」

 震える声。

「私がここにいれば、将軍様に迷惑がかかるかもしれません」
「迷惑?」

 思わず鼻で笑う。

「俺が迷惑を気にする男に見えるか?」

 彼女が、わずかに目を丸くする。

「俺はな、必要だから言ってる」

 視線を逸らさずに続ける。

「だからもう出ていくなんて言うな」

 静かに、しかし強く。

「ここは、お前の居場所だ」

 その瞬間――彼女の瞳が大きく揺れ、堰を切ったように涙が溢れ出した。
 だが、それはさっきまでの絶望の涙じゃない。

「……ありがとうございます……」

 かすれた声で、そう言う。
 俺はその姿を見て、ようやく小さく息を吐いた。

(……守ると決めた)

 王都が何を企もうと関係ねぇ。
 諜報が来ようが、噂が広がろうが、この女は、俺が守る。
 それが情か、恋かはまだどうでもいい。
 だが――俺はもう、あいつを失う気はない、それが俺の選んだ答えなのだから。
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