冷徹なエリート社長はセフレな私を一途に愛して孕ませたい
第6章 初めての恋3
美桜は椅子に座ったまま、気持ちだけが焦っていた。
膝に乗せた拳をギュッと握りしめる。
「この度はまことにおめでとうございます。新たな門出を祝して……」
祝辞を述べる会社職員の声が耳障りな不協和音として響いた。
スマホは取り上げられているから、近くにあるアナログ時計に目をやった。時計の針が鳴る音がいつもよりも大きく感じる。
刻一刻と時間だけが過ぎていく。
(あのおじさんの祝辞が終わったら、次が婚約発表のはず。あの人の話が終わって、新宮部長が立ち上がって舞台に向かいはじめたら、黒い服の人たちの間を抜けて、裏手に向かって一気に走るしかない)
走りづらいだろうから、草履は脱いで足袋で逃げよう。
寒いけれど背に腹は代えられない。
美桜が決意を固めていたら、そばにいた新宮順一がすっと背筋を伸ばしたまま立ち上がった。こんな時だけれど着物に慣れている所作だ。
(小さい頃に会った時も和装だったものね)
もしもこんな事態に陥っていなかったら、幼馴染と言っても差し支えない順一の社長就任を喜べただろうに。
「ああ、ごめんね、美桜ちゃん。少しだけ席を外すわ」
順一が裏手で黒いスーツの人達と会話をはじめた。
入口を塞がれていなければ、絶好のチャンスだっただろうに。
(ちゃんと逃げられるかな?)
とはいえ、緊張しすぎて少しだけ気弱になってきた。
(逃げても、恭司さんからしたら迷惑になるのかな?)
ちょうどその時、舞台の袖が微かに揺れる。
足元に何者かの影が見えた。
(あ……!)
現れたのは黒猫ミオだった。
美桜は周囲をうかがった。
どうやら周りは猫がいることに気づいていない様子。
「ミオちゃん、ここじゃないところで待ってて」
美桜が小声で話しかけると、ミオが鼻を裾に擦り寄せてきた。
ふと見れば、赤い首輪におみくじみたいに何か紙が結ばれている。
(なんだろう?)
美桜はミオの首輪から紙を外した。
周りに見られていないことを確認してから、そっと開く。
(これは……! 恭司さんからだ!)
美桜は目を真ん丸に見開いた。
『美桜へ 探すのが大変だから、おとなしく待ってろ。必ず迎えに行く。約束だ。それと――』
手紙を持つ手が歓喜で震える。
『迎えに行ったら置き手紙の返事をする。恭司』
自分の思い違いではないか、本当は何度か読み直したいぐらいだったけれど、今はそれどころではない。
「さあ、美桜ちゃん、そろそろやで」
順一が来たので、手紙をサッと襟元にしまった。
(恭司さんは大人しく待ってろって書いてたもの)
美桜はその場にすっくと立ち上がった。
「ん? どうしたの? 急に従順になったけど」
けれども、美桜は順一のことは振り返らずに壇上を真っすぐに見つめた。
「いいえ、大丈夫です。行きましょう」
壇上の中央で、美桜と順一は横並びになると、前を見据えた。
カメラのフラッシュが眩しいけれど、隣に立つ順一は平気そうにしていた。
昔からこういう誰かに見られるのに慣れているようだ。
隣に立つ美桜としては、その場にいる大勢の皆に注目されるのが怖くて、若干狼狽えてしまった。全身の震えが止まらない。脚もがくがくして崩れ落ちてしまいそうだ。けれども、胸元にしまった恭司の手紙に触れると深呼吸する。
(大丈夫、恭司さんは絶対に来てくれる)
黒猫ミオの首輪に手紙をつけることが出来たということは近くにいるはずなのだ。
美桜は背筋を伸ばすと真っすぐに前を見据えた。
ドクドクと早鐘のようだった鼓動が少しずつ穏やかになっていく。
壇上の袖の方にいる司会の男性――どうやら新宮家当主の秘書らしい――が話をはじめる。