『星砂の降る船で』 桜井ジン
最終話
縫い目と流れのあいだ
宝船は、静かな港に、ズルリと横付けされた。船腹の板は、ところどころ色が違う。古い木と、新しく打ち直した木。継ぎ目が、いくつか白く光っている。帆は、裂け目を縫われたままだ。白い布の上を、灰色の糸が走る。風を受けるたび、その縫い目が、かすかに震えた。舵には、細いひびが一本残っている。指でなぞれば、少し引っかかる。
港には、たくさんの人がいた。けれど、誰も動かなかった。空から、灰色の埃が、ザラザラと落ちてくる。肩に積もる。髪にからまる。瞼に、薄く乗る。それでも、誰も払わない。
「ねえ、どうして、掃除しないの?」
えびやんが、ふにゃりと笑う。頬には、仮面の縁のあとが、薄く残っている。村人のひとりが、足元を見たまま言った。
「みんながしないから。俺がやっても、またふる」
埃は、今も、降っている。
ガチャリ、と重い音がした。びしゃんが、鎧を外す。留め金が外れ、金属がぶつかる。宝船の板に置かれた鎧が、鈍く揺れた。肩には、擦れた赤い跡が残っている。びしゃんは、船の隅に立てかけてあった古い箒をつかんだ。柄は、少し曲がり、穂先は短い。
「理屈なんて、知らん」
ドシン、と港に飛び降りる。埃が舞う。ザッ。ザッ。乾いた埃が動き、下から、湿った泥が顔を出す。ザッ。ザッ。埃と泥のあいだに、細い溝ができる。
ほていが、ゆっくり降りてくる。お腹を、ポン、とたたく。トントン、と足音を立てる。泥に足が、少し沈む。落ちていた小さなスコップを拾う。ザク。泥をすくう。横に寄せる。ザク。低い壁が、できる。
べにたんは、びわを背負ったまま、降りてくる。びわを地面に置く。埃が、薄くかかる。ポロン。ザッ。ポロン。ザッ。音はそろっていない。けれど、止まらない。
だいちゃんは、こづちを抱えて降りてくる。ひびは、そのまま。振らない。だんごの袋を開ける。ひとつ、地面に置く。もうひとつ、肩のネズミに渡す。ネズミは、コリ、とかじる。欠けらが、落ちる。その欠けらが、水を吸って、少し膨らむ。
ロクさんは、長い頭をポリポリとかく。帳面を出す。「掃除のしかた」と書く。少し見つめる。閉じる。泥の上に置く。灰色になる。箒を握る。
おじいは、辞書を抱え直して、最後に降りた。港に着くと、それを、埃の上に置く。すぐに、灰色に染まる。何も言わない。しゃがみ、手で埃をすくう。横へ流す。その埃が、びしゃんの作った溝に落ちる。水が、少し動く。ほていの泥の壁に当たり、向きを変える。細い水の道が、つながる。
村人たちは、見ている。
「神さまだから、できるんだ」
誰かが言う。ザッ。ザッ。ポロン。ザク。コリ。
ひとりの子どもが、近づく。小さな手で、石ころを拾う。溝の端に置く。水が、少し曲がる。もうひとつ、石を置く。水が、少し速くなる。別の村人が、帽子を脱ぐ。埃を払う。木の板を拾い、泥を押す。ゴロ。トン。音が、増える。
水は、溝を伝って、海へ流れ始める。濁りが、わずかに薄くなる。雲の切れ目から、細い光が差す。光が、水に触れる。揺れる。泥の粒が、光を散らす。ほんの、薄い七色が、滲む。子どもが、指をさす。
「あれ」
ポロン。びしゃんは、汗を拭う。鎧のない肩が、上下する。箒を置く。
「……疲れた」
ほていが、隣に座る。
「疲れたら、休むのです」
ふたりは、泥の上に座る。えびやんは、港の真ん中に立っている。頬の跡を、指でなぞる。
「ねえ、これって、幸せ?」
おじいは、手を止めない。少しだけ、顔を上げる。
「幸せではない」
えびやんは、首をかしげる。
「じゃあ、なんでやってるの?」
おじいは、水の流れを見る。
「やっているからだ」
水は、流れ続ける。光は、揺れる。七色は、消えかけて、またにじむ。宝船を見る。帆は、裂けたまま。舵のひびも、消えない。船底には、まだ小さな塊が残っている。
「ねえ、また旅に出る?」
おじいは、埃の上に、一本の線を引く。風で、すぐ消える。
「出ても、出なくても、同じだ」
えびやんは、ふにゃりと笑う。
「じゃあ、ここで、続けよう」
神さまたちは、船に戻らない。村人も、戻らない。夕方。港は、少しだけ明るくなる。完璧ではない。埃は、また降る。ザッ。誰かが、掃く。ポロン。誰かが、鳴らす。コリ。ネズミが、かじる。
みんなの荷物は、灰色のまま。こづちのひびも、そのまま。仮面の跡も、消えない。夜が来る。家の窓に、光が滲む。人も神も、泥だらけだ。宝船は、波に揺れる。出発しない。停泊でもない。ただ、そこにある。
よく朝。埃は、また降る。子どもが、石を拾う。大人が、板を押す。誰かが、箒を握る。水が、また流れる。七色は、出たり、消えたりする。奇跡ではない。終わりでもない。
ザッ。ポロン。ザッ。音は、どこかで、続いている。宝船も、まだ、そこにある。灰色の空の下で、今日も埃が降り、誰かが、掃いている。つづく。つづく。
宝船は、静かな港に、ズルリと横付けされた。船腹の板は、ところどころ色が違う。古い木と、新しく打ち直した木。継ぎ目が、いくつか白く光っている。帆は、裂け目を縫われたままだ。白い布の上を、灰色の糸が走る。風を受けるたび、その縫い目が、かすかに震えた。舵には、細いひびが一本残っている。指でなぞれば、少し引っかかる。
港には、たくさんの人がいた。けれど、誰も動かなかった。空から、灰色の埃が、ザラザラと落ちてくる。肩に積もる。髪にからまる。瞼に、薄く乗る。それでも、誰も払わない。
「ねえ、どうして、掃除しないの?」
えびやんが、ふにゃりと笑う。頬には、仮面の縁のあとが、薄く残っている。村人のひとりが、足元を見たまま言った。
「みんながしないから。俺がやっても、またふる」
埃は、今も、降っている。
ガチャリ、と重い音がした。びしゃんが、鎧を外す。留め金が外れ、金属がぶつかる。宝船の板に置かれた鎧が、鈍く揺れた。肩には、擦れた赤い跡が残っている。びしゃんは、船の隅に立てかけてあった古い箒をつかんだ。柄は、少し曲がり、穂先は短い。
「理屈なんて、知らん」
ドシン、と港に飛び降りる。埃が舞う。ザッ。ザッ。乾いた埃が動き、下から、湿った泥が顔を出す。ザッ。ザッ。埃と泥のあいだに、細い溝ができる。
ほていが、ゆっくり降りてくる。お腹を、ポン、とたたく。トントン、と足音を立てる。泥に足が、少し沈む。落ちていた小さなスコップを拾う。ザク。泥をすくう。横に寄せる。ザク。低い壁が、できる。
べにたんは、びわを背負ったまま、降りてくる。びわを地面に置く。埃が、薄くかかる。ポロン。ザッ。ポロン。ザッ。音はそろっていない。けれど、止まらない。
だいちゃんは、こづちを抱えて降りてくる。ひびは、そのまま。振らない。だんごの袋を開ける。ひとつ、地面に置く。もうひとつ、肩のネズミに渡す。ネズミは、コリ、とかじる。欠けらが、落ちる。その欠けらが、水を吸って、少し膨らむ。
ロクさんは、長い頭をポリポリとかく。帳面を出す。「掃除のしかた」と書く。少し見つめる。閉じる。泥の上に置く。灰色になる。箒を握る。
おじいは、辞書を抱え直して、最後に降りた。港に着くと、それを、埃の上に置く。すぐに、灰色に染まる。何も言わない。しゃがみ、手で埃をすくう。横へ流す。その埃が、びしゃんの作った溝に落ちる。水が、少し動く。ほていの泥の壁に当たり、向きを変える。細い水の道が、つながる。
村人たちは、見ている。
「神さまだから、できるんだ」
誰かが言う。ザッ。ザッ。ポロン。ザク。コリ。
ひとりの子どもが、近づく。小さな手で、石ころを拾う。溝の端に置く。水が、少し曲がる。もうひとつ、石を置く。水が、少し速くなる。別の村人が、帽子を脱ぐ。埃を払う。木の板を拾い、泥を押す。ゴロ。トン。音が、増える。
水は、溝を伝って、海へ流れ始める。濁りが、わずかに薄くなる。雲の切れ目から、細い光が差す。光が、水に触れる。揺れる。泥の粒が、光を散らす。ほんの、薄い七色が、滲む。子どもが、指をさす。
「あれ」
ポロン。びしゃんは、汗を拭う。鎧のない肩が、上下する。箒を置く。
「……疲れた」
ほていが、隣に座る。
「疲れたら、休むのです」
ふたりは、泥の上に座る。えびやんは、港の真ん中に立っている。頬の跡を、指でなぞる。
「ねえ、これって、幸せ?」
おじいは、手を止めない。少しだけ、顔を上げる。
「幸せではない」
えびやんは、首をかしげる。
「じゃあ、なんでやってるの?」
おじいは、水の流れを見る。
「やっているからだ」
水は、流れ続ける。光は、揺れる。七色は、消えかけて、またにじむ。宝船を見る。帆は、裂けたまま。舵のひびも、消えない。船底には、まだ小さな塊が残っている。
「ねえ、また旅に出る?」
おじいは、埃の上に、一本の線を引く。風で、すぐ消える。
「出ても、出なくても、同じだ」
えびやんは、ふにゃりと笑う。
「じゃあ、ここで、続けよう」
神さまたちは、船に戻らない。村人も、戻らない。夕方。港は、少しだけ明るくなる。完璧ではない。埃は、また降る。ザッ。誰かが、掃く。ポロン。誰かが、鳴らす。コリ。ネズミが、かじる。
みんなの荷物は、灰色のまま。こづちのひびも、そのまま。仮面の跡も、消えない。夜が来る。家の窓に、光が滲む。人も神も、泥だらけだ。宝船は、波に揺れる。出発しない。停泊でもない。ただ、そこにある。
よく朝。埃は、また降る。子どもが、石を拾う。大人が、板を押す。誰かが、箒を握る。水が、また流れる。七色は、出たり、消えたりする。奇跡ではない。終わりでもない。
ザッ。ポロン。ザッ。音は、どこかで、続いている。宝船も、まだ、そこにある。灰色の空の下で、今日も埃が降り、誰かが、掃いている。つづく。つづく。

