追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
第26話 私の名前はセレスティアです
夜はとても静かだった。
屋敷の中庭に立ちながら、私は何度も深呼吸を繰り返している。
胸の奥が落ち着かない。手のひらが冷たい。けれど――もう、逃げないと決めた。
「……将軍様」
執務室の扉をノックすると、中から低い声が返ってくる。
「――入れ」
扉を開けた瞬間、将軍様の視線がまっすぐこちらへ向けられている。
しかし、その目はいつもと変わらない。疑いも、苛立ちもなく、ただ静かに――私を見ている。
「どうした、セラ?」
その呼び方に、胸が少しだけ痛んだ。
私は扉を閉め、一度だけ深呼吸をした後、ゆっくりと歩み寄る。
足音がやけに大きく響く気がした。
「あの……少し、お時間をいただけますか」
「ああ、構わないが……」
将軍様は椅子から立ち上がり、机の前から離れて私と向かい合うように立った。
逃げ道を塞ぐでも、問い詰めるでもなく、ただ聞く姿勢を見せながら。
それが、余計に苦しかった。
私は、ぎゅっと手を握る。
「……将軍様」
「なんだ?」
「あの……私は……ずっと、嘘をついていました」
私の言葉を聞くと同時に、一瞬動きが止まったように見え、同時に沈黙が落ちる。
けれど、目を逸らしてしまえば全てが崩れるような気がして私は必死に将軍様の顔を見つめた。
彼は一言も発さずに、私を見ていた。
「えっと……【セラ】という名前は……本当の名前ではありません」
喉の奥が熱い。
息が苦しい。けれど、口を開いた。
「私の、その、本当の名は――セレスティア・アルセインです」
言った、言ってしまった!
その瞬間、空気が静まり返った気がして、まるで時間までもが凍りついたかのようだった。
けれど、将軍様の表情は変わらない。
その沈黙が、逆に苦しくて、私は一気に言葉を吐き出すように続けた。
「私は嘗て、王都にて、王太子殿下の婚約者でした。侯爵家の令嬢として育てられて政略結婚の駒として……それが私の【役割】でした」
言葉を重ねるほどに、胸が押し潰されそうになる。
でも、もう逃げないと決めたのだ。
「けれど、ある時……私は【反逆の罪】を着せられました。証拠も、弁明の機会も与えられず……私は、すべてを失いました」
目の奥が熱い。
でも涙は、こらえた。
「それに関しては、誰も私を信じてくれませんでした。味方だったはずの人々さえ、手のひらを返したように私を切り捨てたんです……家族はわかりません。ただ、連絡すらさせてくれませんでした……そのせいで、父まで迷惑をかけてしまいました」
あの時の、絶望が未だに目をつぶっても思い出してしまう。
声を上げても、誰も振り返らなかったあの広間の冷たさを――私は忘れられない。
「国外追放の勅命を受け、私は名前も身分も失いました……そして、気づけばこの辺境に流れ着いていたのです」
ゆっくりと、言葉が止まる。
ここから先を言えば、もう二度と引き返せない。
それでも私は――自分の手で、心の扉を開く。
「ここに来たとき、私はただ……生き延びたかった。誰にも気づかれず、静かに朽ちていくことが許されるなら、それでもいいと思っていました……だから、名前を偽りました。過去を伏せて【セラ】という他人になろうとしました」
私は、拳を握りしめた。
「でも……」
将軍様の顔が、脳裏に浮かぶ。
サーシャの笑顔、屋敷のあたたかさ。
すべてが、私に【生きる】事を思い出させてくれた。
「将軍様は、何も知らないまま私を助けてくださった。どこの誰とも知らない私を、信じてくださって……屋敷に置いてくださって……」
涙が、ぽたりと床に落ちた。
「私は、そのご恩に……誠実でいたかった。なのに……ずっと、黙っていました。騙すつもりではなかったんです。でも、言えばすべてを失うのが怖くて……」
もう、涙を止められなかった。
視界が歪む。けれど、それでも最後まで言わなければ。
「……嘘をついていて、本当に……ごめんなさい」
私は深く、深く頭を下げた。
絨毯の上に、涙のしずくが静かに落ちる音だけが静かに部屋に響いていたのかもしれない。
この瞬間、全てが終わっても仕方ない。
だけど、それでも――私は、本当の自分を伝えたかった。
「……もし、この屋敷に……置いていただけないのなら……私は、出ていきます」
微かな唇が震える。
でも、これは私が選んだ道だ。
「でも、最後に……ちゃんと、本当のことを伝えたかったんです。将軍様にだけは嘘をついたままでいたくなかった……」
小さな声だった。
囁くようなその言葉に、全ての思いを込めた。
彼の、返事がない。
私は顔を上げられないまま、ただ、答えを――彼の言葉を、静かに待っていた。
屋敷の中庭に立ちながら、私は何度も深呼吸を繰り返している。
胸の奥が落ち着かない。手のひらが冷たい。けれど――もう、逃げないと決めた。
「……将軍様」
執務室の扉をノックすると、中から低い声が返ってくる。
「――入れ」
扉を開けた瞬間、将軍様の視線がまっすぐこちらへ向けられている。
しかし、その目はいつもと変わらない。疑いも、苛立ちもなく、ただ静かに――私を見ている。
「どうした、セラ?」
その呼び方に、胸が少しだけ痛んだ。
私は扉を閉め、一度だけ深呼吸をした後、ゆっくりと歩み寄る。
足音がやけに大きく響く気がした。
「あの……少し、お時間をいただけますか」
「ああ、構わないが……」
将軍様は椅子から立ち上がり、机の前から離れて私と向かい合うように立った。
逃げ道を塞ぐでも、問い詰めるでもなく、ただ聞く姿勢を見せながら。
それが、余計に苦しかった。
私は、ぎゅっと手を握る。
「……将軍様」
「なんだ?」
「あの……私は……ずっと、嘘をついていました」
私の言葉を聞くと同時に、一瞬動きが止まったように見え、同時に沈黙が落ちる。
けれど、目を逸らしてしまえば全てが崩れるような気がして私は必死に将軍様の顔を見つめた。
彼は一言も発さずに、私を見ていた。
「えっと……【セラ】という名前は……本当の名前ではありません」
喉の奥が熱い。
息が苦しい。けれど、口を開いた。
「私の、その、本当の名は――セレスティア・アルセインです」
言った、言ってしまった!
その瞬間、空気が静まり返った気がして、まるで時間までもが凍りついたかのようだった。
けれど、将軍様の表情は変わらない。
その沈黙が、逆に苦しくて、私は一気に言葉を吐き出すように続けた。
「私は嘗て、王都にて、王太子殿下の婚約者でした。侯爵家の令嬢として育てられて政略結婚の駒として……それが私の【役割】でした」
言葉を重ねるほどに、胸が押し潰されそうになる。
でも、もう逃げないと決めたのだ。
「けれど、ある時……私は【反逆の罪】を着せられました。証拠も、弁明の機会も与えられず……私は、すべてを失いました」
目の奥が熱い。
でも涙は、こらえた。
「それに関しては、誰も私を信じてくれませんでした。味方だったはずの人々さえ、手のひらを返したように私を切り捨てたんです……家族はわかりません。ただ、連絡すらさせてくれませんでした……そのせいで、父まで迷惑をかけてしまいました」
あの時の、絶望が未だに目をつぶっても思い出してしまう。
声を上げても、誰も振り返らなかったあの広間の冷たさを――私は忘れられない。
「国外追放の勅命を受け、私は名前も身分も失いました……そして、気づけばこの辺境に流れ着いていたのです」
ゆっくりと、言葉が止まる。
ここから先を言えば、もう二度と引き返せない。
それでも私は――自分の手で、心の扉を開く。
「ここに来たとき、私はただ……生き延びたかった。誰にも気づかれず、静かに朽ちていくことが許されるなら、それでもいいと思っていました……だから、名前を偽りました。過去を伏せて【セラ】という他人になろうとしました」
私は、拳を握りしめた。
「でも……」
将軍様の顔が、脳裏に浮かぶ。
サーシャの笑顔、屋敷のあたたかさ。
すべてが、私に【生きる】事を思い出させてくれた。
「将軍様は、何も知らないまま私を助けてくださった。どこの誰とも知らない私を、信じてくださって……屋敷に置いてくださって……」
涙が、ぽたりと床に落ちた。
「私は、そのご恩に……誠実でいたかった。なのに……ずっと、黙っていました。騙すつもりではなかったんです。でも、言えばすべてを失うのが怖くて……」
もう、涙を止められなかった。
視界が歪む。けれど、それでも最後まで言わなければ。
「……嘘をついていて、本当に……ごめんなさい」
私は深く、深く頭を下げた。
絨毯の上に、涙のしずくが静かに落ちる音だけが静かに部屋に響いていたのかもしれない。
この瞬間、全てが終わっても仕方ない。
だけど、それでも――私は、本当の自分を伝えたかった。
「……もし、この屋敷に……置いていただけないのなら……私は、出ていきます」
微かな唇が震える。
でも、これは私が選んだ道だ。
「でも、最後に……ちゃんと、本当のことを伝えたかったんです。将軍様にだけは嘘をついたままでいたくなかった……」
小さな声だった。
囁くようなその言葉に、全ての思いを込めた。
彼の、返事がない。
私は顔を上げられないまま、ただ、答えを――彼の言葉を、静かに待っていた。