追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
第25話 心の扉
夕方、炊事場の片づけが一段落して、私はサーシャと並んで井戸端に腰を下ろしていた。
空は茜色に染まっており、辺境の空気は少し冷たかったが、それが心地よかった。
サーシャとは、今日もよく喋った。
兵舎の食堂で誰がどれだけ食べたとか、将軍様が昼にちょっとだけ笑ってたとか、そういう小さなこと。
「――ねえ、セラ」
その声色が、少しだけ変わった気がしたので、私は手を止めて振り返る。
「セラって……本当は、どこから来たの?」
優しい声だった。責めるような響きも、詮索する意図もなかった。
ただ、ずっと気になっていたのだろう。
私の所作や言葉の節々から、きっと何か違和感を感じていたに違いない。
そして最近、私の噂が広がっている。だからこそ、聞きたくなってしまったのかもしれない。
私の心臓が一つ、大きく跳ねた。
言葉が喉で詰まり、答えようとしたけれど――出てこない。
「……ごめん。嫌だったら無理に答えなくていいよ」
サーシャは笑った。あくまで気軽な調子で。
「私は別に、セラが何者であれ気にしないけどね。ちゃんと働いているし、真面目だし、優しい人だって知ってるし」
サーシャの言葉を聞いた私は、誰よりもその言葉を痛く感じてしまったのかもしれない。
気にしないと言ってくれた優しさが、私の嘘をひどく際立たせた。
嘘をついている自分が、どれほど彼女の信頼を踏みにじっているのか、急に怖くなった。
「……ごめんなさいっ!」
私は、声を震わせたまま立ち上がった。
サーシャの驚いた顔が視界の隅に映る。
「セラ、ちょっと、どうしたの……?」
彼女の問いに答えられなかった。
私はその場から逃げるように井戸を離れ、中庭の奥へと歩き出した。
▽ ▽ ▽
中庭の石段に腰を下ろした後、私は懐から小さな蝋燭を取り出す。
火を灯してみると、夜風に揺れるその小さな光が心の中の迷いを照らすような気がした。
私は――誰にも、本当の自分を話していない。
名前も偽り。生まれも隠し。王都で何があったのかもすべて、口を閉ざしてきた。
過去を語ることで、今ある居場所が壊れてしまうのがとても怖かった。
(でも……)
それは、誰かを欺いて生きることと、同じだ。
将軍様は、あれほどの言葉をくれたのに。
「ここにいろ」
「一緒に生きていかないか」
そのように言ってくださったのに、私はそれにちゃんと向き合えているだろうか?
サーシャだって、私を友達として見てくれていた。
けれど、その信頼に私は正面から応えられていない。
――こんなままでは、いけない。
風が吹いて、蝋燭の炎が揺れる。
私はそれを両手で覆いながら、静かに目を閉じる。
「……もう、嘘をつくのはやめよう」
その言葉は、自分自身に向けたものだった。
私は、セレスティア。
かつて王太子の婚約者だった女。
貴族社会から追放され、名前も居場所も失った存在。
でも――今は違う。
私は、この辺境の地で一生懸命生きている。
誰かの役に立ちたくて、学び、働き、心を通わせてきた。
だから、もう逃げるのはやめよう。
この想いも、この過去も。
全て、向き合おう。
蝋燭の火が、夜の静寂に小さく揺れていた。
空は茜色に染まっており、辺境の空気は少し冷たかったが、それが心地よかった。
サーシャとは、今日もよく喋った。
兵舎の食堂で誰がどれだけ食べたとか、将軍様が昼にちょっとだけ笑ってたとか、そういう小さなこと。
「――ねえ、セラ」
その声色が、少しだけ変わった気がしたので、私は手を止めて振り返る。
「セラって……本当は、どこから来たの?」
優しい声だった。責めるような響きも、詮索する意図もなかった。
ただ、ずっと気になっていたのだろう。
私の所作や言葉の節々から、きっと何か違和感を感じていたに違いない。
そして最近、私の噂が広がっている。だからこそ、聞きたくなってしまったのかもしれない。
私の心臓が一つ、大きく跳ねた。
言葉が喉で詰まり、答えようとしたけれど――出てこない。
「……ごめん。嫌だったら無理に答えなくていいよ」
サーシャは笑った。あくまで気軽な調子で。
「私は別に、セラが何者であれ気にしないけどね。ちゃんと働いているし、真面目だし、優しい人だって知ってるし」
サーシャの言葉を聞いた私は、誰よりもその言葉を痛く感じてしまったのかもしれない。
気にしないと言ってくれた優しさが、私の嘘をひどく際立たせた。
嘘をついている自分が、どれほど彼女の信頼を踏みにじっているのか、急に怖くなった。
「……ごめんなさいっ!」
私は、声を震わせたまま立ち上がった。
サーシャの驚いた顔が視界の隅に映る。
「セラ、ちょっと、どうしたの……?」
彼女の問いに答えられなかった。
私はその場から逃げるように井戸を離れ、中庭の奥へと歩き出した。
▽ ▽ ▽
中庭の石段に腰を下ろした後、私は懐から小さな蝋燭を取り出す。
火を灯してみると、夜風に揺れるその小さな光が心の中の迷いを照らすような気がした。
私は――誰にも、本当の自分を話していない。
名前も偽り。生まれも隠し。王都で何があったのかもすべて、口を閉ざしてきた。
過去を語ることで、今ある居場所が壊れてしまうのがとても怖かった。
(でも……)
それは、誰かを欺いて生きることと、同じだ。
将軍様は、あれほどの言葉をくれたのに。
「ここにいろ」
「一緒に生きていかないか」
そのように言ってくださったのに、私はそれにちゃんと向き合えているだろうか?
サーシャだって、私を友達として見てくれていた。
けれど、その信頼に私は正面から応えられていない。
――こんなままでは、いけない。
風が吹いて、蝋燭の炎が揺れる。
私はそれを両手で覆いながら、静かに目を閉じる。
「……もう、嘘をつくのはやめよう」
その言葉は、自分自身に向けたものだった。
私は、セレスティア。
かつて王太子の婚約者だった女。
貴族社会から追放され、名前も居場所も失った存在。
でも――今は違う。
私は、この辺境の地で一生懸命生きている。
誰かの役に立ちたくて、学び、働き、心を通わせてきた。
だから、もう逃げるのはやめよう。
この想いも、この過去も。
全て、向き合おう。
蝋燭の火が、夜の静寂に小さく揺れていた。