消して、奪って、きみだけを
●第7章 花の傷跡
拒まなきゃ。離れなきゃ。
頭では分かっているのに、身体が動かない。
ゆっくりと顔が近づいていく────。
「……っ」
呼吸さえ押し殺していたら、ふいに涼の手が緩んだ。
それを合図に弾かれたようにあとずさると、その顔も見られないまま逃げ出す。
走る前から息が切れていたけれど、構わず階段を駆け上がっていった。
誰もいない屋上へ出ると、その真ん中くらいまで進んでようやく足を止める。
早鐘を打つ心臓の音が耳元で鳴り響いていた。
強張った自分の両手を見ると、小さく震えている。
初めて、涼を怖いと思った。
突然抱き締められて、押し返そうにも力じゃ全然敵わなかったし、掴まれた腕を振りほどくことすらできなかった。
その感触が鈍い痛みとして残っている。
あんなに背が高かっただろうか。
あんなに力が強かっただろうか。
よく知っているはずの彼が、別人みたいに感じられた。
ひどく混乱していて、呼吸も落ち着かない。
感情は手当たり次第に色をぶちまけたパレットみたいにぐちゃぐちゃだ。
震えが止まらない両手を握り締めると、何だか泣きそうになった。
「羽衣!」
扉が開くと同時に、そう呼びながら現れたのは叶人くんだった。
振り向く気力すら失っていたわたしの正面へ回り込んでくると、心配そうに少し屈んで目線を合わせてくれる。
「平気?」
「そ、の……わたし……」
何があったのか真っ先に尋ねないということは、一部始終を目にしていたのかもしれない。
何か言おうにも声が掠れて言葉にならなかった。
次の瞬間、ふわりと包み込まれるように叶人くんの腕の中におさめられていた。
彼のにおいとあたたかさにほっとしたら、糸が切れたみたいに涙がこぼれ落ちた。
「大丈夫、大丈夫だよ。ゆっくり息して」
なだめるように背中を撫でてくれながら、染みるほど優しい声でそう言ってくれる。
吸っても吸っても酸素を取り込めなくて苦しかったのに、そのひとことで思わず息を吐き出したら急に楽になった。
呼吸の仕方を思い出して、ようやく震えがおさまってくる。
「……落ち着いた? 怖かったよね。もう大丈夫だから」
「ご、めん。ごめんね……」
きゅ、とその腕にしがみつきながらそう繰り返した。
不安にさせるようなことはしたくないと、安心して欲しいと思っていたのに、あんな場面を見た彼はどう感じただろう。