社長の推しは、地味メガネのわたしでした。

弱さからの訣別

「律季、久しぶりね」

 事務所近くにある洒落たカフェに入ると、すぐに目的の人物は見つかった。窓ぎわのテーブル席に座り、本を読む姿に、チラチラと視線を送る女性たち。そんな熱い視線にも我関せずな態度に、内心苦笑をもらす。

 律季も相変わらず変わらないのね。

 美春と律季、三人で話し合いをした日から早三ヶ月。私たち三人の生活は大きく変わった。

 ステージに立つことを決めた私は、会社に三ヶ月の休暇届けを出し、本格的なダンスレッスンを開始した。そして、美春と二人住んでいたマンションから、事務所借り上げのアパートへと引っ越し一人暮らしを始めている。

 あの日から美春には会っていない。

『美春はどうしているだろうか?』と、そんなことを考えながら律季が座るテーブルの前の席につく。

「あぁ、穂花か。久しぶりだな。あの日から三ヶ月か……、調子はどうだ?」

「なんとか、様になってきた。まぁ、美春の足元にも及ばないと思うけどね」

 レッスンを開始してわかったこともある。美春の努力を。

 プロとしてステージに立つことの大変さ、クオリティーを上げ観客を満足させられるだけのパフォーマンスに仕上げるには並大抵の努力では出来ない。日々の練習の積み重ねはもちろんのこと、数時間のステージを熟るだけの体力づくりから、身体づくりのための食事に至るまで、日常生活で気をつかうことは多岐にわたる。

 しかも、それだけではない。

 何度も行われる綿密な打ち合わせや数十回と繰り返されるリハーサル。一つのライブを開催するのに費やされる時間と労力は計り知れない。

 それを、美春は熟してきたのだ。

 彼女のステージをずっと見てきた私ならわかる。満足そうな笑顔を浮かべ帰路に立つファンの多さを私はずっと見てきた。それは、紛れもなく美春の努力のもと築きあげられた成果だった。

 美春の言動に振り回され、現状を卑下することしか出来なかった昔の自分では気づけなかったことが、今の自分ならわかる。

 美春と離れて、自分もまた成長出来ているのかもしれない。

 劣等感の塊だった自分の背中を押してくれた人の顔が脳裏に浮かび笑みが浮かぶ。

「おいおい、そんなんで大丈夫なのかよ、明日のライブ」

「大丈夫だと思う、たぶん……」

「なんだよ、それ。もう、後には引けないからな」

「わかっている。ちょっと、緊張してきただけ。ダンスの先生にもOKもらったし、大丈夫よ」

「まぁ、仕上がりは問題ないと報告が来ていたか。それにしても、穂花がここまでやり遂げるとは思ってなかったよ。本気だったんだな……」

 律季の言う通り、まさか自分がここまでやり遂げられるとは思っていなかった。過酷を極めたダンスレッスン。来る日も来る日も踊り続けた。帰宅すれば、倒れるように寝て、次の日にはまたレッスンが始まる。そんな日々を耐え抜けたのも、颯真さんとの約束があったから。

 弱い私から変わると約束した。その約束を胸に今日まで頑張ってきた。

「今まで、ありがとう。律季がいてくれたから、明日のステージ迎えれると思っている。右も左もわからない私をずっと陰で支えてくれていたでしょ」

「そりゃ、そうだろう。俺は、鏡レンナのマネージャーでもあるが、花音のマネージャーでもあるんだからな」

「それも、そうね。でも、あの日、美春を説得してくれなきゃ、今はないもの。私に最後のチャンスをくれたのは、紛れもなく律季だよ」

「ある意味、賭けだったんだよ……」

「賭け? どう言うこと?」

「ある男に言われたんだよ。今の俺じゃ、絶対にアイツには勝てない。美春と一緒に穂花を飼い殺しにしている俺じゃ、穂花は俺の手を取らないとね。穂花、すまなかった……」

 頭を下げる律季を見て、美春と律季と三人過ごした日々が走馬灯のように頭を巡る。
< 82 / 98 >

この作品をシェア

pagetop