婚約者にバカにされ続けた侯爵令嬢が「ざまぁ」するに至るまで

23.傷ついた自尊心と積み重なった劣等感

「読みました」


 ミラジェーンは自らの膝の上で眠っているエースに声をかけた。



 ――最初は甘えたふりでもたれかかっていたエースだったが、いつの間にかぐっすりと眠り込んでいた。

 肩に寄りかかられていると重く、腕も痺れてきたため、ミラジェーンはエースの頭を自らの脚の上へ移した。

 その様子を見ていたエースの秘書官の青年から、


「重たいでしょうから地面に突き落としてもらってかまいませんよ」


 と爽やかな笑みで言われたが、さすがに王族を地面に落とす勇気はなく、エースに心配をかけた自覚もあったため、そのままにしておいた。


「主が申し訳ありません、ブライズ嬢。お詫びとして、できることでしたら何でもいたします。主が」

「ふふ、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。第二王子殿下もお疲れのご様子ですから」


 ミラジェーンはかすかに微笑み、エースの寝顔を見つめていた。

 眉間にはしわが寄り、目の下にはかすかに隈ができていた。


「ブライズ嬢は……いえ、出過ぎた真似でした。そちらの報告書に関しまして、取りまとめはわたくしがしておりますので、不明な点があれば何でも聞いてください」

「はい、ありがとうございます。ではさっそくなのですが、ここの時期って……」


 こうしてミラジェーンは秘書官とともに報告書の内容をすべて確認した。

 それから侍女が持ってきた茶を飲み、菓子を口にし、一息ついてからエースを起こした。


「っ、ごめん!! 申し訳ない……っ、レディになんて失礼な真似を……」


 目を開けたエースは勢いよく飛び起き、そのまま流れるように地面に降りて跪いた。


「で、殿下!? 顔を上げてくださいませ、大丈夫ですから」

「だが……っ」

「わたくしがそうさせていただいたのです。殿下もお疲れのご様子でしたし」

「そうですよ主」


 慌てるミラジェーンに、苦笑した秘書官が口を挟んだ。


「話が進みませんから、今後気をつけるということで、手短に謝罪を済ませましょう」

「お前、デリカシーはどこに置いてきたんだ?」

「実家の借金のかたに売り払いました。それより主、ブライズ嬢は報告書の確認をお済ませです」

「ミラ、俺の秘書官がすまない。あとで流刑にするから許してくれ」

「い、いえ……仲がよろしいのですね」

「こいつは元々俺の倍童なんだ。いや、今はそれはいい」


 エースはミラジェーンの隣に座り直し、秘書官もその後ろに下がった。


「その報告書を読んで、ミラはどうしたい?」


 ミラジェーンは黙したままうつむき、手元の紙束に目を落とした。

 そこにはエリオットが男爵家や子爵家の令嬢たちと火遊びを繰り返していた記録が、数多く綴られていた。


「……わかりませんの。そもそも、わたくしとエリオット様の婚約は政略結婚です。それがオリン公爵家、ひいては国家のためになると国王陛下が判断しております」


 エースは何も言わなかった。

 すぐ後ろに立っていた秘書官には主の奥歯が軋む音が聞こえた気がしたが、何も言わず控えていた。


「であれば、エリオット様がどのような方であろうと、わたくしに求められるのはオリン公爵家の財政の立て直しと、次期女主人としての腕前なのではないかしら」

「……そういう面があることを、俺は否定しないけど」


 エースはゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。

 感情を抑え、拳を握りしめながら、できる限り淡々と続けた。


「ミラは、自らの価値や輝きを貶めるような相手と生涯を共にできるのかい? 俺はそんなことには耐えられない」


 ミラジェーンは顔を上げ、エースを見て目を丸くした。


「……殿下。わたくしに、そのような……殿下にそこまで仰っていただけるような価値がありま」

「ある!」


 エースが声を張った。

 ミラジェーンは驚いて思わずのけぞったが、エースは構わず迫った。


「俺が知る中で、きみは最も魅力的で素晴らしい女性なんだ。そんな卑下するようなことは言わないでくれ」

「で、ですが……本当に魅力があるのなら、婚約した途端に遊び歩かれるようなことはないのでは? エリオット様はもともと女遊びに精を出す方ではありませんよね?」

「ばか!」

「ばか!?」


 エースの子供のような罵倒に、ミラジェーンは思わず聞き返し、秘書官と侍女は吹き出した。


「ああ、きみは誰よりも聡明なのに、どうしてそう愚かなんだ。違う。君に魅力がないからエリオットは浮気したんじゃない。どうしたって君に敵わない愚鈍で頭の悪いすっとこどっこいだから、こんな愚かな真似をしたんだ」

「すっとこどっこい……」


 秘書官はまだ笑っており、ミラジェーンはあまりの罵倒にあっけにとられ、耳についた単語を繰り返すことしかできなかった。


「いいかい、ミラ。この男が手をつけた令嬢らの家名を見ただろう? 男爵家や子爵家、あるいは庶民の女性ばかりだ。自分に逆らわず、王家とのつながりが薄く、彼の虚勢に騙される女性だけを選んでいるんだ。まったく、とんだ腑抜けだ」


 エースはミラジェーンから紙束を取り上げ、なお笑っている秘書官に押しつけた。


「エリオット・オリンは姉のルーシー嬢や君に対して劣等感や焦燥感、自信のなさを抱いていた。だがそれは、赤の他人であるきみを貶めて埋めるようなものではない。自分で自分を高めて克服すべき問題だ。もちろん、誰もがそんな高尚なことができるとは思わないよ。だが、きみが犠牲になっても、何の解決にもならない」

「殿下……」


 ミラジェーンはぽかんとしたままエースを見つめた。

 それから、秘書官が整え直している報告書を見つめた。

 そのくしゃくしゃになった紙束は、自尊心を削られた自分とも、劣等感に苛まれたエリオットとも重なって見え、ミラジェーンは目を離せなかった。
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