婚約者にバカにされ続けた侯爵令嬢が「ざまぁ」するに至るまで

25.サインと噂

 ミラジェーンが婚約破棄を決意してから半月ほどが過ぎた夏の日。

 彼女は一人でオリン公爵家を訪れていた。

 事前に約束した時間を過ぎ、小一時間ほど客間の応接セットに腰を下ろして待っていると、エリオットがしかめ面で現れた。


「ミラ、僕の前にその下品なドレスで現れるなと、何度言えばわかるんだい?」


 ミラジェーンは薄手の銀と紫の布地を重ねたシミューズドレスに、濃い紫のリボンでウエストを締めていた。ドレスの裾にはワスレナグサ、リボンにはリンドウの刺繍が、それぞれ銀の糸で施されていた。

 エリオットはミラジェーンの向かいに、どかりと腰を下ろした。


「で、何の用だい?」


「エリオット様。おうかがいしたいことがございますの。こちらのご令嬢についてご存じかしら」


 ミラジェーンはエリオットの遅刻を咎めることなく、用意してあった書類をテーブルに広げた。

 エリオットはそれを見て目を見開く。


「……これは」

「エリオット様が親しくなさっていると噂される方々です」

「なんだよ、やり方が陰湿だな」


 エリオットは舌打ちし、ソファにふんぞり返った。

 ミラジェーンは背筋を伸ばし、まっすぐにエリオットを見つめた。


「なんだよ、かわいげがないな。捨てないでくださいと泣きつけば、まだ考えようもあるのに」

「エリオット様はわたくしにそのような態度をお求めでしたの?」

「ああ、そうさ。きみはブライズ侯爵家からオリン公爵家に売り飛ばされた、持参金だけが魅力の金を産むニワトリでしかないんだ。まったく、そのくせ僕には従わないし、意見ばかりで女性としての愛嬌はどこにやったんだい。そんなんだから浮いた話の一つもないのさ」


 言いたい放題のエリオットを、ミラジェーンは無表情のまま見つめていた。

 なるほど、エリオット・オリンにとってミラジェーン・ブライズは、そのような存在であったのだ。人としてすら認識していないようで、ミラジェーンは少し驚きつつも納得した。

 懐かぬニワトリとしか思っていないのなら、気遣いもエスコートもしないのも当然なのだろう。

 エースやアドルフの言っていたことが逐一正しかったと早々に証明され、ミラジェーンは自らの人を見る目の無さにうんざりしながら、別の書類を取り出した。


「エリオット様は私のことをそのようにお考えでしたのね。であれば、私がオリン公爵家に嫁ぐ必要もございませんでしょう。こちらにサインをいただけますか?」


 エリオットは受け取った書類を見て眉間にシワを寄せた。

 それは婚約破棄の同意書であり、破棄にあたっての細かな規約が連ねられ、最後に同意する者の名が記されていた。

 ミラジェーンを筆頭に、ブライズ侯爵夫妻、オリン公爵夫妻、そして最後の仲人である王家の押印まで確認し、エリオットは目を剥いた。


「こ、これは……!?」

「あなた様との婚約を破棄させていただきます、エリオット・オリン公爵令息様」

「なっ」

「ちなみにこちら、見ていただいているとおり国王陛下の承認もいただいた書類ですので、破損などがあれば国家反逆罪に問われます。取り扱いにはご注意くださいませね」


 エリオットは顔を青くし、手元の書類とミラジェーンを見比べた。


「な、これは……誰の入れ知恵だ!?」

「……と、仰いますと?」

「君のような小娘が、こんな賢しい書類を用意できるわけがないだろう!! 誰か……ああ、第二王子の妾にでもなったのかい、きみは」


 ミラジェーンはそれでも表情を変えなかった。

 いっそ、第二王子が自分の妾だと言ってやりたかったが、さすがに口を噤み、狼狽するエリオットを見つめていた。

 エリオットは焦り、勝手にべらべらと言葉を重ねた。


「それとも、姉さんか。あの人は僕を貶めるためなら何でもする卑しい女だからな。第一王子の婚約者だからって偉そうにしやがって。それとも、あのいけすかない君の兄上かい? いつも上からものを言ってくる、しがない侯爵家の跡取りでしかないくせに。君には口先しか能のない、ろくでもない小娘仲間もいたね。どうせ連中からあることないこと吹き込まれたんだろう?」

「ええ、そうなんです」


 ミラジェーンは静かに微笑んだ。


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