婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました

断ち切れない過去

「鏑木彰が、俺に面会を申し入れてきた」

「え?」

 帰宅した凌也さんと食事をしていたところ、彼の口からあまり聞きたくない名前が飛び出した。

「なんでも、広く意見を聞きたいとか」

「そう、ですか」

 政治のことはよくわからない。
 ただ、その理由がひどく曖昧なことが引っかかる。わざわざ凌也さんに声をかけた意味はなんなのかと、疑ってしまう。

 本条テクノロジーズの拠点は、彼の選挙区ではない。それにも関わらず接触してきたのは、おそらく私が原因のような気がする。

「そんな心配そうな顔をするな、凪」

「でも、私のせいで凌也さんに迷惑をかけてしまうから」

 私と結婚したことで、彼の負担を増やしてばかりいる。情けないしい心苦しくて、うつむきがちになる。

 カタリと椅子を惹く音が響き、小さく肩を揺らす。
 私の隣に座り直した凌也さんが、そっと肩を抱き寄せてきた。

 ドキリとしたのは一瞬だけ。悪い想像が経ちきれず、元婚約者の冷たい笑みが脳裏によみがえる。
 凌也さんが与えてくれる心地よい彼の温もりも、今ばかりは私を安堵させるまでには至らなかった。

「凪に会わせる気はまったくないから、そこは安心していい」

「それでも……」

 心配なのは私のことじゃないと、首を横に振る。

「なによりも世間の目を気にする政治家が、表立って悪事を働くわけがないだろ? その場には一真も同席させるし、ふたりだけで会うわけじゃない。だから大丈夫だ」

「それは、そうかもしれませんが」

 笑顔の裏で執拗に相手を追い詰めるのが、あの人のやり方だ。
 凌也さんが彼にやり込められるとは、まったく思わない。多忙な彼が時間を割かなくてはならないことが申し訳なかった。

「凪とあの男の関係は完全に切れているとはいえ、感情の上ではどうかはわからない」

 彼の話に耳を傾けながら、小さくうなずく。

 先日、街中で見かけた鏑木さんが私を見る目は睨みつけるように鋭くて、あきらかな悪感情が伝わってきた。

「向こうが自ら飛び込んでくるんだ。あの男が今なにを考えているのかを知るいい機会だ。まさかと思うが、あまりにも横暴な振る舞いをするようなら、こちらも対処する口実になる」

 直接、凌也さんに危害を加えるようなことはしないはず。なにか問題を起こしたら政治生命に関わるし、問題をもみ消してくれる父親はもういないのだから。

 その代わり、自身の持つ人脈を使って凌也さんの邪魔をするつもりかもしれない。もしくは、本条グループの内部事情を聞きだして悪用するとか?
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