アンコールは君だけに ~孤高のピアニストと秘密の契約婚~

chapter,2




 敷地内まで迎えの車で入った先に多賀宮家の正門はあった。門をくぐった瞬間、紬希は息を呑む。面接の際に案内された別棟も広いとは思っていたが、門から屋敷までの距離を測るだけでも迷子になりそうなほどである。都心とは思えない緑に囲まれた敷地。白い石畳が続くアプローチ。その先に、ガラスと白い壁で構成された邸宅が静かに佇んでいた。
 モダンで無駄のない、どこか冷たい印象を持つ建物、それが多賀宮奏の生活拠点であった。
 二月の終わり、多賀宮家の庭は、まだ冬の面影を残している。だが……よく見ると、石畳の隙間から小さな草芽が顔を出している。福寿草だろうか。
 池のほとりには、薄紅色の寒桜と白梅が数輪だけ開いていた。

 ――もう春が来ようとしているんだ。

 紬希は、ぼんやりと白い花を見つめた。冬の厳しい寒さは相変わらずだが、それでも何かが動き始めていると、紬希は肌で感じた。

 ――ここが、わたしの家になる。

 そう思った瞬間、紬希の足がすくむ。
 だが、彼女の戸惑う姿を気に掛けることもなく、玄関前が騒がしくなる。

「お待ちしておりました、奥様」

 黒いユニフォームを揃えた使用人たちが、整列していた。十人近い人数が一斉に頭を下げる。
『奥様』という言葉が、紬希の耳の中で奇妙に響く。
 自分のことだと理解するまでに、少し時間がかかった。
 隣に立つ奏は慣れた様子で彼らを一瞥し、「紹介する。今日から私の妻になった紬希だ」と短く告げる。
 それだけで、十人の使用人たちが紬希に向かって再び深々と一礼した。
 紬希は、反射的にお辞儀を返してしまう。その動きを見て奏が目を眇めた。だが、紬希は気づかない。
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