君と終わった街で
第6章 好きなら、逃げんなよ
あの日から、三日が経っていた。
まだ正式に付き合ったわけじゃない。
でも、二人の空気はもう完全に変わっていた。
『ちゃんと薬飲めよ』
『飲んでる』
『絶対忘れてると思った』
『子供扱いしないで』
『咳してる時点で子供』
そんなLINEを見て、文姫は一人で少し笑ってしまう。
高校生みたいだと思う。
病院の待合室。
平日の昼前。
静かな空間に、時々咳払いが響く。
文姫はマスク越しに小さく息を吐いた。
熱はもうない。
でも咳だけが少し長引いていた。
『平井 桃花さんー』
その名前を聞いた瞬間。
文姫の視線が、思わず受付の方へ向く。
立ち上がった女の子と、一瞬だけ目が合った。
長い茶髪。
モデルみたいに整った顔立ち。
若くて、綺麗な子だった。
文姫は直感で分かる。
――この子だ。
洸太にキスした子。
桃花はそのまま診察室へ入っていく。
文姫は小さく息を吐いた。
胸の奥が、少しだけ落ち着かない。
数十分後。
会計を終えた文姫が病院の外へ出る。
曇り空。
少し湿った風。
薬袋をバッグへしまいながら、小さく咳をする。
その時、後ろから扉が開く音がした。
振り返る。
さっきの女の子だった。
文姫は少し迷う。
でも、そのまま帰れなかった。
「……あの」
桃花が足を止める。
少し驚いた顔で振り返った。
文姫は自分でも何を言えばいいのか分からないまま、口を開く。
「平井さん……ですよね」
桃花は小さく頷く。
文姫は一瞬迷って、それから静かに言った。
「洸太の後輩の」
その瞬間。
桃花の表情が変わる。
数秒遅れて、何かに気づいたみたいに目を見開いた。
「……え」
文姫は少し気まずそうに笑う。
「堤文姫、です」
桃花が小さく息を呑む。
その反応だけで、全部伝わってしまった気がした。
少し気まずい沈黙が落ちる。
文姫は話しかけたことを少し後悔し始めていた。
何を聞きたかったんだろう。
何を話すつもりだったんだろう。
そんなことを考えていると。
桃花の方が先に、小さく笑った。
「……少し、話しませんか?」
病院の近くのカフェは、平日の昼前だからか空いていた。
窓際の席。
運ばれてきたアイスコーヒーを前にしても、文姫はまだ少し落ち着かなかった。
桃花はストローを軽く弄びながら、静かに文姫を見る。
「先輩、言ってました」
文姫が顔を上げる。
「堤さんは脈ナシだって」
胸が、小さく痛む。
高校時代の話だと分かっていても、その言葉は少し刺さった。
桃花は真っ直ぐ文姫を見る。
「でも、堤さんはどうなんですか?」
静かな声だった。
逃がさないみたいに真っ直ぐで。
文姫は言葉に詰まる。
どうなんですか。
その質問に、簡単に答えられたら苦労しない。
好きだ。
たぶん、もう間違いなく。
でも。
まだちゃんと、自分の口で洸太へ伝えられていない。
文姫は視線を落とす。
それから、小さく呟いた。
「……好き」
喉が少し詰まる。
文姫は小さく息を吐いて、続けた。
「……だと思う」
その瞬間。
桃花の表情が、静かに変わった。
「……は?」
低い声だった。
文姫が顔を上げる。
桃花は笑っていなかった。
「先輩、十年ずっと堤さんのこと好きだったんですよね?」
空気が少し張る。
桃花は視線を逸らさない。
「なのに、“だと思う”ってなんなんですか」
その言葉が、胸へ刺さる。
文姫は何も言えなかった。
桃花は感情を押さえるみたいに、小さく息を吐く。
でも、抑えきれていなかった。
「先輩、堤さんから連絡返ってこないだけでめちゃくちゃ落ち込んでたんですよ」
「堤さんのことで、ずっと振り回されて」
「それでも嬉しそうで」
桃花の声が少し震える。
悔しいのだと分かった。
本気だから。
「そんな先輩に対して、その曖昧な返事はずるいです」
文姫の胸が痛む。
図星だった。
怖かった。
また誰かをちゃんと好きになることも。
その気持ちを口にすることも。
でも。
それで洸太を待たせているのも事実だった。
桃花は真っ直ぐ文姫を見る。
その目だけは、一歩も引いていない。
「そんなに曖昧なら」
静かな声だった。
でも、強かった。
「先輩、諦めてください」
文姫の呼吸が止まる。
桃花は続ける。
「先輩は、私が幸せにします」
まだ正式に付き合ったわけじゃない。
でも、二人の空気はもう完全に変わっていた。
『ちゃんと薬飲めよ』
『飲んでる』
『絶対忘れてると思った』
『子供扱いしないで』
『咳してる時点で子供』
そんなLINEを見て、文姫は一人で少し笑ってしまう。
高校生みたいだと思う。
病院の待合室。
平日の昼前。
静かな空間に、時々咳払いが響く。
文姫はマスク越しに小さく息を吐いた。
熱はもうない。
でも咳だけが少し長引いていた。
『平井 桃花さんー』
その名前を聞いた瞬間。
文姫の視線が、思わず受付の方へ向く。
立ち上がった女の子と、一瞬だけ目が合った。
長い茶髪。
モデルみたいに整った顔立ち。
若くて、綺麗な子だった。
文姫は直感で分かる。
――この子だ。
洸太にキスした子。
桃花はそのまま診察室へ入っていく。
文姫は小さく息を吐いた。
胸の奥が、少しだけ落ち着かない。
数十分後。
会計を終えた文姫が病院の外へ出る。
曇り空。
少し湿った風。
薬袋をバッグへしまいながら、小さく咳をする。
その時、後ろから扉が開く音がした。
振り返る。
さっきの女の子だった。
文姫は少し迷う。
でも、そのまま帰れなかった。
「……あの」
桃花が足を止める。
少し驚いた顔で振り返った。
文姫は自分でも何を言えばいいのか分からないまま、口を開く。
「平井さん……ですよね」
桃花は小さく頷く。
文姫は一瞬迷って、それから静かに言った。
「洸太の後輩の」
その瞬間。
桃花の表情が変わる。
数秒遅れて、何かに気づいたみたいに目を見開いた。
「……え」
文姫は少し気まずそうに笑う。
「堤文姫、です」
桃花が小さく息を呑む。
その反応だけで、全部伝わってしまった気がした。
少し気まずい沈黙が落ちる。
文姫は話しかけたことを少し後悔し始めていた。
何を聞きたかったんだろう。
何を話すつもりだったんだろう。
そんなことを考えていると。
桃花の方が先に、小さく笑った。
「……少し、話しませんか?」
病院の近くのカフェは、平日の昼前だからか空いていた。
窓際の席。
運ばれてきたアイスコーヒーを前にしても、文姫はまだ少し落ち着かなかった。
桃花はストローを軽く弄びながら、静かに文姫を見る。
「先輩、言ってました」
文姫が顔を上げる。
「堤さんは脈ナシだって」
胸が、小さく痛む。
高校時代の話だと分かっていても、その言葉は少し刺さった。
桃花は真っ直ぐ文姫を見る。
「でも、堤さんはどうなんですか?」
静かな声だった。
逃がさないみたいに真っ直ぐで。
文姫は言葉に詰まる。
どうなんですか。
その質問に、簡単に答えられたら苦労しない。
好きだ。
たぶん、もう間違いなく。
でも。
まだちゃんと、自分の口で洸太へ伝えられていない。
文姫は視線を落とす。
それから、小さく呟いた。
「……好き」
喉が少し詰まる。
文姫は小さく息を吐いて、続けた。
「……だと思う」
その瞬間。
桃花の表情が、静かに変わった。
「……は?」
低い声だった。
文姫が顔を上げる。
桃花は笑っていなかった。
「先輩、十年ずっと堤さんのこと好きだったんですよね?」
空気が少し張る。
桃花は視線を逸らさない。
「なのに、“だと思う”ってなんなんですか」
その言葉が、胸へ刺さる。
文姫は何も言えなかった。
桃花は感情を押さえるみたいに、小さく息を吐く。
でも、抑えきれていなかった。
「先輩、堤さんから連絡返ってこないだけでめちゃくちゃ落ち込んでたんですよ」
「堤さんのことで、ずっと振り回されて」
「それでも嬉しそうで」
桃花の声が少し震える。
悔しいのだと分かった。
本気だから。
「そんな先輩に対して、その曖昧な返事はずるいです」
文姫の胸が痛む。
図星だった。
怖かった。
また誰かをちゃんと好きになることも。
その気持ちを口にすることも。
でも。
それで洸太を待たせているのも事実だった。
桃花は真っ直ぐ文姫を見る。
その目だけは、一歩も引いていない。
「そんなに曖昧なら」
静かな声だった。
でも、強かった。
「先輩、諦めてください」
文姫の呼吸が止まる。
桃花は続ける。
「先輩は、私が幸せにします」