身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜

31 さようなら、愛しの天使(ベアトリスside)

「急に訪ねてしまってごめんなさい、マリアンヌ様」

 私はブラン伯爵邸を訪れていた。
 大事な話があるからと人払いを頼み、庭園を回ることにした。

「いいえ、大丈夫ですわ。お気になさらないでください、ベアトリス様」

 彼女の表情からは戸惑いの色が見える。
(ふふっ、それはそうですわ。どこかに行ったはずのベアトリスが、帰ってきたのですから)


 先日、マリアンヌ様が襲撃された事件で、スミレは私の身体の中から消えてしまった。

 私がマリアンヌ様を助けたい一心で、自分の身体を動かそうと中に入ってしまったのが原因かもしれない。
 目を覚ました時には、私は自分の身体に戻っていた。

「あの……ベアトリス様には助けていただきまして、ありがとうございました。お怪我はありませんか……?」

 マリアンヌ様はどこか視線を泳がせ、言いづらそうに尋ねてくる。
 きっとスミレのことが気がかりなのだろう。

「えぇ。……大丈夫ですわ」
 スミレが消えたなんて言ったら、心配をかけてしまうので、それ以上は伝えなかった。

「そうですか……、よかったですわ……」
 マリアンヌ様は安堵の溜息を漏らし、笑顔を見せた。

 彼女を襲った首謀者が、カタリナ様だと判明した。療養という名目で領地に幽閉されることになったと、アルフレッドから聞き出した。
 それで、マリアンヌ様を邪魔する人間は、一人排除された。腰巾着の令嬢達だけでは、何も手出しはできない。

 あとは悔しいけれど、殿下に任せておけば安心だろう。
(私の心残りは、あと一つだけですわね……)

  
 庭園に咲き誇るバラが強風に揺れ、甘い香りを運んでくる。
 風がやんだタイミングで、私は静かに口を開いた。

「……マリアンヌ様は覚えているかしら? 私たちの出会いもバラの咲く庭園でしたこと……」

 あれはまだ十歳の頃だった。
 母に連れられてガーデンパーティーに参加した日、私はマリアンヌ様と出会った。

 マリアンヌ様はマナーもまだ未熟、それに内向的で母である伯爵夫人の陰に隠れていた。それでも愛情いっぱい受けて育ったのが、見てわかった。

 一方、私は幼い頃から厳しい教育を受けていた。父からはマルソー侯爵家の駒としか思われず、母は私に無関心だった。両親の愛なんて知らない。
 だから、初めて会った時は彼女がとても羨ましくて、妬ましかったのだ。
 
 他の令嬢にマナーの未熟さを指摘され、庭園でカーテシーの練習をするマリアンヌ様を目撃した。
 私は、彼女が瞳に涙を溜めながら、必死に練習をする不器用な姿を見ていられず、思わず声をかけてしまった。

『ちょっと、あなた! そんなこともできないんですの!?』

 少しコツを教えただけなのに、泣きながらお礼を言うマリアンヌ様に毒気を抜かれてしまう。

(この子、本当に大丈夫なのかしら……って、心配になったのですわ……)

 それから、私はマリアンヌ様を放っておけなくなった。

 ある日、マリアンヌ様は私の瞳をまじまじと見つめて言う。
『わぁ……、ベアトリス様の瞳って、綺麗な色ですわね』

『そう? 私は嫌ですわ! 前にバイオレットみたいな色だと言われましたのよ。信じられます? あの地味な花ですわよ?』

 庭園の隅でひっそりと咲いている、あのバイオレットのようだなんて、失礼にも程がある。

『そうかしら? 私は可愛くて好きですわ! バイオレットも、ベアトリス様の瞳も』

 屈託なく笑うマリアンヌ様に言われ、私は自分の瞳の色が大好きになった。

 
(ふふっ、私も単純なものですわね……)

 マリアンヌ様は懐かしげに目を細める。 
「えぇ、覚えていますわ。ベアトリス様は何でも完璧で、私の憧れなのですわ」
 そんなふうに思ってくれていたと知り、私の胸が震えた。

「……マリアンヌ様。ありがとう、そう言っていただけて嬉しいですわ……。私も、あなたのその天真爛漫なところ、とても好きですわよ……」

 私が笑顔で伝えると、彼女のエメラルドの瞳が開かれる。
 
「私は……、ずっと……あなたの幸せを願っていますわ……」
 ――さようなら、私の天使。


「お待たせしましたわね。……感謝いたしますわ」
 馬車に戻ってくると、連れてきてくれた眼鏡……、アルフレッドへ素直にお礼を言った。

「あぁ……、……その……ブラン伯爵令嬢には……」
 アルフレッドは聞きづらいのか、口ごもる。

「えぇ。お別れして来ましたわ」

 アルフレッドには、全て話した。
 天界でのスミレとの出会いや、身体を押し売りしたこと。それに、私のマリアンヌ様への思いも。

「それで……本当に、消える気なのか? ベアトリス」
 眼鏡の奥の瞳が、心配そうに揺れた。
 
「えぇ。もう、この世に思い残すことは何もありませんわ」
 マリアンヌ様を守り、彼女を思うことだけが、私の存在理由だった。それももう終わった。終わらせた。
 今はとても清々しい気持ちだ。
 
「そうか……、しかし、本当に消えるとは……」
「何を仰っていますの。私は、あなたの子供を産むなんて、ごめんですわ」
「えっ!? あ……。それも、そうだな……」

 アルフレッドは動揺したように、眼鏡を押し上げている。
 初夜では、夫人としての責務だなんて偉そうに語っていたくせに、あの頃とは大違いで笑ってしまう。

「ふふっ。しっかりスミレを連れ戻してくださいませ。……もしかしたら、こちらの世界へ戻るには、あなたの魅力が足りないのかもしれませんわね?」

 少々意地悪な言葉をかけると、アルフレッドは見るからに傷ついたような顔をしている。

 他を寄せ付けない冷徹な公爵様の威厳は、どこに行ったのか。私の目の前にいる男は、ただの恋するヘタレな男だ。

「あの子は情に弱いですから、泣き落としでもなさればいいのでは?」

「な、泣き落としなど……っ。…………それも一理あるな……」
 真剣に考え始めるので、私は吹き出した。

「ぶっ、冗談ですわよ! 本当に変わられましたわね。あの鉄面皮で偏屈な冷血眼鏡だった、あなたが! おほほっ」

「……酷い言われようだな……」

 アルフレッドは不貞腐れたように、眼鏡を押し上げる。

「いいえ、褒めているのですわ。人間らしくて、……今のあなたはとてもいいですわよ」

(この世の最期に、ヘタレ眼鏡の恋を、協力してあげなくもないですわ)

 まだ、私の身体とスミレの魂の繋がりを感じている。

(きっと、大丈夫。上手くいきますわよ! 待っていなさい、スミレ!)

  
「じゃあ、私はバルコニーから飛びますわ! アルフレッド、ちゃんとスミレをキャッチするのですわよ! ……それが私の最後の願いですわ」

 馬車の窓から外を覗くと、初めて世界が輝いて見えた。
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