身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜
30 目覚めた妻はベアトリスだった(アルフレッドside)
ベッドに横たわる彼女の手を握る。
辺りは暗くなり、静かな室内にランプの燃える音が響く。
今日、彼女はブラン伯爵令嬢と約束していた観劇に出掛けた。
――その夕刻だった。彼女が“暴漢に襲われそうになったブラン伯爵令嬢を庇い、意識を失った”と、屋敷に運ばれてきたのだ。
目を閉じてぐったりとしている彼女を抱き上げ、自室に運び至急医者に診せた。
主治医の話では、目立った外傷はなく、しばらくすれば目覚めるということだった。
「……早く、目を開けてくれ……」
祈るように、握る手に力を込める。
ブラン伯爵令嬢を襲った犯人はその場で捕らえられ、その黒幕も既に判明している。
――グランジュ公爵令嬢だ。彼女が男を雇い、襲わせた。
ブラン伯爵令嬢に危害を加えるのが目的だった。
グランジュ公爵令嬢の処遇は、殿下に任せれば問題はないだろう。
それよりも俺は、未だ目を開けない彼女が心配だ。
心の優しい彼女が、友人を放っておけるわけがないのは分かっているが。
(……なんて無茶をしたんだ……っ)
ピクッと、僅かに指先が動くのを感じた。
「っ!?」
彼女の顔を覗き込むと、長い睫毛が揺れ、そして瞼がゆっくりと開かれる。
「大丈夫か? どこも痛くはないか!? ……良かった……」
俺は安堵の溜息を漏らす。彼女の手を両手でしっかりと握りしめた――その時。
「その手を、離してくださらない? 不潔ですわ」
突き放すような冷たい声が、彼女の口から発せられる。
「な……っ!?」
俺は弾かれたように手を離す。彼女はこちらに冷ややかな視線を向けていた。
俺を嫌悪するような、この視線はよく知っている。
「き……君は、ベアトリス……か……?」
(どういうことだ……? 彼女はどこに……?)
俺が呆然として見つめていると、ベアトリスは鋭く目を細める。
「いつまで、ここにいらっしゃるおつもりですの? 邪魔ですわ」
「……あ、あぁ。……失礼する」
眼鏡を押し上げ、そう言うのがやっとだった。
ふらつきそうになる身体をどうにか堪え、部屋を後にする。
ドアを締める際もう一度彼女を見たが、こちらなど無関心のようだった。
俺は閉じたドアにもたれ掛かると、頭を抱える。
混乱する思考を落ち着かせよう努めるが、上手くいかなかった。
俺はまだ、この状況を把握しきれていない。
(……どういうことだ? 彼女とベアトリスがまた入れ替わった? じゃあ、彼女はどこに行った?)
「旦那様!? 奥様のご様子は?」
俺が頭を抱えていたせいか、セドリックが顔色を変える。
「……いや、彼女は……大丈夫だ。……セドリック、少し調べて欲しいことがある」
「……はい、かしこまりました」
俺が要件を伝えるとセドリックは一礼し、その場を後にする。
(……俺だって、諦めたわけじゃないんだ……)
俺は震える手を握り、廊下を歩き出した。
その後、セドリックから調査の報告がなされた。
観劇に付き添ったメイドたちの証言では、観劇が終わった直後まで、彼女に別段変わりはなかったという。
馬車に乗る直前、襲われそうになるブラン伯爵令嬢を助けに飛び出し、そして、そのまま気を失った。
念のため、彼女に似た人物が、王都内、もしくは王都から出ていないか確認させたが、これといった情報は得られなかった。
……だとしたら。
俺は図書室を訪れ、一冊の本を手に取る。
これは医学が発展している、隣国ズーネベルクの医学書だ。
(あ……これだ……。……二重の人格……)
外的、精神的、理由は様々だが、一人の人間にもう一つの人格が現れるというものだ。
思い当たる節があった。
最初にベアトリスの人格が変わったの結婚式の夜だ。彼女はバルコニーから飛び降りた。
そして今回も同様に、身体的、精神的に大きな負荷がかかっている。
それが彼女の人格が入れ替わったことに起因しているかもしれない。
俺は大きく溜息をつき、髪を掻きむしる。
「……なんてことだ……。彼女は……、彼女は……存在しないってことなのか……?」
酷い喪失感に襲われ、俺はしばらくの間、動けなかった。
朝食をとるベアトリスを盗み見る。
その優雅な身のこなし、完璧なマナー。欠点は一つも見つからない。
彼女がフォークを持つ手を止め、ふと顔を上げる。
青紫の瞳と合うと、その表情が僅かに歪められた。
「私に何か御用でしょうか?」
「……あ、いや、何でもない」
俺は顔を伏せる。ズキッと胸を突き刺すような痛みが走った。
食べ物をうまそうに頬張る仕草。弾んだ声。
俺と目が合うと、頰を赤く染め、はにかんだように微笑む……。
当たり前になっていた彼女と過ごした日々が、遠く、消え去っていく。
(……彼女は本当に、ベアトリスの別人格なのか……?)
冷めたスープを口に含むが、味は感じられなかった。
仕事の合間、裏庭までやって来た。
この場所は何ら変わりはない。ミントが風に揺れている。
(ここで彼女はミントを採って……、嬉しそうに笑っていた……)
足音に気付き振り返ると、そこにベアトリスの姿があった。
「……っ!?」
思わず息を呑む。
目が合うと、ふいと視線を逸らされる。
もしかして……と、湧き上がった僅かな期待は打ちのめされた。
「……なぜ、ここへ?」
思わず発した声は掠れている。
「……私の勝手でございましょう?」
「ふっ……そうだな」
俺の口から自嘲気味な笑みが零れた。
姿形は瓜二つなのに、視線、仕草、言葉遣いに至るまで、どれを取っても彼女とはまるで別人だ。
(……どうしても俺は、“彼女”とベアトリスが、同一人物とは思えないんだ……)
「あ……、待ってくれ」
ベアトリスが歩き出すその背中を、思わず呼び止めた。
「はぁ……、何でございますか?」
少し振り向いた彼女の鋭い視線が刺さる。
「いや……、答えられたらでいい。……一つ、聞かせてくれないか……?」
「……」
「“彼女”はいったい、誰なんだ?」
しばしの沈黙ののち、
「……本当、ヘタレ眼鏡……」
ベアトリスが何か呟いたが、聞き取れなかった。
「……何だ?」
「……あなた、私の言葉を信じますの?」
探るような視線を向けられる。
「あぁ……、信じる」
俺が真っ直ぐに答えると、一瞬青紫の瞳が開かれる。
そして、観念したかのように息を吐いた。
「……分かりました。全てお話ししますわ。……その代わり、私からもお願いがあるのですが、よろしいかしら?」
辺りは暗くなり、静かな室内にランプの燃える音が響く。
今日、彼女はブラン伯爵令嬢と約束していた観劇に出掛けた。
――その夕刻だった。彼女が“暴漢に襲われそうになったブラン伯爵令嬢を庇い、意識を失った”と、屋敷に運ばれてきたのだ。
目を閉じてぐったりとしている彼女を抱き上げ、自室に運び至急医者に診せた。
主治医の話では、目立った外傷はなく、しばらくすれば目覚めるということだった。
「……早く、目を開けてくれ……」
祈るように、握る手に力を込める。
ブラン伯爵令嬢を襲った犯人はその場で捕らえられ、その黒幕も既に判明している。
――グランジュ公爵令嬢だ。彼女が男を雇い、襲わせた。
ブラン伯爵令嬢に危害を加えるのが目的だった。
グランジュ公爵令嬢の処遇は、殿下に任せれば問題はないだろう。
それよりも俺は、未だ目を開けない彼女が心配だ。
心の優しい彼女が、友人を放っておけるわけがないのは分かっているが。
(……なんて無茶をしたんだ……っ)
ピクッと、僅かに指先が動くのを感じた。
「っ!?」
彼女の顔を覗き込むと、長い睫毛が揺れ、そして瞼がゆっくりと開かれる。
「大丈夫か? どこも痛くはないか!? ……良かった……」
俺は安堵の溜息を漏らす。彼女の手を両手でしっかりと握りしめた――その時。
「その手を、離してくださらない? 不潔ですわ」
突き放すような冷たい声が、彼女の口から発せられる。
「な……っ!?」
俺は弾かれたように手を離す。彼女はこちらに冷ややかな視線を向けていた。
俺を嫌悪するような、この視線はよく知っている。
「き……君は、ベアトリス……か……?」
(どういうことだ……? 彼女はどこに……?)
俺が呆然として見つめていると、ベアトリスは鋭く目を細める。
「いつまで、ここにいらっしゃるおつもりですの? 邪魔ですわ」
「……あ、あぁ。……失礼する」
眼鏡を押し上げ、そう言うのがやっとだった。
ふらつきそうになる身体をどうにか堪え、部屋を後にする。
ドアを締める際もう一度彼女を見たが、こちらなど無関心のようだった。
俺は閉じたドアにもたれ掛かると、頭を抱える。
混乱する思考を落ち着かせよう努めるが、上手くいかなかった。
俺はまだ、この状況を把握しきれていない。
(……どういうことだ? 彼女とベアトリスがまた入れ替わった? じゃあ、彼女はどこに行った?)
「旦那様!? 奥様のご様子は?」
俺が頭を抱えていたせいか、セドリックが顔色を変える。
「……いや、彼女は……大丈夫だ。……セドリック、少し調べて欲しいことがある」
「……はい、かしこまりました」
俺が要件を伝えるとセドリックは一礼し、その場を後にする。
(……俺だって、諦めたわけじゃないんだ……)
俺は震える手を握り、廊下を歩き出した。
その後、セドリックから調査の報告がなされた。
観劇に付き添ったメイドたちの証言では、観劇が終わった直後まで、彼女に別段変わりはなかったという。
馬車に乗る直前、襲われそうになるブラン伯爵令嬢を助けに飛び出し、そして、そのまま気を失った。
念のため、彼女に似た人物が、王都内、もしくは王都から出ていないか確認させたが、これといった情報は得られなかった。
……だとしたら。
俺は図書室を訪れ、一冊の本を手に取る。
これは医学が発展している、隣国ズーネベルクの医学書だ。
(あ……これだ……。……二重の人格……)
外的、精神的、理由は様々だが、一人の人間にもう一つの人格が現れるというものだ。
思い当たる節があった。
最初にベアトリスの人格が変わったの結婚式の夜だ。彼女はバルコニーから飛び降りた。
そして今回も同様に、身体的、精神的に大きな負荷がかかっている。
それが彼女の人格が入れ替わったことに起因しているかもしれない。
俺は大きく溜息をつき、髪を掻きむしる。
「……なんてことだ……。彼女は……、彼女は……存在しないってことなのか……?」
酷い喪失感に襲われ、俺はしばらくの間、動けなかった。
朝食をとるベアトリスを盗み見る。
その優雅な身のこなし、完璧なマナー。欠点は一つも見つからない。
彼女がフォークを持つ手を止め、ふと顔を上げる。
青紫の瞳と合うと、その表情が僅かに歪められた。
「私に何か御用でしょうか?」
「……あ、いや、何でもない」
俺は顔を伏せる。ズキッと胸を突き刺すような痛みが走った。
食べ物をうまそうに頬張る仕草。弾んだ声。
俺と目が合うと、頰を赤く染め、はにかんだように微笑む……。
当たり前になっていた彼女と過ごした日々が、遠く、消え去っていく。
(……彼女は本当に、ベアトリスの別人格なのか……?)
冷めたスープを口に含むが、味は感じられなかった。
仕事の合間、裏庭までやって来た。
この場所は何ら変わりはない。ミントが風に揺れている。
(ここで彼女はミントを採って……、嬉しそうに笑っていた……)
足音に気付き振り返ると、そこにベアトリスの姿があった。
「……っ!?」
思わず息を呑む。
目が合うと、ふいと視線を逸らされる。
もしかして……と、湧き上がった僅かな期待は打ちのめされた。
「……なぜ、ここへ?」
思わず発した声は掠れている。
「……私の勝手でございましょう?」
「ふっ……そうだな」
俺の口から自嘲気味な笑みが零れた。
姿形は瓜二つなのに、視線、仕草、言葉遣いに至るまで、どれを取っても彼女とはまるで別人だ。
(……どうしても俺は、“彼女”とベアトリスが、同一人物とは思えないんだ……)
「あ……、待ってくれ」
ベアトリスが歩き出すその背中を、思わず呼び止めた。
「はぁ……、何でございますか?」
少し振り向いた彼女の鋭い視線が刺さる。
「いや……、答えられたらでいい。……一つ、聞かせてくれないか……?」
「……」
「“彼女”はいったい、誰なんだ?」
しばしの沈黙ののち、
「……本当、ヘタレ眼鏡……」
ベアトリスが何か呟いたが、聞き取れなかった。
「……何だ?」
「……あなた、私の言葉を信じますの?」
探るような視線を向けられる。
「あぁ……、信じる」
俺が真っ直ぐに答えると、一瞬青紫の瞳が開かれる。
そして、観念したかのように息を吐いた。
「……分かりました。全てお話ししますわ。……その代わり、私からもお願いがあるのですが、よろしいかしら?」