追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
第18話 あの人となら
朝靄がまだ地面を這っている時間帯。
屋敷の裏手で洗い物をしていた私の元へ、サーシャが小走りでやって来た。
「セラ!村の井戸の水がまた枯れかけてるって!」
「え……またなの?」
数日前にも、水の出が悪いという報告があった。
応急処置として兵士たちが井戸を掘り返し、水路の掃除を行ったはずだった。
「将軍様が様子を見に行くって言ってたわ……水路が崩れてる可能性があるからって」
「それは……大変なことですね」
「うん。で、炊き出しを手伝ってくれたセラにも見てほしいって言ってたんだよ将軍様が」
「え……私が?」
サーシャの言葉に対し、私は思わず問い返していた。
私などが、現場に同行して良いのだろうか?
兵士でも村の者でもない、名前を偽っている人間が。
けれどサーシャは、まるで当然のように笑って頷いた。
「ほら、前に井戸の使い方とかも丁寧に調べてたでしょ?将軍様、ちゃんと見てたらしいの?」
「……」
……そうか。
私は、見られていた。気づかれないようにと思っていたのに。
でも、サーシャの言葉を聞いて不思議と嫌ではなかった。
むしろ――ほんの少し、嬉しいと感じてしまった自分自身がいたからである。
「……わかったわ。じゃあ、行ってみる」
私はサーシャの言葉に、静かに頷くのだった。
▽ ▽ ▽
村へ向かう馬車の中。私は無言のまま隣に座る将軍様の横顔をちらりと盗み見る。
いや、そもそもどうして馬車が一緒で、そんでもって隣に座っているのか理解が出来ない。
そんな気持ちを抱えながらも、静かに将軍様に目を向けた。
彼は外の様子を静かに見ながら、何も言わない。
ただ、必要なことがあれば迷いなく動く――そういう人だと理解している。
村に到着してすぐ、水源周辺を見て回ることになった。
私は、兵士たちが集めた簡単な記録や村の年寄りが持っていた古地図を見せてもらいながら、水の流れを確認していく。
(これは……)
川から引いている水路が、途中で崩れているのをすぐに理解した。
どうやら小さな土砂崩れがあったのだろう。
迂回していた水が畑の外へ流れ出してしまっていた。
「土を盛っても、また崩れます。ここは少し高台になっているので……水を受けるための【石樋】を作れば安定しま、いや、すると思います」
私の言葉に、村の者たちが目を丸くする。
「お、お嬢さん、よくそんなこと知ってんな……」
「もしかして、王都の人間か?」
――しまった。言いすぎたかもしれない。
「……昔、父が、そういう書物を読むのが好きだったんですよ……あはは」
私は静かに笑ってごまかす。
それ以上、誰も追及してこなかった。
代わりに、誰かがぽつりとつぶやいたのである。
「……なんだか、あの方と似てるな。将軍様と」
「え?」
「人のために考えてくれてんだって、わかるんだよ。あんたも、あの人もよ」
村人のその言葉に、私は何故か胸の奥が不意にざわりと揺れた。
それから数時間後、村からの帰り道。
私は馬車には乗らず、将軍様と私は歩いて戻ることになった。
少し遠回りして、小高い丘の道を歩く。
足元の草を踏むたび、ざく、ざくと音がして、風が静かに吹き抜ける。
ここは、王都のようなざわめきも、疑いの目もなく――ただ、静かだった。
それが、すごく気持ちが良い。
「……ありがとうな」
「え?」
「今日の水路の件だ。お前がいたお陰で対応が早く済んだ。助かったよ」
「えっと、いえ、私は……できることをしただけです」
「……それができる奴が少ないって、前にも言ったろ」
その言葉に、ふっと笑みがこぼれた。
「以前より……変わったな、お前」
将軍様が立ち止まり、こちらを見ていた。
「前はもっと……そうだな。壁の向こうにいるようだった。すごい遠い目をしてな」
「……そうですか」
「今は、ちゃんと地に足がついてるように見える」
将軍様の言葉に対し、私は答えられなかった。答える事が出来なかった。
ただ、胸がじんわりと熱くなっていくのを感じていた。
(……ああ、そうなのかもしれない)
あの王都では、私は常に【何か】になろうとしていた。
王妃に、王太子の支えに、そして、貴族の鑑に。
でも、ここでは……私は、ただの私でいられる。
失敗しても、笑って許されて、頑張ればちゃんと見てくれる人がいる。
そんなことが、こんなにも、嬉しいなんて。
「……フフっ」
気がつけば、私は小さく笑っていた。
自分でも驚くくらい、自然に。
その時、少し前を歩いていた将軍様が、何かを感じたのか振り返り、そして目が合った。
私の笑顔を見て、彼は――ほんの少しだけ、将軍様の目を見開いたようだった。
けれどすぐに、ゆっくりと、目を細める。
その穏やかな目を見て、私は思ってしまったのだ。
(――もう一度、生きていけるかもしれない……可能なら、将軍様の近くに居れば)
名前も過去も失った私が、もう一度自分として歩き出すなら――隣にいるのは、この人がいい。
肩書きも義務もない、ただの【私】を見てくれるこの人となら。
そう思った自分に私は静かに驚き、そして――少しだけ、笑った。
屋敷の裏手で洗い物をしていた私の元へ、サーシャが小走りでやって来た。
「セラ!村の井戸の水がまた枯れかけてるって!」
「え……またなの?」
数日前にも、水の出が悪いという報告があった。
応急処置として兵士たちが井戸を掘り返し、水路の掃除を行ったはずだった。
「将軍様が様子を見に行くって言ってたわ……水路が崩れてる可能性があるからって」
「それは……大変なことですね」
「うん。で、炊き出しを手伝ってくれたセラにも見てほしいって言ってたんだよ将軍様が」
「え……私が?」
サーシャの言葉に対し、私は思わず問い返していた。
私などが、現場に同行して良いのだろうか?
兵士でも村の者でもない、名前を偽っている人間が。
けれどサーシャは、まるで当然のように笑って頷いた。
「ほら、前に井戸の使い方とかも丁寧に調べてたでしょ?将軍様、ちゃんと見てたらしいの?」
「……」
……そうか。
私は、見られていた。気づかれないようにと思っていたのに。
でも、サーシャの言葉を聞いて不思議と嫌ではなかった。
むしろ――ほんの少し、嬉しいと感じてしまった自分自身がいたからである。
「……わかったわ。じゃあ、行ってみる」
私はサーシャの言葉に、静かに頷くのだった。
▽ ▽ ▽
村へ向かう馬車の中。私は無言のまま隣に座る将軍様の横顔をちらりと盗み見る。
いや、そもそもどうして馬車が一緒で、そんでもって隣に座っているのか理解が出来ない。
そんな気持ちを抱えながらも、静かに将軍様に目を向けた。
彼は外の様子を静かに見ながら、何も言わない。
ただ、必要なことがあれば迷いなく動く――そういう人だと理解している。
村に到着してすぐ、水源周辺を見て回ることになった。
私は、兵士たちが集めた簡単な記録や村の年寄りが持っていた古地図を見せてもらいながら、水の流れを確認していく。
(これは……)
川から引いている水路が、途中で崩れているのをすぐに理解した。
どうやら小さな土砂崩れがあったのだろう。
迂回していた水が畑の外へ流れ出してしまっていた。
「土を盛っても、また崩れます。ここは少し高台になっているので……水を受けるための【石樋】を作れば安定しま、いや、すると思います」
私の言葉に、村の者たちが目を丸くする。
「お、お嬢さん、よくそんなこと知ってんな……」
「もしかして、王都の人間か?」
――しまった。言いすぎたかもしれない。
「……昔、父が、そういう書物を読むのが好きだったんですよ……あはは」
私は静かに笑ってごまかす。
それ以上、誰も追及してこなかった。
代わりに、誰かがぽつりとつぶやいたのである。
「……なんだか、あの方と似てるな。将軍様と」
「え?」
「人のために考えてくれてんだって、わかるんだよ。あんたも、あの人もよ」
村人のその言葉に、私は何故か胸の奥が不意にざわりと揺れた。
それから数時間後、村からの帰り道。
私は馬車には乗らず、将軍様と私は歩いて戻ることになった。
少し遠回りして、小高い丘の道を歩く。
足元の草を踏むたび、ざく、ざくと音がして、風が静かに吹き抜ける。
ここは、王都のようなざわめきも、疑いの目もなく――ただ、静かだった。
それが、すごく気持ちが良い。
「……ありがとうな」
「え?」
「今日の水路の件だ。お前がいたお陰で対応が早く済んだ。助かったよ」
「えっと、いえ、私は……できることをしただけです」
「……それができる奴が少ないって、前にも言ったろ」
その言葉に、ふっと笑みがこぼれた。
「以前より……変わったな、お前」
将軍様が立ち止まり、こちらを見ていた。
「前はもっと……そうだな。壁の向こうにいるようだった。すごい遠い目をしてな」
「……そうですか」
「今は、ちゃんと地に足がついてるように見える」
将軍様の言葉に対し、私は答えられなかった。答える事が出来なかった。
ただ、胸がじんわりと熱くなっていくのを感じていた。
(……ああ、そうなのかもしれない)
あの王都では、私は常に【何か】になろうとしていた。
王妃に、王太子の支えに、そして、貴族の鑑に。
でも、ここでは……私は、ただの私でいられる。
失敗しても、笑って許されて、頑張ればちゃんと見てくれる人がいる。
そんなことが、こんなにも、嬉しいなんて。
「……フフっ」
気がつけば、私は小さく笑っていた。
自分でも驚くくらい、自然に。
その時、少し前を歩いていた将軍様が、何かを感じたのか振り返り、そして目が合った。
私の笑顔を見て、彼は――ほんの少しだけ、将軍様の目を見開いたようだった。
けれどすぐに、ゆっくりと、目を細める。
その穏やかな目を見て、私は思ってしまったのだ。
(――もう一度、生きていけるかもしれない……可能なら、将軍様の近くに居れば)
名前も過去も失った私が、もう一度自分として歩き出すなら――隣にいるのは、この人がいい。
肩書きも義務もない、ただの【私】を見てくれるこの人となら。
そう思った自分に私は静かに驚き、そして――少しだけ、笑った。