追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路

第19話 一緒に生きていかないか?【将軍視点】

 辺境の村に流れる小川は、ようやく元の流れを取り戻しつつあった。
 石樋の仮設は上手くいった。村の者たちも笑っている姿を目撃する。
 ……あれほど簡素な水路一つで、これほどの安堵が生まれるのだ。まぁ、王都の連中には一生わからねぇだろうな。

「将軍様!」

 背後から呼び止められた。
 振り返ると、村の年寄りが俺に手を差し出してきた。

「今回の件、本当に助かった。あんたもだが……あのお嬢さん。セラさんって言ったか……頭がいいな。ありゃ、ただの女じゃないだろう?」

 その言葉に、思わず笑いそうになった。

「ああ、訳ありみたいだがそれ以上は聞いてねぇよ」
「まぁ、将軍様らしいな」

 ――セラ。
 
 あの女が村の地図と記録を並べて、水の流れを読み、迷いなく修繕案を出した時に感じた――まるで貴族の屋敷で日常的に領地経営を見ていた者のような動きだった。
 あれは偶然や勉強だけで出来るもんじゃない。
 確実に、【育ち】がある。
 しかも相当に高いところで。
 だが、それでも俺は問いただす気にはなれなかった。
 なぜなら――

(自分の意思で彼女はここに立っている。それが全てだ)

    ▽ ▽ ▽

 屋敷に戻る帰り道――あえて馬車には乗らなかった。

「あの、将軍様」
「なんだ?」
「帰り道、歩いて帰りたいんですけど、大丈夫ですか?少し、景色を見て回りたいので……」
「…・・」
 
 セラが外を歩きたいと言った。珍しい願いだった。
 だからこそ、俺も後をつく。
 どうやらセラは自分だけで歩く予定だったらしいが、俺は逃がすつもりはない。
 あくどい顔を見せながら一緒に歩くと言うと、観念したかのような顔をしている姿は面白かった。

 並んで歩く道中、彼女は村の子どもたちに「ありがとう」と言われて、少し驚いていた。
 だがその後、ふっと笑った顔は……あまりにも自然で、柔らかくて。

(……いい笑顔をするようになった)

 あの女が最初に屋敷に来た時は、表情に影があった。
 誰にも見られたくないものを抱えている顔だ。
 それが今は、誰かの助けになったと心から笑っている。
 そんなの、見せられちまったら――

「以前より……変わったな、お前」

 思わず、そう言葉が出た。
 セラがきょとんとして、少しだけ照れたように俯き、そして笑った。
 ……くそ、そんな顔すんな。
 兵士たちがこんな顔見たら、全員惚れちまうぞ。
 そんな事を考えていたなんて、知らないだろう。
 セラが笑う姿が、少しだけ惹かれる感じがしてしまった俺自身がいた。

   ▽ ▽ ▽
 
 屋敷に帰ったその日の夜――村の作業報告がまとめ終わった後、俺は屋敷の廊下でセラと鉢合わせた。
 夜風に当たっていたのか、彼女は中庭の方から歩いてきた。

「セラ」
「将軍様」
「少し、話せるか?」
「ええ、大丈夫ですよ」

 彼女は驚いたように見開いた目をすぐ伏せ、返事をした。
 二人で、中庭の隅の石段に腰掛ける。
 風が冷たく、空は高く澄んでおり、遠くで兵士の笑い声が聞こえるのも、珍しくはない夜だ。

「……なあ、セラ」
「はい」

「――お前これからどうするつもりだ?」

 その問いに、彼女は一瞬驚いた顔をした後、静かに目を伏せた。
 少しの沈黙の後、掠れるような声が返ってきた。

「……わかりません。私には、もう何もありませんから」

 俯いたセラの声は、風に溶けるように小さかった。

「名も、家も……戻る場所も、何一つ残っていないんです。ただ、生き延びているだけで」

 ほんの少しだけ、肩が震えていた。けれど、泣いてはいなかった。
「そうか」

 俺は、手元の小石を拾って投げた。
 石は乾いた音を立てて地面を転がる。

「……じゃあ、ここにいろ」
「え?」
「ここにいろって言ってんだ……俺の屋敷に。俺のそばに」

 セラが目を見開くのがわかった。
 けれど、否定の色はなかった。ただ、驚いていた。
 俺は、続ける。

「お前が誰かとか、どこから来たとか、正直どうでもいい。だが、今のお前がここにいて周りとちゃんと向き合ってることは、俺が一番よく見てる」
「……」
「俺と、そしてこの街で、一緒に生きていかないか?」

 言葉にしてしまえば、意外と簡単だった。
 だがそれは、俺にとってただの情じゃねぇ。

 【この女を、隣に置きたい】。

 自分自身の狭い感情が少しだけ動いており、そしてその想いに、嘘はなかった。
 対し、彼女(セラ)は、何も答えなかった。
 けれど、ほんの少し――その肩が震えていた。
 俺は、それ以上は何も言わなかった。
 その場で立ち上がり、夜空を一度だけ見上げてから、背を向ける。
 去り際、彼女の小さな声が、確かに俺の背に届いた。

「将軍様……ありがとうございます」

 その言葉に、心の奥が静かに熱くなるのを感じた。

(……この女はまだ前を向ける。だったら――)

 今度は俺が、彼女のその道を支える番だと思った。
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