追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路

第20話 私は多分……恋をしている

 夜風が、ひんやりと頬を撫でているのを感じながら、石段に座った私は何度もあの言葉を頭の中で想像し、そして考えていた。

 ――一緒に生きていかないか?

 あの時、時が止まったように思えた。
 私はきっと何か答えようとしていた。でも言葉が出なかった。

(……どうして、そんなふうに言ってくれるのだろう?)

 私が、何者かを知らないから?
 それとも――知っていて、気づいたうえで?
 わからない、でも、彼の声は真っ直ぐでどこまでも誠実だった。
 ただの情けや憐れみではなく、ここにいていいのだと、本気で言ってくれているとわかってしまった。

(私は、あの人の……優しさに、惹かれているんだ)

 最初はただ、感謝だった。
 助けてくれた恩。身を寄せさせてくれた温かさ。
 けれど今は――違う。
 目が合ったときに胸が熱くなる。
 名前を呼ばれるだけで息が止まりそうになる。
 その背中を追って歩いていると、心の奥でこの人(将軍様)の隣に立ちたいと思ってしまう。

(これは……恋だ)

 貴族として過ごしたあの時代には、なかった感情。
 王太子との婚約は義務であり、期待に応えるための【役目】だった。
 愛など、許されていなかった。
 でも――今の私は違う。
 ただの一人の女として、カイという男に惹かれている。

「……私は、恋をしているんだわ」

 声に出してみると、胸の奥に小さな火が灯ったようだった。
 それは暖かくて、でも、少しだけ痛かった。

 私はそのまま部屋に戻り、蝋燭を灯す。
 その小さな炎を見つめながら私は手のひらをぎゅっと握りしめた。

(でも……)

 ――私は、本当の名前を偽っている。
 ――過去を何も語っていない。
 ――将軍様を欺いている。

 その事実が、胸に刺さる。
 彼が向けてくれる信頼も、温かさも、全ては【セラ】という偽りの女に対して向けられたもの。
 本当の私は王太子の元婚約者であり、そして――王国から追放された女。

(そんな私が、将軍様の隣に立つだなんて)

 彼のような人は、まっすぐで、誠実で、信じた者のために命を張る人だ。
 それに応えられる人でなければ、隣に立つ資格はない。
 だからこそ私はすぐに考えた。

「……この気持ちは、胸の中にしまっておこう」

 囁くように呟いた言葉は、部屋の中で消えていった。
 誰にも言わない。知られなくていい。
 けれど、この想いがあったことだけは、私の中で――本物だ。
 恋をしてしまった――でも、それは決して届かせてはいけない想い。
 だから、私は黙ってここにいる。
 私は今【セラ】として、できることを一つずつ積み重ねていく。

(それでも……いつか)

 もし、もう一度、自分の足で立てるようになったなら。
 もし、誇りを胸に、自分の名前を言える日が来たなら。

 その時は――この想いを、伝えてもいいのだろうか?

 そんな夢のようなことを考えて私はそっと、蝋燭の火を吹き消した。
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