追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路

第21話 微かな気配【将軍視点】

 報告書の隅に、妙な追記があった。

「……屋敷近辺に、不審な足取りの者がいた?」

 俺は眉をひそめながら、副官であるジークからの報告に目を通す。
 そして舌打ちをしながら問いかけた。

「目撃は何人だ?」
「二名です。巡回兵がそれぞれ別の時間帯に確認しています。足取りは軽く、痕跡も残していません。素人ではありませんね」

 ジークは腕を組んだまま、低い声で続けた。

「追跡も試みましたが途中で完全に見失いました。こちらの監視に気付いた可能性もあります」
「……王都の影、か」

 王都の【影】――つまり、諜報員。表では貴族に仕え、裏では王族の意向で動く連中だ。
 辺境にまで足を伸ばすような人間じゃねぇ、普通ならな。

「カイ将軍、最近……王都からの正式な通達は?」
「ない。だが……だからこそ妙だ」

 俺は報告書を机に置き、指先で軽く叩いた。

「命令もなしに動く連中じゃねぇ。何かを探しているか、あるいは――誰かを、だな」

 ジークが小さく息を吐く。

「……屋敷の者に心当たりは?」

 その問いに、俺はすぐには答えなかった。

(だが……)

 視線が、ふと窓の外へと向く。
 中庭では、セラが兵舎の洗濯物を干していた。
 白い布を一枚ずつ丁寧に広げ、風を確かめるように指先で端を整え、何でもない仕草なのに妙に所作が整っていて、目を引く。
 風に揺れる髪が陽に透けており、彼女はまた、穏やかに笑っていた。
 近くで子ども兵が何か話しかけたらしく、軽く身をかがめて目線を合わせている。

(……こんな場所にいるような女じゃねぇ)

 俺は腕を組み、しばらく黙ってその様子を見ていた。

「将軍?」

 ジークの声で我に返る。

「……いや、何でもない」

 短く答えてから、視線を報告書へ戻した。

「監視を一段強めろ。ただし、屋敷の者には気取られるな。妙な噂が立つと面倒だ」
「了解しました。巡回の間隔を詰めますか?」
「ああ。後、夜間は二名一組にしろ。万が一接触があった場合は無理に捕まえようとするな。尾行を優先だ」
「承知しました」

 ジークが敬礼し、部屋を出ていく。
 扉が閉まった後、俺はもう一度だけ窓の外へ視線を向けた。
 セラは、まだ笑っていた。
 まるで、この場所に何の不安もないかのように。

(……やっぱり、セラ絡みか?)

 そう呟いた声は、誰にも聞こえないまま、静かに部屋の空気へ溶ける。
 村の子供が手を振ると、小さく手を振り返していた。
 そんな姿を見つめながら、俺は考える。

(本来、【あんな女】がここにいるはずがねぇ)

 所作も、言葉も、立ち居振る舞いも――明らかに【育ちが違う】。
 ただの商人の娘でもない、下級貴族でもない。
 あれは王族に限りなく近い環境で育てられた者の所作だ。
 だが本人は何も語らない。
 【セラ】という名前も、偽名である可能性が高い。

(……なら、やっぱり奴らの狙いは)

 ――セラ、そう考えるしかなかった。

 俺の屋敷に不審な動きが現れた時期と、セラがこの地に現れた時期は一致している。
 そして【影】が動く理由など、限られている。
 国家にとって都合の悪い事実を隠すためか、失踪した重要人物の追跡か。

「……」

 ため息をついて、椅子にもたれた。
 今のところ、屋敷に侵入の形跡はない。
 ただ、見張っている気配はある。
 そしてその視線の先にあるのは俺ではなく、恐らく――セラ。

(セラ……何を背負ってここに来たんだ?)

 正体を暴く気はなかった。
 あいつが自分から話さねぇ限り、それでいいと思っていた。
 だが、王都の【影】が関わってくるなら話は別だ。

(放っておくわけにはいかねぇ)

 少なくとも、この屋敷の人間を――あいつを、守る義務がある。

 将軍としてではなく。
 この屋敷の主としてでもなく。
 ただ、彼女を救った男として。

(……本当に、やっかいな女だな)

 胸の奥に、小さく、苦い笑みが漏れた。

 ――まさかこんな形で、また“王都”と向き合う事になるとは。

 立ち上がり、剣の位置を確かめる。
 何かが起きる。
 まだ小さな波紋だが――あの女が関わっている以上、王都の【闇】は決して浅くない。

 その頃、セラ本人はというと――

「セラ、お昼ごはんだよ!」
「ありがとう、サーシャ」

 厨房で湯気を立てる大鍋をのぞき込みながら、微笑んでいた。
 使用人たちの中に馴染み、笑い合い、今日も一日を一生懸命に過ごしている。
 幸せそうに見えた――だからこそ。

(その平穏が、壊されるなんて思ってもいねぇんだろうな)

 その笑顔を見て、俺は静かに剣の柄に手をかけた。
 次に来る嵐は、もうすぐそこまで来ている。
< 21 / 55 >

この作品をシェア

pagetop