追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
第22話 目に見えない追跡
将軍様が所有している屋敷の書庫は、ひんやりとした静寂に包まれていた。
窓から差し込む陽の光が埃の舞う空間を柔らかく照らし、古い革張りの本や地図が並ぶ棚は、どれも手入れが行き届いているとは言い難い。
けれど、この場所には時間の重みと静かな気配があった。私は時折、炊事や掃除の合間を縫ってここに足を運ぶようになっていた。
もちろん、将軍様には許可をいただいている。
(こうして地図や資料を整理するの、嫌いじゃないわ)
今、私が手にしているのは旧エルグレイ領の地形図だった。
水源の流れを調べるため、数日前に倉庫から引き揚げられたまま、放置されていたもの。
書き込みが多く、幾度となく改訂された跡がある。
ページをめくるたび、かつて王都で習った地政学の知識が自然と頭をよぎる。水脈、村の配置、風の流れ……。
(ここに橋をかけるには、支柱の材質が問題ね……冬場は凍結も……)
その時だった。
ページの隙間から、一枚の紙片がはらりと滑り落ちた。
何気なく拾い上げた私は、そこに刻まれた【王都第一文書局】の紋章を見て、思わず手を止めた。
「……?」
何処か見覚えのある文様だった。
王都の政務機関の中でも、重要な外交・内政資料を管理する部署。通常、辺境の地には持ち出されることすらないはずの封蝋。
視線が、その文書の中身へと吸い寄せられる。
(どうしてこんなものがあるのかしら?)
手が、微かに震える。
それは決して私宛の文ではない。
けれど、その端に記されていた名前――嘗て私自身と関わった高官の名を見た瞬間、喉の奥が焼けるような感覚に襲われた。
(……誰かが、王都と繋がっていた? それとも、王都がもうここに目をつけている?)
これを見て私は思わず足元がぐらついたような気がした。
私がここにいることは、もう知られているのだろうか?
いや、でも――将軍様は、何も言っていなかった。
誰も、私を問い詰めたりはしない。
けれど、この感覚……この【何か】に見られているような感覚”は、確かに心の奥底に巣食っていたのかもしれない。
胸が、締め付けられる感覚を覚えながらいたその時だった。
「――セラ、ここにいたの?」
不意に後ろから声をかけられて、私はびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると、サーシャが腕に本を抱えて立っていた。
彼女は少し首をかしげて、笑いながら近づいてくる。
「あ、え……ご、ごめんなさい、少しぼうっとしていたから」
「そうなの、なら良いんだけど……顔色悪いよ?」
「そう、かな?ちょっと本読みすぎちゃったかも」
笑いながら答えた私の姿をジッと見つめながら、サーシャは答える。
「……本当、やっぱり思うんだけどさ……セラって、やっぱり普通の人じゃないよね」
「え……?」
「だって、立ち居振る舞いとか言葉の選び方とか……貴族のお嬢様みたいだもん。最初はたまたまかと思ってたけど、もしかしたら何処かのお嬢様だったんだなって噂が広がってるよ?」
「っ……」
サーシャは悪気なくそう言った。
揶揄うような調子でもなく、本当に「ちょっと不思議な人だなぁ」と思っているだけの口ぶりのような言葉だ。
私は、とっさに笑って誤魔化した。
「そ、そんなこと……あ、き、きっと、昔にお屋敷で働いてた人の真似をしてたから癖がついちゃってるのかも」
「ああ、なるほどねぇ。でもほんと、変な話……貴族の娘がこんな場所に来るわけないしね」
そう言ってサーシャはくすりと笑い、本を棚にしまってから部屋を出ていった。
私は残された静けさの中に、一人立ち尽くしていた。
(……いけない、隠しきれなくなってきている)
王都の文書、サーシャの言葉、そして何かの、気配。
今まで静かだったはずなのに、ゆっくりと広がっている――そんな感覚。
これまで築いてきた【セラ】という仮面の生活が、少しずつ脆くなっていく音が、どこかで鳴っていた。
私の正体が明かされる時、それはきっと――この穏やかな日々の終わりを告げるものになる。
だからこそ。
(……まだ、言えない)
この想いも、過去も、何もかも全て。
将軍様の隣に立ちたいという気持ちすら――まだ、口にしてはいけないのだと。
私はそっと、書棚に背を預けて小さく息を吐く。
目の前にある王都の文書は、そっと閉じて、何も見なかったことにしてしまいたかった。
けれど、心だけは、静かに警鐘を鳴らしていた。
(……誰かが、近づいている)
窓から差し込む陽の光が埃の舞う空間を柔らかく照らし、古い革張りの本や地図が並ぶ棚は、どれも手入れが行き届いているとは言い難い。
けれど、この場所には時間の重みと静かな気配があった。私は時折、炊事や掃除の合間を縫ってここに足を運ぶようになっていた。
もちろん、将軍様には許可をいただいている。
(こうして地図や資料を整理するの、嫌いじゃないわ)
今、私が手にしているのは旧エルグレイ領の地形図だった。
水源の流れを調べるため、数日前に倉庫から引き揚げられたまま、放置されていたもの。
書き込みが多く、幾度となく改訂された跡がある。
ページをめくるたび、かつて王都で習った地政学の知識が自然と頭をよぎる。水脈、村の配置、風の流れ……。
(ここに橋をかけるには、支柱の材質が問題ね……冬場は凍結も……)
その時だった。
ページの隙間から、一枚の紙片がはらりと滑り落ちた。
何気なく拾い上げた私は、そこに刻まれた【王都第一文書局】の紋章を見て、思わず手を止めた。
「……?」
何処か見覚えのある文様だった。
王都の政務機関の中でも、重要な外交・内政資料を管理する部署。通常、辺境の地には持ち出されることすらないはずの封蝋。
視線が、その文書の中身へと吸い寄せられる。
(どうしてこんなものがあるのかしら?)
手が、微かに震える。
それは決して私宛の文ではない。
けれど、その端に記されていた名前――嘗て私自身と関わった高官の名を見た瞬間、喉の奥が焼けるような感覚に襲われた。
(……誰かが、王都と繋がっていた? それとも、王都がもうここに目をつけている?)
これを見て私は思わず足元がぐらついたような気がした。
私がここにいることは、もう知られているのだろうか?
いや、でも――将軍様は、何も言っていなかった。
誰も、私を問い詰めたりはしない。
けれど、この感覚……この【何か】に見られているような感覚”は、確かに心の奥底に巣食っていたのかもしれない。
胸が、締め付けられる感覚を覚えながらいたその時だった。
「――セラ、ここにいたの?」
不意に後ろから声をかけられて、私はびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると、サーシャが腕に本を抱えて立っていた。
彼女は少し首をかしげて、笑いながら近づいてくる。
「あ、え……ご、ごめんなさい、少しぼうっとしていたから」
「そうなの、なら良いんだけど……顔色悪いよ?」
「そう、かな?ちょっと本読みすぎちゃったかも」
笑いながら答えた私の姿をジッと見つめながら、サーシャは答える。
「……本当、やっぱり思うんだけどさ……セラって、やっぱり普通の人じゃないよね」
「え……?」
「だって、立ち居振る舞いとか言葉の選び方とか……貴族のお嬢様みたいだもん。最初はたまたまかと思ってたけど、もしかしたら何処かのお嬢様だったんだなって噂が広がってるよ?」
「っ……」
サーシャは悪気なくそう言った。
揶揄うような調子でもなく、本当に「ちょっと不思議な人だなぁ」と思っているだけの口ぶりのような言葉だ。
私は、とっさに笑って誤魔化した。
「そ、そんなこと……あ、き、きっと、昔にお屋敷で働いてた人の真似をしてたから癖がついちゃってるのかも」
「ああ、なるほどねぇ。でもほんと、変な話……貴族の娘がこんな場所に来るわけないしね」
そう言ってサーシャはくすりと笑い、本を棚にしまってから部屋を出ていった。
私は残された静けさの中に、一人立ち尽くしていた。
(……いけない、隠しきれなくなってきている)
王都の文書、サーシャの言葉、そして何かの、気配。
今まで静かだったはずなのに、ゆっくりと広がっている――そんな感覚。
これまで築いてきた【セラ】という仮面の生活が、少しずつ脆くなっていく音が、どこかで鳴っていた。
私の正体が明かされる時、それはきっと――この穏やかな日々の終わりを告げるものになる。
だからこそ。
(……まだ、言えない)
この想いも、過去も、何もかも全て。
将軍様の隣に立ちたいという気持ちすら――まだ、口にしてはいけないのだと。
私はそっと、書棚に背を預けて小さく息を吐く。
目の前にある王都の文書は、そっと閉じて、何も見なかったことにしてしまいたかった。
けれど、心だけは、静かに警鐘を鳴らしていた。
(……誰かが、近づいている)