追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
第45話 お断りします。
レオンハルトの「君が必要だ」という言葉はこの広い部屋の中で静かに響き、そして消えた。
私はその余韻をまるで他人事のように受け止めていたんだと思う。
胸は不思議なほど静かだった。怒りも、悲しみも、もう燃え上がらない。
ただ、ひどく澄んだ湖面のように、揺れのない感情が広がっている。
必要――今更そんな事を言われても、響く事は決してない。
その響きは、嘗ての私ならば救いだったかもしれない。
認められたいと願い、支えたいと願い、隣に立つことを誇りとしていたあの頃の私なら。
けれど、今は違う。
私はゆっくりと息を吸い、まっすぐ彼を見つめた。
疲労の色が濃い顔。削れた自尊心。焦りを隠しきれない瞳。そこにあるのは、昔の私が恋い慕った王太子の姿ではなく、追い詰められた為政者の姿だった。
「私に、この国を支える【道具】になれとおっしゃっているんですね、殿下」
静かな声――責めるでもなく、嘆くでもなく。ただ事実を確認するように。
彼の喉がわずかに動く。言葉が詰まったのが分かる。
「違う、私は……」
「違いませんよ」
私は遮った。
強くはない言葉――けれど、はっきりと。
「あなたが今求めているのは、私の心ではなく、私の力です」
彼の瞳が揺れる。否定したいのだろう。だが、できない。
私は続ける。
「私は嘗て、あなたの隣で国を支える覚悟をしていました。それが誇りでした。盾となり、矢を受け、泥を被ることも厭わなかった」
あの日々は、嘘ではない。確かに、私は本気だった。
「ですが――」
一瞬だけ、辺境の朝靄が脳裏をよぎる。井戸水の冷たさ。サーシャの笑顔。カイの低い声。
「私はもう、あなたの盾ではありませんし、なることもできません……それすら、出来なくなってしまいました」
静かに笑いながら、その言葉を続ける。
「――私は、人として生きる道を選びました」
それは宣言だ。
私は王太子妃候補でも、反逆者でもない。
ただの一人の【人間】として、生きると決めた。その選択を、誰にも奪わせない。
レオンハルトの顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「……人として、だと?」
「はい」
「それが……辺境での生活か?」
かすれた声でそのように問いかける。
そこには嫉妬とも悔恨ともつかぬ色が混じっているかのように見えたが、それでも私は迷わなかった。
「ええ、そうです」
私は迷わず頷いた。
「名も肩書きもなくても、私は必要とされました。笑い、働き、失敗し、許されました。あそこには、私が私でいられる場所がありました」
ふと、将軍様の背中が浮かぶ。
守ると言ってくれた人。
命令でも義務でもなく、ただ隣にいろと言ってくれた、不思議な人だ。
「殿下。あなたが今求めているのは、昔の【セレスティア・アルセイン】です。王太子妃候補としての私であり、王国を守るための駒」
私は静かに首を振る。
「ですが、私はもう、その役を引き受けるつもりはありません」
私が静かに笑いながらそのように発言するが、陛下は何も言わず沈黙が続く。
彼は数歩よろめくように後退し、近くの机に手をついた。
その姿は、以前の誇り高い王太子とは程遠い。
「……私は……間違えたのか」
小さな呟き。
「なぜ、あの時……」
言葉は続かない。
私は目の前の陛下を無視するかのように、目を伏せる。
「殿下がどう思われようと、過去は変わりません」
それは冷たい言葉かもしれない。だが、真実だ。
「……私はもう、戻りません」
はっきりと告げたその瞬間、扉の外が騒がしくなった。
複数の足音に鎧の擦れる音。
レオンハルトが顔を上げる。
「何だ」
扉が叩かれ、外から声が響く。
「殿下。王妃様のご命令です」
空気が一変する。
「セレスティア・アルセインを正式に裁判へかけるとの事になりました。謁見の間へお連れするように、と」
「……やはり、そう来ましたか」
私の胸が、静かに鳴った。
来ると分かっていた。拒絶すれば、次は力だ。
レオンハルトの顔が強張る。
「待て、それは――」
「王妃様の正式なご裁可です」
とても冷たい声が耳に残る。
多分、王妃派が動いたのだ。
私を利用できぬなら、裁きで封じる。
再び罪人として、完全に王都の支配下へ。
扉が開き、騎士たちが入ってくる。今度は公然と。隠す気もない。
私はまっすぐ立つ。
恐れはある。だが、俯かない。
レオンハルトが私の腕を掴みかけ、そして止まる。
「セレスティア……」
その声には、迷いが滲んでいる。
私はそっとその手を外した。
「――これが、王都の答えなのですね」
静かに言い、騎士たちの方へ歩み出る。今度は自分の足で。
玉座の間へ向かう廊下は、以前よりも長く感じられた。
だが、私はもう逃げない――裁かれるのなら、堂々と立つ。
人として、生きると選んだ者として。
私はその余韻をまるで他人事のように受け止めていたんだと思う。
胸は不思議なほど静かだった。怒りも、悲しみも、もう燃え上がらない。
ただ、ひどく澄んだ湖面のように、揺れのない感情が広がっている。
必要――今更そんな事を言われても、響く事は決してない。
その響きは、嘗ての私ならば救いだったかもしれない。
認められたいと願い、支えたいと願い、隣に立つことを誇りとしていたあの頃の私なら。
けれど、今は違う。
私はゆっくりと息を吸い、まっすぐ彼を見つめた。
疲労の色が濃い顔。削れた自尊心。焦りを隠しきれない瞳。そこにあるのは、昔の私が恋い慕った王太子の姿ではなく、追い詰められた為政者の姿だった。
「私に、この国を支える【道具】になれとおっしゃっているんですね、殿下」
静かな声――責めるでもなく、嘆くでもなく。ただ事実を確認するように。
彼の喉がわずかに動く。言葉が詰まったのが分かる。
「違う、私は……」
「違いませんよ」
私は遮った。
強くはない言葉――けれど、はっきりと。
「あなたが今求めているのは、私の心ではなく、私の力です」
彼の瞳が揺れる。否定したいのだろう。だが、できない。
私は続ける。
「私は嘗て、あなたの隣で国を支える覚悟をしていました。それが誇りでした。盾となり、矢を受け、泥を被ることも厭わなかった」
あの日々は、嘘ではない。確かに、私は本気だった。
「ですが――」
一瞬だけ、辺境の朝靄が脳裏をよぎる。井戸水の冷たさ。サーシャの笑顔。カイの低い声。
「私はもう、あなたの盾ではありませんし、なることもできません……それすら、出来なくなってしまいました」
静かに笑いながら、その言葉を続ける。
「――私は、人として生きる道を選びました」
それは宣言だ。
私は王太子妃候補でも、反逆者でもない。
ただの一人の【人間】として、生きると決めた。その選択を、誰にも奪わせない。
レオンハルトの顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「……人として、だと?」
「はい」
「それが……辺境での生活か?」
かすれた声でそのように問いかける。
そこには嫉妬とも悔恨ともつかぬ色が混じっているかのように見えたが、それでも私は迷わなかった。
「ええ、そうです」
私は迷わず頷いた。
「名も肩書きもなくても、私は必要とされました。笑い、働き、失敗し、許されました。あそこには、私が私でいられる場所がありました」
ふと、将軍様の背中が浮かぶ。
守ると言ってくれた人。
命令でも義務でもなく、ただ隣にいろと言ってくれた、不思議な人だ。
「殿下。あなたが今求めているのは、昔の【セレスティア・アルセイン】です。王太子妃候補としての私であり、王国を守るための駒」
私は静かに首を振る。
「ですが、私はもう、その役を引き受けるつもりはありません」
私が静かに笑いながらそのように発言するが、陛下は何も言わず沈黙が続く。
彼は数歩よろめくように後退し、近くの机に手をついた。
その姿は、以前の誇り高い王太子とは程遠い。
「……私は……間違えたのか」
小さな呟き。
「なぜ、あの時……」
言葉は続かない。
私は目の前の陛下を無視するかのように、目を伏せる。
「殿下がどう思われようと、過去は変わりません」
それは冷たい言葉かもしれない。だが、真実だ。
「……私はもう、戻りません」
はっきりと告げたその瞬間、扉の外が騒がしくなった。
複数の足音に鎧の擦れる音。
レオンハルトが顔を上げる。
「何だ」
扉が叩かれ、外から声が響く。
「殿下。王妃様のご命令です」
空気が一変する。
「セレスティア・アルセインを正式に裁判へかけるとの事になりました。謁見の間へお連れするように、と」
「……やはり、そう来ましたか」
私の胸が、静かに鳴った。
来ると分かっていた。拒絶すれば、次は力だ。
レオンハルトの顔が強張る。
「待て、それは――」
「王妃様の正式なご裁可です」
とても冷たい声が耳に残る。
多分、王妃派が動いたのだ。
私を利用できぬなら、裁きで封じる。
再び罪人として、完全に王都の支配下へ。
扉が開き、騎士たちが入ってくる。今度は公然と。隠す気もない。
私はまっすぐ立つ。
恐れはある。だが、俯かない。
レオンハルトが私の腕を掴みかけ、そして止まる。
「セレスティア……」
その声には、迷いが滲んでいる。
私はそっとその手を外した。
「――これが、王都の答えなのですね」
静かに言い、騎士たちの方へ歩み出る。今度は自分の足で。
玉座の間へ向かう廊下は、以前よりも長く感じられた。
だが、私はもう逃げない――裁かれるのなら、堂々と立つ。
人として、生きると選んだ者として。