終電を逃した夜、鑑賞用の王子様は婚約者にした私を離さない

第6話 知らない世界の彼の顔

蒸し暑くなってきた初夏のとある金曜日の夜。
少しだけ残業したあたしは、いつものようにビーナスベルトの扉を開けた。
 
「いらっしゃい、志穂ちゃん」
「マスター、こんばんは」
 
マスターの声に手を振る。
そしていつもの席には——
当然みたいに綾人がいる。
 
「お疲れ」
「お疲れ」
 
もう最近は、このやり取りも当たり前になっていた。
同じ家に帰るのに、なぜかここで待ち合わせするのも不思議じゃなくて。
ネクタイをゆるめた綾人が、小さく息を吐いた。

「忙しかったの?」
「まぁな」   
「ワタセホテルの周年パーティーがあるからでしょ?綾くんいないと回らないもんね」

同居するようになって、少しずつ綾人のことがわかってきた。
 
ワタセホテルの経営企画部。
しかも、部長代理とあって、最近は帰りも遅く、朝起きるともういない。 
周年パーティーなら、その忙しさも納得だ。
 
ただ、綾人は今も涼しい顔でマスターと話している。
 
(ぬくもりがまだ残ってるから、寝てたのはわかるけど……)
 
一緒に暮らしてるのに、無茶してないか心配になる。
……いや、違う。
ただ、最近あまり顔を合わせてないだけだ。

(……なんで、こんなに気にしてるのよ)

「おい、聞いてんのか?」
「えっ……あ、ごめん。なに?」

返事するより早く、軽く額を小突かれた。
綾人は軽く笑いながら、グラスを揺らす。
 
「明日空けとけ」
「は?」
「出掛ける」
「どこに?」
「黙秘」
「子供かっ」
「志穂ちゃん、明日頑張ってね」
「え?……ありがとうございます……?」
 
マスターの朗らかな笑みに見送られたものの、疑問は消えない。
綾人も否定するどころか、面白そうにグラスを傾けている。
  
「ねぇ、頑張ってって何だと思う?」
「帰るぞ」

綾人は答えにならない答えのまま、先を歩いていく。
頑張って――
この言葉の意味を明日知るなんて、このときのあたしには想像もつかなかった。
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