愛とか恋とかウザいので

3・違った角度で見えること

 その週の土曜日、車の助手席で窓に額を押しつけていた萌依は、顔を上げて運転席をみた。

「どうかしたか?」

 ハンドルを握る蒼弥は、視線の前に向けたまま問いかけてくる。

「別になんでもないです」

「なんでもないって顔じゃないだろ」

 こちらを見ることなく、蒼弥が言う。
 きっと車に乗り込む際の、萌依の不満げな顔を思い出して言っているのだろう。

(そこまでわかっているなら、こんなむちゃくちゃな提案、しなければいいのに)

 そんな恨めしさを込めて、萌依は蒼弥の横顔を見つめる。
 夏の暑さを引きずっているような太陽の日差しを遮るためにサングラスをかけている彼は、休日のため服装もサマーニットにチノパンとラフなもので、普段と印象が大きく違っている。
 悪い意味でなく、伊達男という言葉がよく似合う。
 萌依としては、そんな彼が運転する車の助手席に自分が座っているという状況に、違和感しかない。
 ちなみに今日の萌依は、黒のタイトなワンピースに、白のパーカーを合わせている。普段より多少カジュアルではあるが、色の組み合わせはオフィスにいるときと変わらない。
 トレードマークになりつつある黒縁眼鏡も、そのままだ。

「私の顔なんて見てないじゃないですか」

 萌依としては、進行方向に顔を向けている蒼弥の揚げ足を取ったつもりなのだけど、相手は動じない。

「声でどんな顔をしているか想像つくぐらいには、親しい付き合いをしているつもりだ。そうでなければ、さすがに結婚を申し込んだりしない」

 その言葉に萌依が顔を顰めると、蒼弥が目尻に皺を刻む。萌依がどんな顔をしているか、想像がついたらしい。

(契約結婚の提案、どこまで本気なんだろう)

 萌依の反応を楽しがる蒼弥の姿に、そんなことを思う。
 先日、突然の萌依に会いにきた元カレの亨介に暴言を投げ場に蒼弥が駆け付け、萌依のフィアンセのフリをして、その場から彼女を連れ出してくれた。
 そのことには感謝しているのだけど、なにを思ったのか、その後で蒼弥は萌依に、本当に契約結婚しないかと提案してきたのだ。
 蒼弥に言わせれば、蒼弥は政略結婚を勧めてくる会長を黙らせることができるし、萌依は孫の結婚を願う祖父母を喜ばせることができるので丁度いいとのことだ。

(頭のいい人の発想は、凡人の斜め上をいっている)

 先日のやり取りを思い出し、萌依は眉間を揉む。

「そういえば、社長は会長のことを敵認定しているんですか?」

「なぜそう思う?」

 先日の記憶を辿っていた萌依が、ふと胸に湧いた疑問を言葉にすると、蒼弥がチラリと横目でこちらを窺う。

「先日、社長が『敵認定した奴を前にすると、相手が嫌がる角度から仕掛けたくなる主義』と話されていたので。私に結婚を提案したのは、会長への嫌がらせかと」

「まあな」

 萌依の言葉をあっさり認めて、蒼弥が言葉を続けた。

「経営者としての会長の手腕は認めている。だから敵認定とまではいかないが、俺はあの人の言いなりになる持ち駒ではなく、対等な存在であると示しておきたい」

 蒼弥と会長である重之は、孫と祖父という関係なのに、彼の声には、相手を突き放すようなよそよそしさがある。
 萌依がそれを奇妙に思っていると、それに気付いたのか、蒼弥は早瀬家の家庭事情を補足する。
 彼の両親は早くに離婚し、それが原因で、蒼弥はかなり冷めた正確に育ったのだとういう。

「なるほど。だから社長も、恋愛にも結婚にも興味がないんですね」

 たぶん古参の社員は、外聞をはばかって話題にしないのだろう。蒼弥が創業家の御曹司であることは誰もが承知しているが、前社長の詳しい事情はハルモニアに途中入社した萌依は初めて知る話しだ。

(社長のこと、私とは別世界を生きる完璧御曹司だと思っていたけど、違うのかも)

 言葉にしないだけで、蒼弥には蒼弥の苦労があるのだ。
 そう思うと、多少の親しみは湧く。とはいえ結婚するかと聞かれれば、それは別の問題である。

「ところで、休日まで、その呼び方はやめてもらえないか?」

「はい?」

「買い物の間、ずっと『社長』と呼ばれるは居心地が悪い」

 一瞬、萌依はなにを言われているのかわからなかったが、続く言葉で納得する。

「確かにそうですね」

 ただでさえ、お洒落な伊達男といった感じの蒼弥と、地味な萌依という組み合わせは釣り合いが取れてない。そんな状況で萌依が蒼弥を『社長』と呼ぶのは、悪目立ちが過ぎる。

「では、今日だけ『早瀬さん』と呼ばせいただいても?」

「俺は君にプロポーズしている最中なんだ。『蒼弥』と呼び捨てでもかまわんぞ。後、休日なんだから、そのかしこまった口調もやめてくれ」

 そう言って、蒼弥がニヤリと笑う。
 契約結婚の提案を、プロポーズと呼ぶのはなにか違う。

「いえ。早瀬さんと呼ばせていただきます」

 萌依は、素っ気なく返す。
 今日、彼の提案を受け入れて一緒に買い物に行くことにしたのは、部下として押しの強い蒼弥の性格を承知しているので、断るのは骨が折れると思ったからだ。
 ついでに言えば、萌依ひとりでドレスを選ぶより、蒼弥のアドバイスを受けながらの方がいいという判断もある。

「萌依」

「えっ!」

 突然蒼弥に下の名前を呼ばれて、萌依の心臓が大きく跳ねた。
 驚いて視線を向けると、蒼弥が笑う。その表情は些細な悪戯を楽しむ少年のようだ。

「プロポーズしている身なので、そう呼んでも?」

「好きにしてください」

 下手に動揺しては蒼弥に笑われてしまいそうなので、萌依は、そう答えて横を向く。

「言質は取った。ではそういうことで」

 蒼弥はご機嫌な様子で声を弾ませ、心なしか車の速度をわずかに上げる。
 今日の行き先については蒼弥に任せてほしいと言われているので、萌依は目的地を知らない。それでもなにも言わずに助手席に座っているのは、彼を信頼しているからだ。
 そのまま車を走らせた蒼弥が、萌依を連れて行ったのは、個人経営のブティックだった。
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