愛とか恋とかウザいので
◇◇◇
「なるほど、昔の恋人に絡まれていたのか」
萌依をカフェから連れ出した蒼弥は、塩井に外で萌依と面談するとメッセージを送り、彼女を近くの蕎麦屋に連れて行った。
話し合いの場所に蕎麦屋を選んだのは、昼のピーク時を過ぎており、静かに話せるだろうし、萌依が昼食を取っていない様子だったので丁度いいと思ったからだ。
「俺は昼を取ったばかりだから、朝比奈君がなにか頼んでくれ。俺の分もしっかり食ってくれよ」
そう言ってメニューを渡すと、萌依は、困り顔を見せつつも天ざる蕎麦を注文した。
そして食事を取りつつ事情を話してくれたのだが、聞かされた内容は、なんとも胸が悪くなるものだった。
遊び人を気取るつもりはないが、浮気性の父親を見て育った蒼弥は、それなりに男女の機微は理解しているつもりだ。
だから、恋人の浮気や、それによる失恋なんて傷付く価値もないと考えてしまう。
それどころか、結婚などする前に、相手の本性が知れて別れることができたのだから、むしろラッキーではないか。
(俺ならそう割り切るけど、朝比奈君は違うんだろうな)
生真面目に仕事をこなす彼女は、私生活においても恋人を裏切るなんて発想がなく、だから相手も同じだと信じていたのだ。
だから恋人の浮気に、世界が壊れてしまったような衝撃を受けて、それまでの自分を捨てて転職までしたのだろう。
蒼弥にはないその愚直さが、眩しくも、もどかしい。
(そういうことなら、もっと徹底的に打ちのめしてやればよかった)
亨介の態度を思い出し、蒼弥は歯噛みする。
先ほど所長室で電話を受けたとき、『十和企興の加茂』という名前を聞いて、萌依はひどく動揺していた。
昨日からどことなく挙動不審だったこともあり、気になって、戻ってきた塩井と渥美になにかあれば連絡をよこすよう伝えて様子を見に行くことにしたのだ。
そして駆け付けてみたところ、萌依は、あの亨介という男に暴言を投げかけられていた。
自分の部下が失礼な扱いを受けていて見過ごせるほど、蒼弥は穏やかな性格もしていない。
瞬時に亨介を敵認定し、限られた情報の中で、自分が萌依の恋人を名乗るが一番効果的だと判断して、思わず行動してしまった。
昨日、萌依も恋愛に興味がないと話していたので、その場限りの噓としてなら許されると思ったからだ。
結果、亨介はかなり動揺していたし、それがハルモニアの社長と知って、面白いほど慌てていた。
蒼弥としては、ザマアミロという気分である。
萌依の方がそれ以上に衝撃を受けていたように思うが、この際それは忘れておく。
「私のせいで、社長に迷惑がかかるかもと思うと申し訳なくて」
蕎麦を啜りつつ事情説明した萌依がもうしわけなさそうにする。しかしこの場合、巻き込んでしまったのは、蒼弥の方だ。
「俺の方は、誰とどんな噂がたとうが問題ない。だが朝比奈君が、またすぐにあの男に会う予定があるとは思わず、悪いことをした」
もし蒼弥が萌依と恋人関係にあるという噂が流れたとしても、普段のふたりの距離感を知る周囲の者は、まず信じないだろう。せいぜい、蒼弥の結婚をせかす祖父の重之が、外聞が悪いと騒ぐくらいだ。
そう思っていたのだが、次の日曜日に、萌依はまた彼や、その彼を寝取った女性と会う予定があるのだという。
悪いことをしたと謝る蒼弥に、萌依は首を横に振る。
「私のことは気にしないでください。あれは社長の冗談だったと、笑い話にして終わらせます」
そうは言うが、あの男の態度から考えると『笑い話にして終わらせる』のではなく、萌依が笑い者にされるのが目に見えている。
そんな解決策、蒼弥としては見過ごせるはずがない。
(それくらいなら、このまま彼女のフィアンセ役を演じ続けた方がマシだ)
心の中で呟いた瞬間、蒼弥の頭に閃くものがあった。
「そうか……」
「どうかされましたか?」
蕎麦を啜っていた萌依が、箸を止めてこちらを見た。
「朝比奈君は、俺と一緒で、恋愛に興味がないし、結婚願望もないんだよな」
昨日、萌依とはそんな会話をした。
「はい。孫の結婚を心待ちにしてくれている祖父母には申し訳ないですけど、私は結婚も恋愛もするつもりはありません」
萌依はそう答えて、天ぷらを箸で摘まむ。彼女が祖父母に育てられたというのは、なにかのおりに耳にしている。
それならなおさら好都合と、蒼弥は先ほど閃きを言葉にする。
「そうか。それならいっそのこと、さっきの噓を本当のことにしないか?」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「俺と結婚しないかと言っているんだ。俺も会長にしつこく縁談を勧められて、うんざりしていたところだ。お互い恋愛にも結婚にも興味はなことだし、契約結婚するというのはどうだ? そうすれば、君は、あの男の鼻を明かせるし、祖父母を喜ばせることができる」
蒼弥の提案に驚いた萌依の箸から、天ぷらがポトリと落ちた。
思いがけない発言によほど驚いたのか、萌依はそれっきりフリーズしている。
「夫婦と言っても、べつに体の関係を求める気はないし、妻としての特別な役割を求めるつもりもない。仕事もこれまでどおりで構わない。強いて言うなら、会長に俺が結婚したと納得させるために一緒に暮らしてほしいとは思うが、寝室はもちろん別だ」
蒼弥は、萌依の目の前で手をヒラヒラさせながら自分の考えを述べていく。
それでも萌依の反応がないので、彼女の鼻先でパチンッと指を鳴らして「どうだ、悪くない条件だとは思わないか?」と、声をかけてみた。
それでやっと萌依の顔に表情が戻った。
「な、なにを考えているんですかっ!」
「ダメか?」
蒼弥としては、なかなかの名案だと思ったのだが。
萌依は目を丸くしたまま首を大きく横に振る。
「ダメに決まっているじゃないです! そんなの絶対ありえません」
萌依はそう言うが、蒼弥としては、名案だと思うだけに自分の考えを曲げるつもりはない。
「そう言うのなら、俺と朝比奈君が結婚することにどんな不都合があるか、説明してくれ」
「私は社長の部下です」
「ウチは、社内恋愛も結婚も禁止していない」
「だけど、私と社長では家柄とかが違い過ぎますし」
「俺は能力評価主義だ」
「う……」
ついいつもの癖で反対意見を正論で捻じ伏せていると、萌依が言葉を詰まらせる。
仕事ではないので理詰めで自分の意見を押し通すつもりはないが、こちらの提案を頭ごなしに否定されるのは面白くない。
「少なくとも、多少は検討してみてもいいじゃないのか? そうだ! 週末、その友人の結婚式に着ていくドレスを買いに行くんだろう? ならそれに付き合うから、俺との契約結婚の可能性について検討してみるのはどうだ?」
「検討って、どうやって……」
萌依が嫌そうな顔をする。
倒産目前と言われていたハルモニアが、驚くほどの速さで業績を回復させたのは、蒼弥の柔軟な発想力と同じくらい、粘り強い交渉力があってのこと。
それを知っているだけに、どうしたものかと悩んでいるだろう。
だけど蒼弥に言わせれば、即答できなかった段階でこちらの勝ちだ。
「昼休みのあれは、その友人の結婚式に、なにを着ていけばいいか決められずに悩んでいたんだろ? それならドレスを選ぶのを付き合うから、休日を俺と過ごしてみて、プライベートな時間を共有するに値する存在か、お互い検討してみるというのはどうだ?」
萌依は、こうなると蒼弥が簡単には自分の意見を曲げないことを承知している。だから諦めがついたのだろう。
しばらく考えを巡らせた後で、大きくため息をついて項垂れる。
「わかりました」
絞り出すような声は、かなり不満げだが、とりあえず萌依から望む言葉を引き出した。
「ではそういうことで、週末は俺と模擬デートといこう」
蒼弥は、勝利の笑みを浮かべた。
「なるほど、昔の恋人に絡まれていたのか」
萌依をカフェから連れ出した蒼弥は、塩井に外で萌依と面談するとメッセージを送り、彼女を近くの蕎麦屋に連れて行った。
話し合いの場所に蕎麦屋を選んだのは、昼のピーク時を過ぎており、静かに話せるだろうし、萌依が昼食を取っていない様子だったので丁度いいと思ったからだ。
「俺は昼を取ったばかりだから、朝比奈君がなにか頼んでくれ。俺の分もしっかり食ってくれよ」
そう言ってメニューを渡すと、萌依は、困り顔を見せつつも天ざる蕎麦を注文した。
そして食事を取りつつ事情を話してくれたのだが、聞かされた内容は、なんとも胸が悪くなるものだった。
遊び人を気取るつもりはないが、浮気性の父親を見て育った蒼弥は、それなりに男女の機微は理解しているつもりだ。
だから、恋人の浮気や、それによる失恋なんて傷付く価値もないと考えてしまう。
それどころか、結婚などする前に、相手の本性が知れて別れることができたのだから、むしろラッキーではないか。
(俺ならそう割り切るけど、朝比奈君は違うんだろうな)
生真面目に仕事をこなす彼女は、私生活においても恋人を裏切るなんて発想がなく、だから相手も同じだと信じていたのだ。
だから恋人の浮気に、世界が壊れてしまったような衝撃を受けて、それまでの自分を捨てて転職までしたのだろう。
蒼弥にはないその愚直さが、眩しくも、もどかしい。
(そういうことなら、もっと徹底的に打ちのめしてやればよかった)
亨介の態度を思い出し、蒼弥は歯噛みする。
先ほど所長室で電話を受けたとき、『十和企興の加茂』という名前を聞いて、萌依はひどく動揺していた。
昨日からどことなく挙動不審だったこともあり、気になって、戻ってきた塩井と渥美になにかあれば連絡をよこすよう伝えて様子を見に行くことにしたのだ。
そして駆け付けてみたところ、萌依は、あの亨介という男に暴言を投げかけられていた。
自分の部下が失礼な扱いを受けていて見過ごせるほど、蒼弥は穏やかな性格もしていない。
瞬時に亨介を敵認定し、限られた情報の中で、自分が萌依の恋人を名乗るが一番効果的だと判断して、思わず行動してしまった。
昨日、萌依も恋愛に興味がないと話していたので、その場限りの噓としてなら許されると思ったからだ。
結果、亨介はかなり動揺していたし、それがハルモニアの社長と知って、面白いほど慌てていた。
蒼弥としては、ザマアミロという気分である。
萌依の方がそれ以上に衝撃を受けていたように思うが、この際それは忘れておく。
「私のせいで、社長に迷惑がかかるかもと思うと申し訳なくて」
蕎麦を啜りつつ事情説明した萌依がもうしわけなさそうにする。しかしこの場合、巻き込んでしまったのは、蒼弥の方だ。
「俺の方は、誰とどんな噂がたとうが問題ない。だが朝比奈君が、またすぐにあの男に会う予定があるとは思わず、悪いことをした」
もし蒼弥が萌依と恋人関係にあるという噂が流れたとしても、普段のふたりの距離感を知る周囲の者は、まず信じないだろう。せいぜい、蒼弥の結婚をせかす祖父の重之が、外聞が悪いと騒ぐくらいだ。
そう思っていたのだが、次の日曜日に、萌依はまた彼や、その彼を寝取った女性と会う予定があるのだという。
悪いことをしたと謝る蒼弥に、萌依は首を横に振る。
「私のことは気にしないでください。あれは社長の冗談だったと、笑い話にして終わらせます」
そうは言うが、あの男の態度から考えると『笑い話にして終わらせる』のではなく、萌依が笑い者にされるのが目に見えている。
そんな解決策、蒼弥としては見過ごせるはずがない。
(それくらいなら、このまま彼女のフィアンセ役を演じ続けた方がマシだ)
心の中で呟いた瞬間、蒼弥の頭に閃くものがあった。
「そうか……」
「どうかされましたか?」
蕎麦を啜っていた萌依が、箸を止めてこちらを見た。
「朝比奈君は、俺と一緒で、恋愛に興味がないし、結婚願望もないんだよな」
昨日、萌依とはそんな会話をした。
「はい。孫の結婚を心待ちにしてくれている祖父母には申し訳ないですけど、私は結婚も恋愛もするつもりはありません」
萌依はそう答えて、天ぷらを箸で摘まむ。彼女が祖父母に育てられたというのは、なにかのおりに耳にしている。
それならなおさら好都合と、蒼弥は先ほど閃きを言葉にする。
「そうか。それならいっそのこと、さっきの噓を本当のことにしないか?」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「俺と結婚しないかと言っているんだ。俺も会長にしつこく縁談を勧められて、うんざりしていたところだ。お互い恋愛にも結婚にも興味はなことだし、契約結婚するというのはどうだ? そうすれば、君は、あの男の鼻を明かせるし、祖父母を喜ばせることができる」
蒼弥の提案に驚いた萌依の箸から、天ぷらがポトリと落ちた。
思いがけない発言によほど驚いたのか、萌依はそれっきりフリーズしている。
「夫婦と言っても、べつに体の関係を求める気はないし、妻としての特別な役割を求めるつもりもない。仕事もこれまでどおりで構わない。強いて言うなら、会長に俺が結婚したと納得させるために一緒に暮らしてほしいとは思うが、寝室はもちろん別だ」
蒼弥は、萌依の目の前で手をヒラヒラさせながら自分の考えを述べていく。
それでも萌依の反応がないので、彼女の鼻先でパチンッと指を鳴らして「どうだ、悪くない条件だとは思わないか?」と、声をかけてみた。
それでやっと萌依の顔に表情が戻った。
「な、なにを考えているんですかっ!」
「ダメか?」
蒼弥としては、なかなかの名案だと思ったのだが。
萌依は目を丸くしたまま首を大きく横に振る。
「ダメに決まっているじゃないです! そんなの絶対ありえません」
萌依はそう言うが、蒼弥としては、名案だと思うだけに自分の考えを曲げるつもりはない。
「そう言うのなら、俺と朝比奈君が結婚することにどんな不都合があるか、説明してくれ」
「私は社長の部下です」
「ウチは、社内恋愛も結婚も禁止していない」
「だけど、私と社長では家柄とかが違い過ぎますし」
「俺は能力評価主義だ」
「う……」
ついいつもの癖で反対意見を正論で捻じ伏せていると、萌依が言葉を詰まらせる。
仕事ではないので理詰めで自分の意見を押し通すつもりはないが、こちらの提案を頭ごなしに否定されるのは面白くない。
「少なくとも、多少は検討してみてもいいじゃないのか? そうだ! 週末、その友人の結婚式に着ていくドレスを買いに行くんだろう? ならそれに付き合うから、俺との契約結婚の可能性について検討してみるのはどうだ?」
「検討って、どうやって……」
萌依が嫌そうな顔をする。
倒産目前と言われていたハルモニアが、驚くほどの速さで業績を回復させたのは、蒼弥の柔軟な発想力と同じくらい、粘り強い交渉力があってのこと。
それを知っているだけに、どうしたものかと悩んでいるだろう。
だけど蒼弥に言わせれば、即答できなかった段階でこちらの勝ちだ。
「昼休みのあれは、その友人の結婚式に、なにを着ていけばいいか決められずに悩んでいたんだろ? それならドレスを選ぶのを付き合うから、休日を俺と過ごしてみて、プライベートな時間を共有するに値する存在か、お互い検討してみるというのはどうだ?」
萌依は、こうなると蒼弥が簡単には自分の意見を曲げないことを承知している。だから諦めがついたのだろう。
しばらく考えを巡らせた後で、大きくため息をついて項垂れる。
「わかりました」
絞り出すような声は、かなり不満げだが、とりあえず萌依から望む言葉を引き出した。
「ではそういうことで、週末は俺と模擬デートといこう」
蒼弥は、勝利の笑みを浮かべた。