愛とか恋とかウザいので

12・ハルモニアのこれから

 萌依と共にミツセの自宅を訪問した翌週、蒼弥の姿は、ハルモニア百周年を祝う式典の会場にあった。
 壇上に上がり司会進行を任せている女性を交えて、ホテルスタッフと最終的な打ち合わせをしていると、傍らに人が立つ気配がした。

「準備は、滞りなく進んでいるんだろうな」

 いかめしい顔でそう問いかけてくるのは、蒼弥の祖父であり、ハルモニア会長である重之だ。
 仙台平の袴と黒紋付きといういでたちの彼は、値踏みするような眼差しを周囲に巡らせる。
 和装の重之と違い、蒼弥は華やかな光沢の黒いスーツを着るが、どちらの左手首にもハルモニアの腕時計が存在感を示している。

「誰に聞いてます?」

 蒼弥が強気な表情で問いかけると、重之は、その態度が気に入らないといった様子で鼻を鳴らして、壇上の目立つ場所に展示されている大きなパネルに視線をむけた。
 イーゼルに立てかけられたそのパネルには、ミツセの描いた腕時計のラフ画をポスターとして使用したものが展示されている。
 腕時計のデザインが既に流出してしまっているので、隠すことに意味はない。
 それならいっそのこと展示してしようと、蒼弥が提案したのだが、重之としてはまだ納得がいかないようだ。

「結局、メール送信の犯人は突き止められなかったようだな」

 しばし憮然としていた重之だが、すぐに気を取り直して、唇の端に勝者の笑みを浮かべる。

「例の賭けは、私の勝ちだ。とりあえずは、それでよしとしておくか」

「賭?」

「式典までに解決出来なければ、あの女に責任を取らせると言ったはずだ」

 涼しい顔でとぼける蒼弥に、重之が苦々しい顔で念押ししてくる。

「ああ、そのことですか」

 とぼける蒼弥は、腕時計で時刻を確認し、文字盤を重之の方に見せて言う。

「正確に時を刻むハルモニアの時計によれば、式典開始までには、まだ幾ばくかの猶予があるようですが?」

「ぬかせ」

 式典の開始時刻まで後十五分程度だ。
 その程度の時間でなにが出来ると言いたいのだろうけど、そんなことはない。

「早瀬社長」

 名前を呼ばれて視線を向けると、早めに来てほしいと頼んであった館野親子が満面の笑顔でこちらに歩いてくるのが見えた。
 式典の前にハルモニアの会長を交えて話したいことがあると伝えておいたのだが、どうやらかなり脳天な妄想を膨らませているらしい。

「早瀬社長、本日はご招待ありがとうございます」

「いえ。お忙しい中、お呼びだてして申し訳ありません。こちら十和企興の館野常務です」

 蒼弥は、館野常務に儀礼的な挨拶をする。言葉の後半は、重之に向けてのものだ。
 それを受けて重之が、蒼弥に物言いたげな視線を向ける。
 おそらく『こんな下っ端を紹介されても迷惑だ』とでも、言いたいのだろう。
 館野常務の隣では、眞希子が、澄ました顔で自分が紹介されるのを待っているが、蒼弥としては彼女の紹介は残りの関係者が到着してからにしたい。
 そう思い再び入り口の方へと視線を向けると、待ち望んでいた人がこちらへと近付いてくるのが見えた。

「萌依」

 蒼弥が名前を呼ぶと、赤いドレスで正装した萌依がこちらを見た。その隣には、ミツセの姿もある。
 彼女のエスコートを他の男性に任せるのは面白くないのだが、今日だけが仕方ないと自分を宥めて、蒼弥は館野親子を見た。

「なんであの子がここにいるのよ」

 萌依に気付いた眞希子が、小さく毒づく。
 重之も同じ気持ちだったのだろう。無言で蒼弥を睨む。

「改めて紹介する必要はないで、それは省かせていただきますが、今日の式典で、正式に萌依を私のパートナーとして紹介する予定です」

 蒼弥はそう宣言し、重之や館野親子に見せ付けるように萌依の腰を抱く。

「そんな勝手、許した覚えはないぞっ!」

「まさかっ! だってその子は……」

 蒼弥の報告に、重之と眞希子が抗議の声を上げる。
 眞希子の相手をするつもりのない蒼弥は、彼女の声は無視して重之の方を向く。

「俺たちの関係を認めると明言したのは、会長じゃないですか」

「それは、あの件を解決すればの話だ」

 その言葉に、蒼弥は、やっと眞希子を紹介する。

「その件に関してですが、ミツセ氏のデザイン画を無断で公開したのは彼女です」

「えっ!」

 蒼弥の言葉に、館野常務が間の抜けた声を漏らした。
 名指しされた眞希子は一瞬表情をなくしたが、すぐに愛想笑いを浮かべて、その場をつくろおうとする。

「わ、私にはなんのことだか、さっぱり。……どこにそんな証拠があるんです?」

「そうですよ。どうやったら、ウチの娘にミツセさんの図面を手に入れることができると言うですか?」

「少なくとも、情報流出させたのが十和企興というのは、間違いないね」

 館野常務が慌てて娘の無実を訴えると、ミツセが話しに割り込む。

「なにを証拠に」

「これだよ」

 声を荒げる館野常務に対して、蒼弥はコンッと、展示されているパネルを拳の背で軽く叩く。
 そこには、引き延ばされた腕時計のデザイン画が飾られている。

「この図面のどこをどう取れば、ウチが情報流出させたという証拠になるんですか? こう言ってはなんですが、ウチにたいした仕事は任されていないんですよ。ウチが持ち合わせている情報なんて、よその企業とも共有していることばかりでしょう」

 館野常務不満げに言う。
 それには、パネルに腕を伸ばしてミツセが答える。

「それがね、そでもないんですよ。ほらここ、トゥールビヨンて呼ばれる部品で、機械式腕時計が重力の影響を受けずに正しい時刻を刻む手助けをする部品なんですが……」

 ミツセはそう言って、時計の下方に描かれている箇所を指で丸く囲む。スケルトンタイプの文字眼の奥で渦を捲くそれは、『持ち歩ける宇宙』と呼ばれるだけの精巧な動きをする。
 そのためミツセは、その部分のデザインに強いこだわりを持ち、何度もデザインし直したのだと言う。

「それでこれ、ボツにした方の図案なんだよね。そのデーターを持っているのは、十和企興の担当者だけだ」

「なっ」

 館野常務が愕然とする。

「少し前に、十和企興の担当者が訪ねてきて、『急にハルモニアの仕事を請け負うことになったから、時計のデザイン画の資料がほしい』と頼まれたんだ。そのとき、最新の図面が見つからなくて、古い方の図面を渡したんだよね」

 突然訪ねてきた担当者というのは亨介のことで、ハルモニアや蒼弥に不満を覚えていた彼は、もともと十和企興とミツセに付き合いがあったのをいいことに、ハルモニアにではなくミツセに資料請求したらしい。
 その際にミツセは、ハルモニアから正式な資料が届くのを待つ間、参考程度に見たいだけだろうと思い古い方のデザイン画を彼に渡した。
 なぜそんなことをしたかといえば、なにせミツセは片付けが苦手なのだ。突然資料の提出を求められて、探すのが面倒でそうしたのだという。
 そしてそのデザイン画が、今回の騒動に使われた。
 それが、メールを熟読した萌依が感じていた違和感の正体だ。

「だ、だとしても、それだけでは、ウチの娘が犯人とは……」

 横目で娘の様子を窺う館野常務の声が上擦っている。
 蒼白になる眞希子の表情を見て、本音では誰が犯人なのか察しているのだろう。

「データーを預かったのは加茂君だ。彼が情報流出の犯人ということもあるじゃないか」

「そうよ。きっと彼が犯人なのよ」

 館野常務が提示した可能性に、眞希子が飛びつく。
 蒼弥の読みとしては、どうにかして眞希子の気を引きたい亨介が、彼女にねだられるままデザイン画のデーターを渡したのだろう。
 同じ会社で働き、重役の娘という気の緩みからなの行為なのだろうけど、社会人としてのモラルに欠けている。
 そのうえ、どうやらこのままでは、彼が犯人ということにされるらしい。
 亨介に少しの同情心も持ち合わせていない蒼弥としては、それはそれで面白い気もするのだが、みすみす真犯人を逃がすわけにはいかない。
 蒼弥が情報を補足する。

「ところで、人の名前を騙ってメール送信者した場合、メール送信者の素性を調べるのはたやすいとご存じでしたか?」

「そんなっ」

 蒼弥の言葉に眞希子が悲鳴のような声をあげて視線をさまよわせた。
 実のところ、まだ開示請求をしているだけで送信者の素性は不明なままだ。あまり時間が経過すると、サーバーの方のログが消去される可能性もあるし、海外サーバーを経由していると追いかけるのが困難になる。
 だが眞希子はそのことに気付いていないらしい。
 自分の中で敵認定した人間に正確な情報を与えてやるほど、蒼弥は優しくない。
 それどころか、相手が嫌がる角度から仕掛けるのを常としている。

「ハルモニアを代表して、訴訟の準備を進めさせていただいておりますので、娘さんのために優秀な弁護士を探しておくことをお勧めしておきます」

「パパ……」

「お前、なんてことを……」

 眞希子にすがる眼差しを向けられて、館野常務が声を震わせる。

「少しでもこちらの心情をよくしたいのなら、この場で罪を認めて、俺の妻に謝罪しろ」

 蒼弥は、館野親子に言い放つ。
 その冷ややかな声を聞けば、この場で謝罪したところで、簡単には許してもらえないことは明白だ。
 それでも謝罪しなければ、今以上に状況が悪くなるだけと理解して、眞希子は萌依に謝罪した。
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