愛とか恋とかウザいので
◇◇◇
メール騒動以降仕事を休んでいる萌依は、その週末、蒼弥と共にミツセの自宅を訪れていた。
ハルモニア百周年に向けて、精力的に動いていた蒼弥だが、メールの件があり、その事態収拾のため忙しさが増している。
彼の秘書であり人生のパートナーでもある萌依としては、そのサポートをしたいところなので歯がゆい日々を過ごしていた。
萌依が仕事を休んでいるのは、蒼弥にそうするよう勧められたからだ。
本来なら萌依も彼に同行して、騒動に自分の名前が使用されたことを詫びたいところだが、この状況で下手に萌依が動くと、怒り心頭の重之がまた社長室に押しかけて騒ぎを起こしかねない。
そうなれば、ただでさえ忙しい蒼弥に、更なる負担をかけることになってしまうので、それは控えている。
とはいえ、萌依としては、問題解決を蒼弥ひとりに任せておくつもりはない。
改めて蒼弥へ想いを再認識したあの日、これからは自分の気持ちに噓をつくことなく生きていくと決めたのだ。
彼と一緒にこの困難を乗り越えたいという自分の気持ちに正直でありたい。
萌依がそう主張すると、蒼弥は困惑と喜びが入り混じった顔で、その意見を受け入れてくれた。
そしてお互いの意見を出し合い、ミツセのもとには、ふたりで訪れることを決めたのだ。
「帰国したばかりで、なにもなくてごめんね」
蒼弥と萌依を自宅に招き入れたミツセは、そう言って、それぞれにペットボトルの飲み物を手渡す。
自宅といっても、彼は仕事の拠点を海外に置いているので、生活感があまりなく事務所に近い。
そのため、飲み物や食料品のストックを置いていないのか、萌依と蒼弥が訪ねてきたあとで、慌てて目の前のコンビニに飲み物を買いに行った。今日のこの時刻に訪問することを事前に伝えてあったにもかかわらずにだ。
(もしかしなくても、ミツセさんて、家事能力がかなり低いのかも)
雑然と郵便物やら書類やらが積まれた部屋を眺めて、萌依はそんな感想を抱く。
先ほど蒼弥が書類を少し整理してはどうかとアドバイスしたところ、『視界に入らなくなると、存在を忘れてしまうから無理』と答えていた。
結果、片付けられない書類だらけになって、結局は大事な情報が埋もれてしまうのだから本末転倒だ。
蒼弥の話しによれば、彼のこの性格が災いして、十和企興の人にハルモニアと仕事をすることに気付かれたらしい。
「なんか僕が日本を離れている間に、色々面白いことになったみたいだね」
L字に配置されているソファーの一端に腰を下ろしたミツセは、彼の対角線に位置する場所に並んで座る萌依と蒼弥を見た。
その口調は軽く、彼もあのメールを。萌依が送信したものとは考えていないようだ。
萌依がそのことに安堵していると、蒼弥は萌依が手にしていたペットボトルを取り上げた。そして蓋を開けると、軽く締め直して萌依に戻す。
それを見てミツセは「これだから新婚は」と、軽く毒づく。
「俺のこういう面を見たくて、この前はわざと嫉妬させたんじゃないのか?」
蒼弥は恥ずかしがる様子もなく言う。
ついでに『冷やかすならどうぞ』といった感じで、軽く両手を広げてみせる。
そこまでされると、逆に揶揄うのがバカらしくなるのだろう。ミツセは、鼻に皺を寄せて顔を顰めただけだった。
その自然なやり取りを見ていれば、ふたりが気心の知れた仲であるとわかる。
「それで犯人の目星はついているの?」
自分の分のペットボトルの蓋を捻り、ミツセが聞く。
「どうだろうな」
蒼弥は曖昧に首を動かすだけで、明言を避ける。
状況証拠だけで考えれば、あのメール送信者は眞希子だろう。だけどその明確な証拠がないもで、明言を避けたようだ。
その態度に、ミツセはソファーの肘掛けを利用して頬杖をついてつまらなそうにする。
「どうでもいいけど、これ、僕的にかなり不愉快な状況だってわかってる?」
爪の甘皮をいじりながらミツセが言う。
「共同企画の件、契約解消したいとお考えでしょうか?」
言葉にするのも怖ろしいが、一度、その点を確認しなくてはならない。
萌依が緊張しながら聞くと、ミツセはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
その表情に、萌依は背中に嫌な汗が浮かぶのを感じるのだが、蒼弥は動じない。
「おい。悪ふざけはやめろ」
蒼弥が低い声で一喝すると、ミツセはチラリと舌を出す。
「出来ることならケチのついた仕事、白紙に戻したいところだけど、何度もリテイクして、将来自分の代表作になるって思っている品だ。公表が少し前にずれ込んだくらいで、捨てるのは惜しすぎる」
その言葉に、萌依はホッと胸を撫で下ろす。
さっきの意味深な表情は、ただの冗談だったらしい。
(それはよかったけど、ミツセさんが不本意なのは当然だよね)
この件の犯人が本当に眞希子なら、その動機は、身勝手で利己的なものだ。
道徳的に許されるものではないし、嫉妬や逆恨みといった不毛な理由で、他人の努力を踏みにじったことが許せない。
萌依の名前を騙ってメール送信した者が誰であれ、必ず、自分がしたことの罪を償わせたいと思う。
そのためにも……と、萌依は足下に置いてあったカバンを膝に載せる。
「ミツセさんがデザインした腕時計のラフが添付されていたことを鑑みて、メール送信者は、今回の企画の関係者であることは間違いないと思います」
カバンからA4サイズのクリアファイルを取り出した萌依は、それをミツセに差し出しながら言葉を続ける。
「ただメールに添付されていたデザイン画には、なにか違和感があるような気がしてならないんですけど、それがなにかわからなくて」
仕事を休んではいるが、自分なりになにか出来ることをしたいと思い、重之が残していったメールをプリントアウトした紙を、萌依は自宅で何度も見返していた。
蒼弥の秘書として、萌依も何度もミツセの図面を目にしてきた。その時の記憶と照らし合わせると、添付されていたデザイン画に上手く言語化できない違和感を覚えるのだ。
「貸して」
ミツセは軽く腰を浮かして腕を伸ばして、それを受け取る。
真剣な表情でそれを熟読し始めるミツセを、萌依は祈るような思いで見つめた。
図面が添付されていたといっても、図面の全てではなく、外観のラフスケッチや、内部構造の部品のいくつかを掻きだしたものだけだ。
それは間違いなくミツセが描いたものなのだけれど、萌依が記憶しているものと、なにかが違う。
それが気になって蒼弥にも相談したのだけど、彼はいまいちピンときていないようだった。
それでこの機会に、本人にそれ確かめてみようと思ったのだ。
しばらく黙って図面を眺めていたミツセが、「あっ」と小さな声を漏らした。
そして萌依たちへと視線を向ける。
「早瀬君、君はこれを見て、なにがおかしいかわかった?」
「いや。悪いがさっぱりだ」
蒼弥が正直に首を横に振ると、ミツセがニンマリと目を細めた。
「そう。君の妻君はすごいよ」
本人でさえなにを賞賛されているのかわからないのに、ミツセは、そのまま萌依をひとしきり褒めくれた。
そしてその後で、萌依が感じた違和感の正体を教えてくれた。
「……なるほど。そういうことだったのか」
ミツセの話しを聞いた蒼弥が唸る。
そして萌依へと視線を向けて、「萌依のおかげだ。さすがだ」と、手放しの賞賛を送ってくれる。
「私は、時間があったから」
そう謙遜しつつも、ミツセの話しを聞いて、萌依も自分の心に光が差すのを感じていた。
事件をなかったことには出来ないけど、それでもこれでメール送信者を追い詰めることはできる。
図面を見て萌依が感じた違和感には、それだけの価値があったのだ。
これで少しは関係者が酬われると安堵する萌依の隣で、蒼弥がミツセに挑発的に「それで?」と問いかける。
「それで……とは?」
萌依の違和感に対する答えを導き出した段階で、自分の役目は終わったと思っていたミツセが不思議そうな顔をする。
「こっちはなにも悪くないのに、このメールに散々振り回されたんだ。やられっぱなしで終わらせるつもりはないからな」
だからお前も付き合えと、蒼弥はミツセにとある提案をした。
それを聞いたミツセも「いいねぇ」と、不遜な笑みを浮かべる。
「とは言え、時間が足りないな」
ハルモニア百周年の式典は来週末だ。ミツセがカレンダーを確認して唸るが、蒼弥は気にしない。
「せっかく面白くなりそうなのに、時間を言い訳に諦めるなら好きにしろ。その代わり、後で後悔するなよ」
「うわ~、そんな言い方されたら、絶対後で後悔するじゃん」
「そう思うなら、俺の案に載れ。関係者には、俺が頭を下げてなんとでも調整してやる」
強気な態度でミツセのやる気を引き出して、蒼弥はそのまま計画を立てていく。
彼は、自分の気持ちに噓をつくくらいなら、どんな困難でも乗り越える道を選ぶ人なのだ。
そんな自分の夫の姿に、萌依は改めて、自分も自分の気持ちに正直に生きていこうと誓う。
つまりそれは、この先、なにがあっても彼と共に生きていくということだ。
メール騒動以降仕事を休んでいる萌依は、その週末、蒼弥と共にミツセの自宅を訪れていた。
ハルモニア百周年に向けて、精力的に動いていた蒼弥だが、メールの件があり、その事態収拾のため忙しさが増している。
彼の秘書であり人生のパートナーでもある萌依としては、そのサポートをしたいところなので歯がゆい日々を過ごしていた。
萌依が仕事を休んでいるのは、蒼弥にそうするよう勧められたからだ。
本来なら萌依も彼に同行して、騒動に自分の名前が使用されたことを詫びたいところだが、この状況で下手に萌依が動くと、怒り心頭の重之がまた社長室に押しかけて騒ぎを起こしかねない。
そうなれば、ただでさえ忙しい蒼弥に、更なる負担をかけることになってしまうので、それは控えている。
とはいえ、萌依としては、問題解決を蒼弥ひとりに任せておくつもりはない。
改めて蒼弥へ想いを再認識したあの日、これからは自分の気持ちに噓をつくことなく生きていくと決めたのだ。
彼と一緒にこの困難を乗り越えたいという自分の気持ちに正直でありたい。
萌依がそう主張すると、蒼弥は困惑と喜びが入り混じった顔で、その意見を受け入れてくれた。
そしてお互いの意見を出し合い、ミツセのもとには、ふたりで訪れることを決めたのだ。
「帰国したばかりで、なにもなくてごめんね」
蒼弥と萌依を自宅に招き入れたミツセは、そう言って、それぞれにペットボトルの飲み物を手渡す。
自宅といっても、彼は仕事の拠点を海外に置いているので、生活感があまりなく事務所に近い。
そのため、飲み物や食料品のストックを置いていないのか、萌依と蒼弥が訪ねてきたあとで、慌てて目の前のコンビニに飲み物を買いに行った。今日のこの時刻に訪問することを事前に伝えてあったにもかかわらずにだ。
(もしかしなくても、ミツセさんて、家事能力がかなり低いのかも)
雑然と郵便物やら書類やらが積まれた部屋を眺めて、萌依はそんな感想を抱く。
先ほど蒼弥が書類を少し整理してはどうかとアドバイスしたところ、『視界に入らなくなると、存在を忘れてしまうから無理』と答えていた。
結果、片付けられない書類だらけになって、結局は大事な情報が埋もれてしまうのだから本末転倒だ。
蒼弥の話しによれば、彼のこの性格が災いして、十和企興の人にハルモニアと仕事をすることに気付かれたらしい。
「なんか僕が日本を離れている間に、色々面白いことになったみたいだね」
L字に配置されているソファーの一端に腰を下ろしたミツセは、彼の対角線に位置する場所に並んで座る萌依と蒼弥を見た。
その口調は軽く、彼もあのメールを。萌依が送信したものとは考えていないようだ。
萌依がそのことに安堵していると、蒼弥は萌依が手にしていたペットボトルを取り上げた。そして蓋を開けると、軽く締め直して萌依に戻す。
それを見てミツセは「これだから新婚は」と、軽く毒づく。
「俺のこういう面を見たくて、この前はわざと嫉妬させたんじゃないのか?」
蒼弥は恥ずかしがる様子もなく言う。
ついでに『冷やかすならどうぞ』といった感じで、軽く両手を広げてみせる。
そこまでされると、逆に揶揄うのがバカらしくなるのだろう。ミツセは、鼻に皺を寄せて顔を顰めただけだった。
その自然なやり取りを見ていれば、ふたりが気心の知れた仲であるとわかる。
「それで犯人の目星はついているの?」
自分の分のペットボトルの蓋を捻り、ミツセが聞く。
「どうだろうな」
蒼弥は曖昧に首を動かすだけで、明言を避ける。
状況証拠だけで考えれば、あのメール送信者は眞希子だろう。だけどその明確な証拠がないもで、明言を避けたようだ。
その態度に、ミツセはソファーの肘掛けを利用して頬杖をついてつまらなそうにする。
「どうでもいいけど、これ、僕的にかなり不愉快な状況だってわかってる?」
爪の甘皮をいじりながらミツセが言う。
「共同企画の件、契約解消したいとお考えでしょうか?」
言葉にするのも怖ろしいが、一度、その点を確認しなくてはならない。
萌依が緊張しながら聞くと、ミツセはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
その表情に、萌依は背中に嫌な汗が浮かぶのを感じるのだが、蒼弥は動じない。
「おい。悪ふざけはやめろ」
蒼弥が低い声で一喝すると、ミツセはチラリと舌を出す。
「出来ることならケチのついた仕事、白紙に戻したいところだけど、何度もリテイクして、将来自分の代表作になるって思っている品だ。公表が少し前にずれ込んだくらいで、捨てるのは惜しすぎる」
その言葉に、萌依はホッと胸を撫で下ろす。
さっきの意味深な表情は、ただの冗談だったらしい。
(それはよかったけど、ミツセさんが不本意なのは当然だよね)
この件の犯人が本当に眞希子なら、その動機は、身勝手で利己的なものだ。
道徳的に許されるものではないし、嫉妬や逆恨みといった不毛な理由で、他人の努力を踏みにじったことが許せない。
萌依の名前を騙ってメール送信した者が誰であれ、必ず、自分がしたことの罪を償わせたいと思う。
そのためにも……と、萌依は足下に置いてあったカバンを膝に載せる。
「ミツセさんがデザインした腕時計のラフが添付されていたことを鑑みて、メール送信者は、今回の企画の関係者であることは間違いないと思います」
カバンからA4サイズのクリアファイルを取り出した萌依は、それをミツセに差し出しながら言葉を続ける。
「ただメールに添付されていたデザイン画には、なにか違和感があるような気がしてならないんですけど、それがなにかわからなくて」
仕事を休んではいるが、自分なりになにか出来ることをしたいと思い、重之が残していったメールをプリントアウトした紙を、萌依は自宅で何度も見返していた。
蒼弥の秘書として、萌依も何度もミツセの図面を目にしてきた。その時の記憶と照らし合わせると、添付されていたデザイン画に上手く言語化できない違和感を覚えるのだ。
「貸して」
ミツセは軽く腰を浮かして腕を伸ばして、それを受け取る。
真剣な表情でそれを熟読し始めるミツセを、萌依は祈るような思いで見つめた。
図面が添付されていたといっても、図面の全てではなく、外観のラフスケッチや、内部構造の部品のいくつかを掻きだしたものだけだ。
それは間違いなくミツセが描いたものなのだけれど、萌依が記憶しているものと、なにかが違う。
それが気になって蒼弥にも相談したのだけど、彼はいまいちピンときていないようだった。
それでこの機会に、本人にそれ確かめてみようと思ったのだ。
しばらく黙って図面を眺めていたミツセが、「あっ」と小さな声を漏らした。
そして萌依たちへと視線を向ける。
「早瀬君、君はこれを見て、なにがおかしいかわかった?」
「いや。悪いがさっぱりだ」
蒼弥が正直に首を横に振ると、ミツセがニンマリと目を細めた。
「そう。君の妻君はすごいよ」
本人でさえなにを賞賛されているのかわからないのに、ミツセは、そのまま萌依をひとしきり褒めくれた。
そしてその後で、萌依が感じた違和感の正体を教えてくれた。
「……なるほど。そういうことだったのか」
ミツセの話しを聞いた蒼弥が唸る。
そして萌依へと視線を向けて、「萌依のおかげだ。さすがだ」と、手放しの賞賛を送ってくれる。
「私は、時間があったから」
そう謙遜しつつも、ミツセの話しを聞いて、萌依も自分の心に光が差すのを感じていた。
事件をなかったことには出来ないけど、それでもこれでメール送信者を追い詰めることはできる。
図面を見て萌依が感じた違和感には、それだけの価値があったのだ。
これで少しは関係者が酬われると安堵する萌依の隣で、蒼弥がミツセに挑発的に「それで?」と問いかける。
「それで……とは?」
萌依の違和感に対する答えを導き出した段階で、自分の役目は終わったと思っていたミツセが不思議そうな顔をする。
「こっちはなにも悪くないのに、このメールに散々振り回されたんだ。やられっぱなしで終わらせるつもりはないからな」
だからお前も付き合えと、蒼弥はミツセにとある提案をした。
それを聞いたミツセも「いいねぇ」と、不遜な笑みを浮かべる。
「とは言え、時間が足りないな」
ハルモニア百周年の式典は来週末だ。ミツセがカレンダーを確認して唸るが、蒼弥は気にしない。
「せっかく面白くなりそうなのに、時間を言い訳に諦めるなら好きにしろ。その代わり、後で後悔するなよ」
「うわ~、そんな言い方されたら、絶対後で後悔するじゃん」
「そう思うなら、俺の案に載れ。関係者には、俺が頭を下げてなんとでも調整してやる」
強気な態度でミツセのやる気を引き出して、蒼弥はそのまま計画を立てていく。
彼は、自分の気持ちに噓をつくくらいなら、どんな困難でも乗り越える道を選ぶ人なのだ。
そんな自分の夫の姿に、萌依は改めて、自分も自分の気持ちに正直に生きていこうと誓う。
つまりそれは、この先、なにがあっても彼と共に生きていくということだ。