執愛隠した策士な御曹司は偽装婚約で激情露わに囲い堕とす
◆第五章
予想外のことを言われ、千花は思わず「えっ?」と日本語で問い返す。オレールが説明した。
「《君に頼みたいのは、新作のプレスリリースの作成と雑誌やメディアの取材調整、撮影の立ち会いなどだ。今までライターとしての実績がある分、人の心に刺さるリリースが書けるだろうし、メゾン・ドレルの美学を的確に言語化できる表現力がある。単なる商品説明ではなく、ブランドの哲学を魅力的に伝えられるであろうことが、千花をスカウトした理由だ》」
彼が自分の実力を認めた上で仕事のオファーをしてくれているのがわかり、千花は目を瞠る。
(確かにオレールの言う仕事内容なら、今までのライターとしての経験を生かすことができる。メゾン・ドレルはとても魅力的なブランドだし、それを自分の言葉で世界に向けて発信するのは、すごく楽しそう)
そんなふうに考える千花を見つめ、オレールが「それに」と言って語気を強めた。
「《仕事はもちろんだけど、僕は一人の女性として千花に心惹かれてる。公私共にパートナーになってほしいんだ》」
「《パートナーって……》」
「《恋人ってことだよ。君の美しさはもちろん、落ち着いた雰囲気や礼儀正しさは好ましいし、深い洞察力や繊細な感性を魅力的に感じる。千花が傍にいてくれたら、僕はデザイナーとしていい作品を作れると思うんだ》」
彼が真っすぐに好意を伝えてきて、千花は咄嗟にどう返していいか迷う。
オレールはPRパーソンとして雇用した場合の報酬を提示してきたが、それは破格のものだった。しかし勤務先はパリのメゾン・ドレル本社だといい、戸惑いつつ考える。
(帰国してからいくつか新規の案件を始めたけど、そのうちのひとつである鳳栄社の仕事は怜子とのトラブルでこの先の流れが不透明になってる。奏との関係も上手くいかないのなら、いっそフランスに戻ってオレールのブランドで働いたほうがいいのかな)
彼は一途で真面目な印象を受け、こちらの仕事を高く評価してくれている。
才能溢れるオレールの傍で働くことは千花にとってきっといい刺激になり、今までとは違う分野の仕事でも充実した日々を過ごせるに違いない。
しかしいざフランス行きを具体的に考え始めた途端、入院中の母親や奏のことが気にかかり、後ろ髪を引かれる思いがこみ上げる。
(そうだよ。わたしはお母さんを傍で支えるために、日本に戻ってきたはず。それに奏のことをまた好きになったけど、自分の気持ちをちゃんと彼に伝えていない)
奏の態度が急に変わってしまったことに関しては不安があるものの、彼との関係をはっきりさせないままでフランスに行けばきっと後悔する。
するとそんな千花に対し、オレールが思いがけないことを言った。
「《今の君は実力が充分あるにもかかわらず、過保護なまでに囲い込まれている状態だ。でも僕はそういうことをするつもりはないし、千花を自由に羽ばたかせてあげることができる》」
「《あの、一体何の話をしてるの? 「囲い込まれてる」って……》」
戸惑って問い返したところ、彼がこちらを見つめて答える。
「《早瀬インベストメント・ストラテジーという会社を知っているだろう? メゾン・ドレルに投資し、日本に初出店させたのは、その会社なんだ。代表の早瀬という男性は千花のことを知っていて、独占記事のインタビュアーとして指名するように求めてきた。大口スポンサーである彼の意向を無視できずにそれを受け入れたというのが、君に最初にオファーした経緯だ》」
それを聞いた千花は驚き、言葉を失くす。
(メゾン・ドレルに独占インタビューをし、その記事を書かせてもらえたのは、わたしの今までの仕事が評価されたからだと思ってた。でも本当はそうじゃなくて、わたしに便宜を図るために奏が手を回した結果だったってこと? もしかして日本に帰国してすぐに招待されたブランドのプレス発表会も……?)
フランス語通訳の仕事といい、すべて奏の手の内に囲い込まれていたかもしれないと思い至った千花は、大きなショックを受ける。
まるで自分の仕事の実績は二の次で、金の力で操作されていたかのようだ。それは再会してから少しずつ積み上げてきた彼への信頼が揺らぐもので、ひどく混乱する。
そんなこちらの手に触れ、オレールが熱心に語りかけてきた。
「《僕は日本での仕事を終えて、明後日フランスに帰国する。だからうちのブランドで働くことを、前向きに考えてくれないか? 千花が公私共にパートナーになってくれたら、こんなにうれしいことはない》」
「《ごめんなさい。あまりに急な話で、すぐに返事はできない。また改めて連絡するから》」
何とか話を切り上げた千花は、まだ物言いたげな顔をしている彼に向かって頭を下げ、店の外に出る。
心が千々に乱れていた。日本に帰国してからというもの、ライターの新規案件が増えて、仕事の面では順調だと思っていた。
母親の治療費が思いのほかかかることに頭を悩ませたものの、奏が「通訳兼婚約者になってくれれば報酬を払う」と申し出てくれ、大幅な収入アップが見込めるようになり、ようやく生活が安定し始めたところだった。
だがそうした一連の流れがすべて彼の手によるものだったのかもしれないと思うと、千花の中に怒りとも悲しみともつかない感情がこみ上げる。
(わたしはかつて奏との金銭的な価値観の違いを感じて別れたけど、日本に戻ってきてからは彼の財力に助けられるようになって、「そうした部分も含めて奏という人間なんだ」って受け入れられるようになった。でも裏で手を回して、わたしのライターとしての仕事までコントロールするのは許せない)
まるでこれまで積み上げてきた仕事の実績を踏みにじられた気持ちになり、千花は顔を歪める。
奏に全幅の信頼を置き、恋心が再燃していただけに、知ってしまった事実をどう受け止めていいかわからなかった。それに加えて怜子の一件が重なり、気持ちがどんどん落ち込んでいくのを感じる。
彼は一体なぜ、そんなことをしたのだろう。考えられるのは「仕事が増えれば千花が喜ぶと思い、手を回した」というものだが、結果は逆効果だ。その真意を確かめたい思いがあるものの、真実を知るのが怖く、千花はぐっと唇を引き結んだ。理由を知ってしまえば到底受け入れられないのは目に見えていて、行動が鈍ってしまう。
(わたしはどうすればいいんだろう。奏に連絡を取って、事の真偽を問い質す? それとも何も言わずにオレールの誘いを受け入れて、フランスに行く……?)
人が多く行き交う往来は活気があり、ブランドショップのショーウインドウの前で立ち止まって商品を眺めたり、仲よく談笑しながら通り過ぎていくカップルもいて、にぎやかな雰囲気だった。
そんな中で足を止めた千花は、周囲を通り過ぎていく人々の怪訝な眼差しを受けつつ、その場に立ち尽くす。そして自分がこれからどうするべきか、じっと考え続けた。
「《君に頼みたいのは、新作のプレスリリースの作成と雑誌やメディアの取材調整、撮影の立ち会いなどだ。今までライターとしての実績がある分、人の心に刺さるリリースが書けるだろうし、メゾン・ドレルの美学を的確に言語化できる表現力がある。単なる商品説明ではなく、ブランドの哲学を魅力的に伝えられるであろうことが、千花をスカウトした理由だ》」
彼が自分の実力を認めた上で仕事のオファーをしてくれているのがわかり、千花は目を瞠る。
(確かにオレールの言う仕事内容なら、今までのライターとしての経験を生かすことができる。メゾン・ドレルはとても魅力的なブランドだし、それを自分の言葉で世界に向けて発信するのは、すごく楽しそう)
そんなふうに考える千花を見つめ、オレールが「それに」と言って語気を強めた。
「《仕事はもちろんだけど、僕は一人の女性として千花に心惹かれてる。公私共にパートナーになってほしいんだ》」
「《パートナーって……》」
「《恋人ってことだよ。君の美しさはもちろん、落ち着いた雰囲気や礼儀正しさは好ましいし、深い洞察力や繊細な感性を魅力的に感じる。千花が傍にいてくれたら、僕はデザイナーとしていい作品を作れると思うんだ》」
彼が真っすぐに好意を伝えてきて、千花は咄嗟にどう返していいか迷う。
オレールはPRパーソンとして雇用した場合の報酬を提示してきたが、それは破格のものだった。しかし勤務先はパリのメゾン・ドレル本社だといい、戸惑いつつ考える。
(帰国してからいくつか新規の案件を始めたけど、そのうちのひとつである鳳栄社の仕事は怜子とのトラブルでこの先の流れが不透明になってる。奏との関係も上手くいかないのなら、いっそフランスに戻ってオレールのブランドで働いたほうがいいのかな)
彼は一途で真面目な印象を受け、こちらの仕事を高く評価してくれている。
才能溢れるオレールの傍で働くことは千花にとってきっといい刺激になり、今までとは違う分野の仕事でも充実した日々を過ごせるに違いない。
しかしいざフランス行きを具体的に考え始めた途端、入院中の母親や奏のことが気にかかり、後ろ髪を引かれる思いがこみ上げる。
(そうだよ。わたしはお母さんを傍で支えるために、日本に戻ってきたはず。それに奏のことをまた好きになったけど、自分の気持ちをちゃんと彼に伝えていない)
奏の態度が急に変わってしまったことに関しては不安があるものの、彼との関係をはっきりさせないままでフランスに行けばきっと後悔する。
するとそんな千花に対し、オレールが思いがけないことを言った。
「《今の君は実力が充分あるにもかかわらず、過保護なまでに囲い込まれている状態だ。でも僕はそういうことをするつもりはないし、千花を自由に羽ばたかせてあげることができる》」
「《あの、一体何の話をしてるの? 「囲い込まれてる」って……》」
戸惑って問い返したところ、彼がこちらを見つめて答える。
「《早瀬インベストメント・ストラテジーという会社を知っているだろう? メゾン・ドレルに投資し、日本に初出店させたのは、その会社なんだ。代表の早瀬という男性は千花のことを知っていて、独占記事のインタビュアーとして指名するように求めてきた。大口スポンサーである彼の意向を無視できずにそれを受け入れたというのが、君に最初にオファーした経緯だ》」
それを聞いた千花は驚き、言葉を失くす。
(メゾン・ドレルに独占インタビューをし、その記事を書かせてもらえたのは、わたしの今までの仕事が評価されたからだと思ってた。でも本当はそうじゃなくて、わたしに便宜を図るために奏が手を回した結果だったってこと? もしかして日本に帰国してすぐに招待されたブランドのプレス発表会も……?)
フランス語通訳の仕事といい、すべて奏の手の内に囲い込まれていたかもしれないと思い至った千花は、大きなショックを受ける。
まるで自分の仕事の実績は二の次で、金の力で操作されていたかのようだ。それは再会してから少しずつ積み上げてきた彼への信頼が揺らぐもので、ひどく混乱する。
そんなこちらの手に触れ、オレールが熱心に語りかけてきた。
「《僕は日本での仕事を終えて、明後日フランスに帰国する。だからうちのブランドで働くことを、前向きに考えてくれないか? 千花が公私共にパートナーになってくれたら、こんなにうれしいことはない》」
「《ごめんなさい。あまりに急な話で、すぐに返事はできない。また改めて連絡するから》」
何とか話を切り上げた千花は、まだ物言いたげな顔をしている彼に向かって頭を下げ、店の外に出る。
心が千々に乱れていた。日本に帰国してからというもの、ライターの新規案件が増えて、仕事の面では順調だと思っていた。
母親の治療費が思いのほかかかることに頭を悩ませたものの、奏が「通訳兼婚約者になってくれれば報酬を払う」と申し出てくれ、大幅な収入アップが見込めるようになり、ようやく生活が安定し始めたところだった。
だがそうした一連の流れがすべて彼の手によるものだったのかもしれないと思うと、千花の中に怒りとも悲しみともつかない感情がこみ上げる。
(わたしはかつて奏との金銭的な価値観の違いを感じて別れたけど、日本に戻ってきてからは彼の財力に助けられるようになって、「そうした部分も含めて奏という人間なんだ」って受け入れられるようになった。でも裏で手を回して、わたしのライターとしての仕事までコントロールするのは許せない)
まるでこれまで積み上げてきた仕事の実績を踏みにじられた気持ちになり、千花は顔を歪める。
奏に全幅の信頼を置き、恋心が再燃していただけに、知ってしまった事実をどう受け止めていいかわからなかった。それに加えて怜子の一件が重なり、気持ちがどんどん落ち込んでいくのを感じる。
彼は一体なぜ、そんなことをしたのだろう。考えられるのは「仕事が増えれば千花が喜ぶと思い、手を回した」というものだが、結果は逆効果だ。その真意を確かめたい思いがあるものの、真実を知るのが怖く、千花はぐっと唇を引き結んだ。理由を知ってしまえば到底受け入れられないのは目に見えていて、行動が鈍ってしまう。
(わたしはどうすればいいんだろう。奏に連絡を取って、事の真偽を問い質す? それとも何も言わずにオレールの誘いを受け入れて、フランスに行く……?)
人が多く行き交う往来は活気があり、ブランドショップのショーウインドウの前で立ち止まって商品を眺めたり、仲よく談笑しながら通り過ぎていくカップルもいて、にぎやかな雰囲気だった。
そんな中で足を止めた千花は、周囲を通り過ぎていく人々の怪訝な眼差しを受けつつ、その場に立ち尽くす。そして自分がこれからどうするべきか、じっと考え続けた。