拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由
失くしたもの
ない。
リップがない。
帰宅した華は鞄をひっくり返して中を漁っていた。顔色は真っ白で泣きそうな顔になっている。
仕事を終えて家に着き、今日貰ったリップをしまっておこうと思ったところ、大事に入れておいたリップの姿が忽然となくなっていたのだ。いつも使ってるポーチ。間違いなくこの中にしまったはず。
それがポーチごと消えてしまっている。
どこかに落としてきた? そんなはずはない。昼にリップを使った後、このポーチは一度も取り出していないのだから。使ったものと言えばスマホぐらいだ。スマホを取り出すときに誤って落とした? いや、小さめのポーチと言えども、さすがにそれはないと思うのだが。
じゃあ、どこに?
「どうしよう……せっかく深見さんから貰ったのに」
何度見てもポーチは見当たらず、呆然とするしかなかった。
ついにじわりと目に涙が浮かぶ。だがすぐに泣いている場合ではないと思い、会社に戻った。すでに外は真っ暗になっていたが、明日まで待っていられない。
もしかしたらデスクの周りに落ちているかもしれない。そんな希望を持って職場に戻ってみると、もう誰も残っていなかった。急いで確認してみるも、辺りには何もない。自分のデスクはいつも通りスッキリしていた。念のため引き出しの中や、デスクの下に這いつくばって確認してみるも、見当たらない。
では帰り道に落としたのだろうか。
考えにくいが、帰り道も注意深く観察し、駅にも落とし物がないか聞いてみるがそれらしきものは届いていないとのことだった。
絶望感でいっぱいになる。
残る希望は会社の受付に届いていること。どこかで落として、誰かが届けてくれているのを願うしかなかった。
このまま見つからなかったらどうしよう。
せっかく深見さんがくれたのに。あれがあると、少し自分が変われそうな気がした。大事にしようって心に決めたのに、どうしてこんなことに。
どうか受付に届いていますように──華はひたすらそう願うしかなかった。
あまり眠れず朝を迎え、祈りながら出社する。いつものように朝の準備をしたが、胸がざわついて落ち着かなかった。必ず食べる朝食は食べられなかったし、弁当も作れなかった。
身だしなみだけ簡単に整えて電車に乗り、会社に着くとすぐに受付へ寄った。どこか顔を強張らせている華に、受付の人もやや戸惑っているように感じたが、構わず切羽詰まった声で勢いよく尋ねる。
「あの! 落とし物届いていませんか? 黒い小さなポーチなのですが……!」
「は、はい。確認いたしますので少々お待ちください」
相手が確認している間、ドキドキと心臓が鳴る。大丈夫、きっと届いてる。だってあんなに探してもなかったんだから、ここにあるとしか考えられない。どこかで落としてしまって、親切な人が届けてくれたんだ。
大丈夫、大丈夫だから──
「申し訳ありません。こちらには届いていないようで……」
その一言は華の心を打ち砕いた。
返事も出来ず、その場で呆然と立ち尽くす。じゃあ一体どこに? デスク周りも、帰り道も駅も探した。見た目からして安いポーチで、あんなものを取る人なんていないはずなのに。
どうして……。
「あ、あの大丈夫ですか?」
受付の女性が心配そうに華の顔を覗き込む。華は何も考えられない、という表情で俯いている。もうどうしていいか分からない。するとその時、
「佐々山さん?」
背後から名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。恐る恐る振り返ると、今出社してきたであろう朔弥が立っていたのだ。
「あ、やっぱり。おはようございます。どうしたの?」
何も知らない朔弥は人懐っこい笑顔で華に笑いかけた。その優しい笑顔が、今の華には辛い。
言えない。昨日貰ったばかりのリップをもう失くしてしまったなんて。
同じものを買えばいい? 違う、そうじゃない。彼が選んで彼が買ってくれたものじゃなければ意味がない。
私なんかに素敵なプレゼントをくれた彼に、合わせる顔がない。
「……いえ、なんでもないです」
華は朔弥から顔を背けて小さな声で答えた。華の態度に違和感を覚えた朔弥だが、華がすぐに朔弥の隣を通り過ぎて去って行ってしまったので、何も言えなかった。
(どうしたんだろう。なんか困ってそうだったけど……)
またそのうち屋上で会うだろうから、聞いてみようか。
そう考えていた朔弥だったが、そのタイミングは訪れない。華は屋上に来ることがなくなってしまったからだ。