拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由
耳に美鈴の甘い声が届く。
朔弥はそのまま固まった。美鈴は再び顔を離すと、にこりと笑って見せる。
(……二人、って……)
多分少し前の自分なら、喜んでいただろう。
部署内でも可愛くて明るい彼女に一目置いていたし、先に連絡先を訊こうとしたのも自分だ。でも今、なぜか全く心が躍らない。
別に、『一度断ったくせに!』だなんてことはこれっぽっちも思っていない。ただ漠然と、全く行きたくなかった。
それより、どうせなら華も誘ってみてはどうだろう。この前の忘年会も飲みながら話したが、出来ればもっと飲んでみたいと思った。
華と、他にも二、三人ほど誘って……。
「……そういえばこの前の忘年会で、大島さんと佐々山さんが幹事でゆっくり飲めなかったでしょ。今日、ゆっくりしたらいいと思う。誘ってみない?」
「へ?」
「他もまだ残ってる人も多いし。俺、佐々山さんともっと飲んでみたくて」
笑いながらそう言った朔弥に、美鈴は唖然とした。
(……はあ? 私が二人で行こうって言ってるのに、なんで他の人間を誘うの? しかも、あの女を?)
意味が分からない。
そこは大喜びで行くところでしょ!!
怒りで手を震わせながらも、美鈴は何とか笑顔を取り繕う。
「んーでも佐々山さんってノリが悪いっていうか……前一緒に飲んだことがあるんですけど、全然話さないし笑わないしで、困ったことがあるんです。私凄く困っちゃって……」
「佐々山さんは話すより聞くタイプだからじゃない? ていうか、一緒に飲みに行ったことあるんだ?」
「それは……ちょっと相談に乗ってもらいたかったので。でも結局佐々山さんが私を嫌ってるように見えたので、相談は出来なかったんです。それを今日深見さんに聞いてもらえたらなあって」
「なんだ、そりゃ相談があるって言われたら身構えるよ。それを嫌われてるって思うのは考えすぎじゃないかな。そもそも嫌ってたら相談に乗ろうとしてくれないでしょ」
一向に折れない朔弥に、美鈴の怒りはピークに達する。『そうなんだ、酷いね。大島さんに嫉妬でもしてるんじゃない』って返すところでしょう。
(……はあ? なんなの。何でそんなに庇うわけ?)
しびれを切らした美鈴は、やや苛立った声で言う。
「……今日、私用事があったんでした。すみません、また今度」
「え?」
美鈴はくるりと朔弥に背を向けると、ずんずんと自分のデスクに向かって行ってしまう。朔弥はしまったとばかりに顔を歪めた。
(また俺、どっかで痛い言動してたのかも……これでも抑えたつもりなんだけどな……前の俺だったら『俺と飲めるチャンスなんてそうそうねーぞ?』って言ってただろうから……でも無意識に出ちゃったのかなあー)
せっかく同僚たちと親睦を深められそうだったのに。仕事帰りに煌びやかな街でみんなで飲む……田舎育ちの朔弥からすれば、それだけでも十分夢のような時間だった。
(言動はもっと気を付けよう……)
朔弥はがっくりと項垂れた。
(ムカつく、ムカつく)
美鈴は苛立ちながらパソコンを叩いていた。つい先ほど朔弥に二人で飲むのを断られ、いら立ちがピークに達している。
(私が二人で行こうって言ってるんだよ? 信じられない)
なんで他を誘おうとしたんだろう。だって向こうは私のことが好きなはず。
はあとため息をつき、頬杖をついた。
あの忘年会以降、朔弥の株が急上昇していることは気が付いていた。元々、最近は普通になってきたね、とみんな思っていたのだ。友人も言っていたが、彼は条件だけ見れば優良物件。顔だっていい。そして今さっきの反省している姿で、なお印象がよくなった。相応しいのは自分くらいだ。
向こうだって連絡先を聞いてきたり、上司から庇ったりしてこっちへの好意がバレバレなのに、なんで……。
「大島さん、ちょっとこの資料頼める?」
「え? ……はーい」
上司に言われ、やや不貞腐れながら席を立つ。忙しいのに、人に指図ばっかりして。それどこじゃないっつーの。
上司から資料を受け取り、自分のデスクに戻ろうとする。するとそこで目に入ったのは、華のデスクだった。今は席を外しているようで、鞄などは置きっぱなしだった。
それを見て美鈴は何かを思いつく。
美鈴は手渡された書類を確認するフリをしながら歩き、あえて華の椅子に足をぶつけた。椅子の上に置いてあった華のカバンがひっくり返る。
「あ! やだ、落としちゃったー」
わざとらしく独り言を言った美鈴は、すぐに落ちた荷物を鞄にしまう。財布やハンカチ、スマホなど転がったその中に、小さなポーチがあった。華が普段持ち歩いている化粧ポーチで、中はハンドクリームと薬用リップ、それからパウダーだけだった。だが今日は、そこに一本可愛らしいデザインのリップが加わっている。
美鈴はポーチを見つけた瞬間にやりと笑った。そして他の物だけ元に戻すと、ポーチは自分のポケットにさっとしまった。
(大事にしてたお友達からのリップ、ちゃんとしまっておかなきゃね~)
ほくそ笑んだ美鈴はすっと立ち上がり、そのまま女子トイレへ向かった。その場でポーチの中を見てみると、やはりあの大事そうなリップが入っている。
確認した美鈴は嬉しそうに微笑むと、近くにあるごみ箱へポーチごと落とした。小さな落下音がした。
上からポーチが見えないよう、入念にティッシュのごみを入れてカモフラージュすると、美鈴はにっこり笑った。