光のはじまり ― 王子が困るまで ―

第31話 仮住まい

桐谷が用意したタクシーに、綾瀬美月が乗っていた夜。

理久は、次に会う理由を残した。

タクシー代のお釣り。

案の定、彼女は律儀に返しに来た。

そこで少しだけ自分の用件に付き合ってもらい、光の展示へ連れていった。


綾瀬美月は、思っていた以上に楽しそうだった。

こちらを警戒することも忘れて、目の前の光に見入っていた。あんな顔もするのかと、つい見つめすぎてしまったくらいだ。

だから、帰り道に火事の知らせが入った時は、理久も驚いた。


彼女のマンションは、別室で起きた火事の影響で、しばらく住める状態ではなくなっていた。

管理会社の説明を聞き、最低限の荷物を持ち出す。

普段なら、どんなことでも自分で何とかしようとする彼女が、その夜は明らかに疲れ切っていた。


放っておけなかった。

使っていないゲストルームがある。

職場にも近い。


しばらく使えばいいと伝えると、美月は何度も遠慮した末に、ようやく頷いた。

そうして、理久は彼女を自分の家へ連れて帰った。

以前、雨宿りをしたことのある部屋へ。


ただし、今回は少し事情が違う。

今夜だけとは限らないのだから。

◇

「……おやすみなさい」

綾瀬美月が、ゲストルームの入口で小さく頭を下げた。

「うん。おやすみ」

理久は軽く頷き、静かに扉を閉めた。

廊下に戻ると、部屋は急に静かになった。


同じ家に、また綾瀬美月がいる。

けれど、雨宿りの夜とは違う。

理久はリビングへ戻り、ソファに腰を下ろした。

実際、困っている人を放っておけなかったのだから、人助けであることに間違いはない。


ただ。

同じ状況にいたのが、綾瀬美月ではない別の女性だったとして。

自分は、こんなふうに家へ招いただろうか。


理久は少し考えた。

おそらく、ホテルを探す手伝いくらいはしただろう。必要なら車を手配したり、荷物を運んだりもしたかもしれない。

けれど、自分の家のゲストルームを、しばらく使っていいと差し出すかどうかは別の話だった。

少なくとも、こんなに迷わずには決めなかったと思う。


……だよね。


理久は小さく笑った。

これを単なる人助けだと言い張るのは、少々無理がある。

もっとも、だからといって、何かを期待して泊まってもらったわけではない。

それだけは、はっきりしていた。

「ルームシェアくらいに考えて」

さっき、彼女にはそう伝えた。

あまり大げさに考えないでほしかったのだ。


自分の家に厄介になっていると思えば、綾瀬美月は何かにつけて遠慮するだろう。食事も、風呂も、洗濯も、全部こちらの顔色を窺ってしまうかもしれない。

それでは、休めるものも休めない。

だから、部屋を貸すことだけは、できるだけ軽く伝えた。


別々の部屋で眠り、共有する場所は時間をずらして使う。

病院では今までどおり。

誰にも話さない。


決めておくべきことは、それほど多くなかった。

ただ、彼女には気軽に過ごしてほしいと思っているくせに、自分の方が気軽でいられるかとなると、少々怪しい。


ゲストルームに、綾瀬美月がいる。

明日の朝も、この家にいる。

仕事を終えて帰ってきた時にも、まだいるかもしれない。

理久はソファの背にもたれた。


……へえ。

こういうことになるんだ。


これまでは、次に会う理由を考えていた。

お礼の食事。

ピアス。

タクシーのお釣り。

理由を作らなければ、彼女は帰ってしまう。だから、あれこれ考えては次の機会につなげてきた。

それが今夜は、何もしなくても、同じ家にいる。

しかも、しばらく。

理久は口元に手を当てた。


……いや。

喜んでる場合じゃないでしょ。

彼女は家を失いかけて、困っているのだから。


そう考えると、先ほどから妙に落ち着かない自分が、少し情けなかった。
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