秘めた恋

新生活の始まり



「わー!すいません、乗ります!乗ります!」

大勢の人がいる前でたかがエレベーターを乗るだけに
朝からこんな大声を出してアピールするのは私くらいだろう。

田舎女、丸出しで恥ずかしい。ぎゅうぎゅうに人で箱詰めされた中に
無理やり小さな体を押し込め、ボタンを押そうと指を伸ばす。
しかし、既に目的の階が押されており、行き場を失った指をまた元に戻す。
小恥ずかしい。

私は俯きながら、目的の階に早く辿り着かないかと今か今かと待ち望んだ。
たとえ、電車の時間が迫っていようとも長蛇の列を帯びた女子トイレを待っている時ですら
こんな焦燥感はなかった気がする。

目的の階に到着し、人並みに押されるように勢い良く出ると
髪の毛がひっぱられる痛みを感じて思わず「痛っ!」と声を上げてしまった。

自分の横を通り過ぎる人が一瞥をするがそのまま気を留めず先を進んでいく。

「わぁ!」

誰かのスーツのボタンに自分の髪の毛を巻き込んでいる事態だと気づき、
思わずまた声を上げた。

「すいません、どうしよう。」

羞恥心とどうしたらいいか分からない状況になすすべもなく
俯いた状態で謝っていると耳元からいきなりブチッという音が聞こえた。

「え?」

思わず視線を上にずらすと隣の男性が自分のスーツのボタンを引きちぎったところだった。

「え、あの、すいません。」

私は、高そうなスーツのボタンが取られ、申し訳なさそうにボタンを見つめながら
「あ、あの、私縫います。」と言ってその男性の顔を見上げた。

「いや、大丈夫。」

そう言うと彼は何事もなかったかのようにその場を後にした。


か、格好良い。


誰もいなくなった、ただっ広いエレベーターホールの前で
私は思わず、そうつぶやいていた。




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