翌週の火曜日の午後。
朝の仕事を終えた私は、野田さんが勤める大企業の自社ビルにいた。

受付嬢の佐藤さんから「少々お待ち下さいませ」とニッコリスマイルつきで言われた私は、「はい」と返事をすると、何となく周囲を見渡す。
最後に海外1課に連絡中の佐藤さんに視線が行くと、ちょうど佐藤さんが受話器を置いた。

「三好様」
「はいっ」
「野田はただいま電話中のため、下に降りて来るまでもう少しお時間がかかるそうです」
「あぁそうですか。分かりました」

荒川くんいないのかな。
それに内田さんか奥村さんも。
花田さんじゃダメ?
と思っていると、佐藤さんが、気持ち小声で「三好さん」と私を呼んだ。

「はい?」
「どこのファンデ使ってる?」
「・・・はい?」
「ええっと、三好さんってすごくオシャレだし、メイクもステキだから、どこのメーカーのを使ってるのかなーって、前から聞きたくて」

という佐藤さんの質問をきっかけに、隣の受付嬢・毛利さんも加わって、しばしメイク談義に花を咲かせた。

もちろん、ちょうど今は他に訪問客がいないから、佐藤さんはチャンスと思って私に質問してきたわけで。
二人とも、受付という仕事柄か、メイクにはとても関心があるらしく、美容知識に至っては、私よりも色々なことを良く知っている。
野田さんが来るまで話し相手になってくれたおかげで、すっかり二人と打ち解けた私は、新たな美容知識だけじゃなく、なぜか野田さん情報も得ることができた。

・・・野田氏のことは、私が「教えて!」と言ったんじゃない。断じて。

「あの人の前の奥さんって、派手な感じの美人だったの」
「会ったことあるんですか」
「うん。何度かここに来たことあったし、会社の近くで待ち合わせしてたこともあったし」
「美人だからイケメンの野田さんと一緒にいるとお似合いだとは思っていたけど・・別れてくれてよかった!」

ちなみに、野田さんが離婚した理由までは、二人とも「知らない」そうだけど、「元奥さんが浮気をした」という説が有力らしい。

「だからあの人は、派手な感じの女が嫌いなのよ」
「あぁ・・・なるほど」

そういえば、前会ったとき「派手な女はタイプじゃない」って言ってたよね。
となると、元奥さんが浮気をしたという説は、本当かもしれない。
・・・私にとっては、どうでもいいことなんだけど!

でも受付嬢の二人にとっては、とっても大事なことのようだ。

「そう。だから私は、ナチュラルメイクを心がけているんです」と断言した毛利さんは24歳。
推測どおり、「野田ファンクラブ」の会員だったけど、会長じゃあなかった。

「それだけじゃなくって、あの人は控えめで落ち着いた感じの女性がタイプだから」と佐藤さんは言うと、チラッと私を一瞥した視線で、私は気がついた。

佐藤さんが野田さんのことを、ずっと「あの人」と言っていたのは、社内で社内の人のことを話すから、という配慮をしていただけじゃない。
本気で野田さんのことが好きなんだ。
たぶん、結婚したいと思うくらいに。

「あの人」と言う佐藤さんの言い方は、「野田さん」と言うよりも、親しみがこもっていた気がするし。
それに最後のセリフは、「私は知ってる」って感じの言い方だったし。

もしかしたら、今、野田さんとつき合ってるのかもしれない。
28歳の佐藤さんは、「年齢的なこともあるし、そろそろ結婚したい」って言ってたもんね。
相手が勤め先にファンクラブまであるモテ男だったら、返って公にはせず、そういうそぶりをお互い表に出さないほうがいいのかもしれない。

なんて考えていた時、話題の元である野田さんがやって来た。

「おはようございます」
「あぁ?この時間だったら“こんにちは”だろーが」
「あ、そうですね。すみません」
「ったく。芸能人みたいな挨拶してんじゃねえよ。あ、訪問証よろしく」

うー!やっぱりこの人ムカつくーっ!!
佐藤さんっ、こんな男とつき合うのは止めて、もっと口優しい男(ひと)探したほうがいいよ!
・・・でも野田氏って、本命の彼女には、すごく優しいこと言うのかもしれない。
だって、私に対する言い方と、佐藤さんに訪問証を発行してもらうときの言い方が、ぜんっぜん違うし。
なんて思いながら、受付嬢の二人と仲良くしゃべっている野田さんの横顔を、チラッと見た。

・・・この人、色気ある。
男の人に「色気」という言葉を使うのは失礼かもしれない。
だけど野田さんからは、大きな手とか、スッと伸びた指先とか、低音ボイスとか、笑った顔といった一部分からセクシーな色気を感じる。

一時芸能界の隅っこにいた私は、野田さん並みに顔良しの俳優さんや、背が高いモデルさんをたくさん見てきたし、そういう友だちもいる。
そんな彼らにも色気はあると思うけど、本物の俳優さんたちから、ここまでセクシーな色気を感じたことはない。

この人だって、「俳優です」と言っても通用するくらいの外見してると思う。
なんせファンクラブまであるくらいだから、そういう風に思ってる人は私一人じゃないはずだ。
と私は思いながら、隣に立っている野田さんの手を見た。

野田さんは、その手で佐藤さんから訪問証を受け取ると、「ほらよ」と言って私の方へ流すように渡した。
「どうも」と言って受け取った私の手に、野田さんの視線が集中している。
あ。やっぱり爪・・・。

「何だ?そのうぐいす色の爪は」
「・・・ピスタチオグリーンと言ってください」と私は言うと、カツカツとヒールの音を響かせながら、エレベーターのほうへ歩いて行った。

野田さんからネイルの色で何か言われるかも、とは思ったけど、「うぐいす色」って・・・!
渋い言い方に、つい笑いが出そうになっちゃったから、悟られないようにサッサと歩いたけど、脚が長い野田氏にすぐ追いつかれた。

「なんだよ」と言う野田さんの視線を感じながら、私は「今日はここに来る前、撮影があったんです」と、前を見たまま答えた。

その時エレベーターが開いて、中から数人出てきたので、自然と会話はストップした。
でも中に入ったのは、幸か不幸か、私と野田さんだけだ・・・。
しょうがないので、私から会話を続けた。

「ネイルの色に合わせてこの服にしたんですけど、今日はヒラヒラしてないでしょ」

上はハイネックのノースリーブのアンサンブルで、ネイルと同じピスタチオグリーン。
そして、細かいプリーツが入ったスカートは、こげ茶の膝丈。
スカートと同色のローヒールパンプスを履いた私を、野田さんがざっと一瞥した途端、挑むように言ったことを後悔した。

私のこと、ちょっとしか見てないのに・・・この人の視線が、熱い・・・。

「寒いんじゃねえか」
「えっ!?」
「ここ、鳥肌立ってんぞ」と野田さんは言うと、自分の二の腕あたりを撫でるように触った。

なんで私は、そんな仕草を見ただけで、ドキッとしてるんだろう。

「あっ、と・・」
「外はまだ暑いが、ここはエアコン効いてるだろ」
「そう・・・うん、だから私、カーデ持ってきてたんだった」

私はハハッと笑いながら、バッグをまさぐってカーディガンを取り出した。

・・・そうだった。
外と室内の寒暖差が激しいから、いつもカーディガンを持ってきてたのに、着るの忘れてた。
どうりでむき出しの腕が肌寒いはずだ。
と、今更ながら気がついた。

そのとき、野田さんの手がスッと伸びて、肩にかけてる私のバッグを持った。

「え!?」
「それ着るんだろ」
「あ・・はい。どうもすみません」と私はゴニョゴニョ言いながら、カーディガンを着ることに意識を集中する。

隣を見ずに。
むき出しの腕に、偶然触れられた指の感触を考えずに。
そこだけ熱いだなんて思わない・・・。

「・・・これ、何入ってんだよ」
「・・は?」
「重てえ」
「あ・・あぁ。今日はネイルの撮影だったけど、一応予備のカットソーとか、いつもより多めのメイクグッズを入れてるから・・・」

大きめのダミエの中身はいっぱいで、確かに重たい。

「ふーん。おまえ、モデルしてんのか」
「いえいえ。今はもうしてないけど、今日のはネイルサロンを経営している友人に、モニターとしてサロンの施術を受けてほしいと頼まれてたんですよ」
「カットモデルみたいなもんか」
「そうですね。今日のは、ホームページやお店にこのネイルの写真を掲載してもらう代わりに、施術は無料で。朝早くから撮影あったから、ディカフェオレと生チョコまでごちそうになってすごく得した気分でした。あ!そういえば、血糖値上げるには、チョコ食べるのが一番だって、友だちも言ってましたよ」と言ってる間にエレベーターが開いた。

「ふーん。とにかくよ、その爪見てると、ますます料理しさなそうに見えるな」
「う。あ、でも一人だと進んで料理はしないから、当たってますぅ」

結婚前、一人暮らしをしていたときは、自由気ままに外食してた。
だんなと二人で住んでた頃は、他にすることもなかったし、何より相手が留守がちでも一人じゃなかったから、料理はしてた。
そして今は、私がギリギリ生活を送っていることもあってか、アパートの住人を始め、友だちに奢ってもらうことが多い。
もちろんそのお礼として、仕事を引き受けることもある。
今朝みたいなモニター撮影は典型だ。
再来週は、隣に住む悦子さんと一緒に仕事をするし。

「ま、俺も一人だから、普段料理はしねえけど」
「確かに、野田さんがお味噌汁の出汁取ってる図って想像できないですね」
「しねえし」

と野田さんが言ったところで海外1課のエリアに着いたので、私は笑いをこらえつつ、金崎さんを始め、1課の人たちに「こんにちは」と挨拶すると、なぜか野田さんと向かい合った。



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