お変わりなく
お変わりなく
窓の外には銀雪がちろちろと降り始め、辺りは雪が積もってゆく。そうか、そんな季節になってしまったのか。





 じっとりと汗が滲む季節、あいつを気に入りのカンバスと一緒に燃やしてもらい、もう開かない瞼とさよならをしたのは半年前のことだった。

彼女が死んだのは真夜中のことで、静かに静かに逝ったのは本当に彼女らしいなと当時は場違いにも思ったものだ。呼吸を確かめたって鼓動を確かめたって彼女はもうどうしようもなく死んでいて、真夏の夜にオレ一人の苛立ちが残った。

 長い入院生活からもう顔見知りを通り越して年の離れた友人のような関係になっていた看護婦は何を思ったか家族でもなんでもないオレに「手、組んであげて」と云ったのだ。真夜中で彼女の肉親はまだ到着していない。それはオレがやるべきことではないだろう。そう意味を込めて看護婦に向き直ったが、看護婦はじっと堪えるようにオレの瞳をみつめていた。そのとたん、喉元がぐあっと熱くなって、泣き出したいような叫びだしたいような気持ちになり、膨らんだ苛立ちが萎んでゆく音がした。

絆されてんなあ。
仕方ない。

 だらりと垂れた両手は思ったよりも重く、しかし白磁のように白い肌はどこまでも少女めいていた。指を絡ませてやるのがなかなか大変で、ぽきりと音がしたのは気のせいだと思いたい。許せよ、クソ女。ただ病室が隣だっただけのオレは葬儀に出られないだろうから、オレが一番乗りでお前を送ってやるよ。医師が黙祷を捧げる中、笑って言ってやるつもりだった。

口から漏れたのは嗚咽だけだった。


 彼女の葬儀が執り行われたのはそれから2日後で、何を思ったのか看護婦の計らいでオレは葬儀に参加していた。初めて見た彼女の父親は、ただぼんやりと彼女の遺影を見つめている。たった一人の家族だ、といつか彼女が言っていたのを思い出した。これからあいつはひとりになるのだ。たったひとりで、灰になる。それはきっと恐ろしく、とてもさみしいことなのだろう。

違う。
ひとりになるのもさみしいのも、オレだった。

周囲の泣き声がいっそう酷く響く。いよいよ棺が送り出される。
夏にしては涼しい、これまた静かな夜だった。


           *

 気付けば冬だった。
 まだまだ退院出来ないオレはベッドの淵に座り窓を眺めていた。雪がひとひらずつ積もってゆくのは見ていてなかなか楽しい。男子高校生のやることではないだろうが。あれだな、同年代がいないって結構暇だ。同い年で同じ病気、さらに言えば身長まで同じ!男として笑えない。笑えないぞ。あれだ、あいつの身長がでかすぎるんだ。オレが小さいわけではない。なんだか苛々したのであいつの所にちょっかいをかけに行くことにした。別に小さい人間では…ない。断じて。
上着を羽織ろうとして、気付いた。




「そうだ、あいつ死んだんだ」



 どうやら思ったよりオレは参っていたらしい。やるせなくてベッドに背中から倒れこんだ。肺がきしきしと痛む。同じくらい、胸も痛かった。同じ病に罹っているというのにそれはオレを連れて行ってくれる気配を全くといっていいほど見せない。別に死にたくはないが、生きていたくもなかったのだ。どうせだから飲み物でも買いに行くか。甘ったるいジュースでも煽りたい気分だ。
すると突然病室の扉がバタンと開いた。室内なのにびゅうびゅうと雪と風が吹き込んでくる。冷たい。寒い。寒さと驚きでベッドから転がり落ちた。

「は!?なんだこれ寒っ!いってえ!?」
「お前相変わらず過ぎんだろ!」
ドアを開けたそいつはゲラゲラと笑っている。相変わらず汚い笑い声だな!笑うな!
「お前がドア開けるからだ………っ、て」
「ちっす葬式ぶり」
「軽っ!」

紛れもなく、奴だった。



            *




「ルールそのいち。アタシは死にました。アタシの話を他の奴にするのは禁止です。万が一話したらお前もろとも連れていきます」
「ルールそのに。アタシは今年の冬の間だけお前の傍にいてやります。非常に遺憾です」
「ルールそのさん。アタシの体はかみさまのつくった銀の欠片と雪で出来ています。なので触ったら溶けます」


「お、おう」
「ぜってーわかってねーだろ」
「とりあえず雪女になって化けて出たと」
「殺すぞ」
「ウィッス」
「つまり直接触るの禁止。他の人間にアタシの存在匂わせるの禁止。暖かいとこ行くの禁止」
「待て最後の聞いてない」
「だから雪で出来てるっつってんだろ」
「凍え死ねと!?」
「責任持って地獄に叩き落とすから大丈夫」
「今の話に大丈夫要素がどこにあった?」
「0%くらい」
「ねえじゃん!」

奴だった。どこまでも奴だった。
 肩口まで伸ばした黒髪だとか長い睫毛だとか、笑い方など隅々まで記憶のままだ。シャツの上にカーディガンを羽織っていて、あの頃のように笑う姿は生者と遜色ない。雪で出来ているようにも到底思えないし、かみさまの銀の欠片ってなんだ。言いたい事は山ほどあったけれど、頭のどこかで理解していた。それでも彼女は死んでいる。彼女はどうしようもなく死んでいる。彼女はオレと目を逸らさない。あまりにいつも通りの会話で、オレは静かに項垂れた。

「なんだよ、らしくないね」
「そもそもオレらしいってなんだよ」
「アホで間抜けで不幸体質でひょろくて小さい」
「罵倒しかない気がする!」
「それがお前だ!!」
「ふざけんな!お前がオレの何を知ってるんだ!!」
「てめーこそアタシの何を知ってんだクソ野郎」
「………知る前に置いていったんだろ」
「…不可抗力だっつの」
「………」
「泣くなよ」
「泣いてない」
「ふうん」

それからそいつは、まあよろしく、と言って、オレにジュースを奢らせたのだった。







          *


 二人で窓の外の景色をみていた。
オレは約束(?)通り暖かい場所へは行けないので、暖房を消して布団にくるまっている。そろそろ怒ってもいいと思う。
積もっていた雪は少しずつ少しずつ溶けて芝生と土が見えていた。今は白い斑点を残すのみである。

「ねえねえ」
「なんだよ」
「今日で冬が終わるよ」
「もっと早く言えよ!?」

時刻は午後11時半だった。

「いやあ驚くかな〜って」
「驚くかな〜じゃねえよ!唐突過ぎるだろ!!」
「0%くらい反省してる」
「してねえじゃねえか!!」
「ね、だからさ」
「人の話を…………」
「手、繋いでてよ」
「は?」
「アタシ、寝てる間に死んだから、死ぬのが怖いんだ。起きているときに死んだことなんてないから、………それに、ひとりって、すごく、こわい」
「…だって、お前触ったら溶けるんじゃ」
「うん。だから、今日。今日でほんとのほんとにお別れ」

ね、といって彼女は両手を差し出してくる。
 悩んで悩んで、時刻は11時45分。オレは手を握ってやることにした。
ぎゅ、と握ったてのひらはまさに少女のそれだったが、ひんやりと冷たくてどこか悲しくなった。
だけれど手を握ってやったときの表情は花が咲いたようで、

「なあ、オレでよかったのか」
「なにが」
「ほら、親御さんとことか行かなくてよかったのか」
「いいの、お父さんへっぽこだからアタシがいったら逆に駄目になりそう」
「酷いな………」
「うん、酷いだろ。大事なものみんな置いて先行っちゃうから」

 口調はいつも通りだったが、指先がかたかたと震えている。どちらが震えているのかわからない。オレかもしれないし、彼女かもしれないし、あるいは両方なのかもしれなかった。じゅわりと彼女の躰からなにかが融ける音がしているような気がした。揺れる睫毛をみつめると、痛みを堪えているような表情をしていた。なくなさいように指を強く絡める。

「そういやお前アタシの指折っただろ。しかも左手の薬指」
「アッ……………」
「アッじゃねえよ殺すぞ。来世覚えてろ」
「来世とかあるのか」
「死ねばわかるよ」
「笑えねえ…」

 するとがくりと彼女の体から力が抜けた。足が溶けかけているらしい。一瞬迷ったが膝裏に手を伸ばし、姫抱きにしてやる。軽い。綿でも抱えているようだった。

「うわあ屈辱」
「他に言うことないのか!?」
「これ以上の屈辱がどこにあるって」
「クソ女……………」
「んふふ」



楽しそうだった。

あの時のように静かな夜がやってくる。

秒針が12時をさす。

意識が遠ざかる。


「    」




          *



目が覚めると彼女はどこにもおらず、ただのさみしい病室だった。
雪は溶けきり、窓の外は快晴だ。

あいつと初めて出会ったときの夢をみた。ほんとのほんとにさよならをしたわけだが、ゲラゲラとうるさい笑い声がありありと浮かんで、まだまだオレは彼女のことが好きらしいと、少しだけ泣いた。
カンバスの恋人よ、どうか、どうかお変わりなく。

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